あちらこちらのニュースで、井笠鉄道(株)が今月末をもってバス事業を含む全事業を終了すると発表がありました。
今後は会社清算に向かう見通しという利用者には寝耳に水の突然の発表でした。
子供の頃から慣れ親しんだ井笠バスが無くなるのは何とも寂しく複雑な心境です。
昨年、創立100周年を迎えて、今年は101年目の事でした・・・
自家用車の普及などで、同社が鉄道事業から撤退したのは1971(昭和46)年春でした。
先日、嫁さんの実家へ行った折
嫁さんのオヤジ様から 「しゃりお君、こんなんあるよ」 とわたされたアルバム
そこには昭和46年3月31日の井笠鉄道の井原駅での さよなら列車の写真です。
廃線当時 私は小学生低学年で 井笠鉄道の廃線はまったく知りませんでした。
ただ、おぼろげながらではありますが、幼稚園に入るか入らないかの年端の行かない頃、当時 井原駅前に住んでいた私の母方の祖母に連れられて、よく井原駅へ列車を見学に行っていたのは記憶の片隅に残っています。
当時は改札を抜けるとホームにもりっぱな屋根があり、駅の待合にも売店があった記憶がありますし、何より私と同じ年代の方には分かる方が居られると思いますが、透明のドームに噴水のようにオレンジジュースが攪拌されていたオレンジジュースの自動販売機から紙コップに注がれたオレンジジュースを駅に見学に行く度に祖母に買って貰っていた記憶は何故か鮮明に残っています・・・
当時は子供の頃だったせいでしょうか、多くの人が行き交い駅も大きく感じていたものです。
前置きが長くなってしまいました。
本日は2回に分けて嫁さんのオヤジ様が撮影していた、井原駅での さよなら列車の写真をご紹介

井原駅 昭和46(1971年).3.31 廃線を惜しむようにホームはきれいに飾り付けしてあります。
現在も井原バスセンターとして使われている井原駅
当時、バスは井原駅前に建屋ががあってそこから出発していた記憶があります。
写真右端の客車の向こう辺りにバスが写っています。
当時はボーリングブームで駅2階はボーリング場だった記憶がありますが、廃線当時ボーリング場だったかは記憶がありません。

さよなら列車入線の様子 ホジ1
随分とのんびりとした様子ですね。
ホームの高さも低く線路幅も狭い、まさにマッチ箱のような列車
手前の乗用車 サニー?も懐かしい(笑

マッチ箱のような客車に別れを惜しむ多くの乗客が乗り降りしてます。
他の方のHPなどでよく掲載されている、蒸気機関車、気動車、客車の混合編成のさよなら列車写真は有名ですが、この写真では蒸気機関車は連結されておらず気動車と客車2両の3両編成に見えます。

ホーム隅にあった気動車用の給油小屋
運転に向けて給油しているのでしょうか?

当時の子供たちも今では いい歳のオッチャンになっている事でしょう。
その線路幅もさることながらホームも写真から察すると狭そうです。

ホジ1 車内も飾り付けがされていたようです。
廃線後、このホジ1も鬮場(くじば)車庫に保管されていましたが、放火で車庫に残っていた大半の車両が焼失してしまいました。
気動車ホジ1、2、8 は3両とも全焼してしまいました。
つづく・・・
今後は会社清算に向かう見通しという利用者には寝耳に水の突然の発表でした。
子供の頃から慣れ親しんだ井笠バスが無くなるのは何とも寂しく複雑な心境です。
昨年、創立100周年を迎えて、今年は101年目の事でした・・・
自家用車の普及などで、同社が鉄道事業から撤退したのは1971(昭和46)年春でした。
先日、嫁さんの実家へ行った折
嫁さんのオヤジ様から 「しゃりお君、こんなんあるよ」 とわたされたアルバム
そこには昭和46年3月31日の井笠鉄道の井原駅での さよなら列車の写真です。
廃線当時 私は小学生低学年で 井笠鉄道の廃線はまったく知りませんでした。
ただ、おぼろげながらではありますが、幼稚園に入るか入らないかの年端の行かない頃、当時 井原駅前に住んでいた私の母方の祖母に連れられて、よく井原駅へ列車を見学に行っていたのは記憶の片隅に残っています。
当時は改札を抜けるとホームにもりっぱな屋根があり、駅の待合にも売店があった記憶がありますし、何より私と同じ年代の方には分かる方が居られると思いますが、透明のドームに噴水のようにオレンジジュースが攪拌されていたオレンジジュースの自動販売機から紙コップに注がれたオレンジジュースを駅に見学に行く度に祖母に買って貰っていた記憶は何故か鮮明に残っています・・・
当時は子供の頃だったせいでしょうか、多くの人が行き交い駅も大きく感じていたものです。
前置きが長くなってしまいました。
本日は2回に分けて嫁さんのオヤジ様が撮影していた、井原駅での さよなら列車の写真をご紹介

井原駅 昭和46(1971年).3.31 廃線を惜しむようにホームはきれいに飾り付けしてあります。
現在も井原バスセンターとして使われている井原駅
当時、バスは井原駅前に建屋ががあってそこから出発していた記憶があります。
写真右端の客車の向こう辺りにバスが写っています。
当時はボーリングブームで駅2階はボーリング場だった記憶がありますが、廃線当時ボーリング場だったかは記憶がありません。

さよなら列車入線の様子 ホジ1
随分とのんびりとした様子ですね。
ホームの高さも低く線路幅も狭い、まさにマッチ箱のような列車
手前の乗用車 サニー?も懐かしい(笑

マッチ箱のような客車に別れを惜しむ多くの乗客が乗り降りしてます。
他の方のHPなどでよく掲載されている、蒸気機関車、気動車、客車の混合編成のさよなら列車写真は有名ですが、この写真では蒸気機関車は連結されておらず気動車と客車2両の3両編成に見えます。

ホーム隅にあった気動車用の給油小屋
運転に向けて給油しているのでしょうか?

当時の子供たちも今では いい歳のオッチャンになっている事でしょう。
その線路幅もさることながらホームも写真から察すると狭そうです。

ホジ1 車内も飾り付けがされていたようです。
廃線後、このホジ1も鬮場(くじば)車庫に保管されていましたが、放火で車庫に残っていた大半の車両が焼失してしまいました。
気動車ホジ1、2、8 は3両とも全焼してしまいました。
つづく・・・