
群馬のららん藤岡の点灯式のイベントで、ゴスペル歌わせていただきました

いつも群馬はTree of Life1人バージョンだったのですが、メンバーも2人来れて一緒に賛美できて感謝でした

私がららん藤岡でこれまで見ていた人の数より、何倍も何倍も点灯式に集まっていて、ビックリ


カウントダウンで、市長さんなど重要な役職の方々がボタンを押すと、一気に点灯


Giftsやエルサレムといった大きく用いられているグループと共に、そして群馬での働きをしている教会のグループの皆様と、ゴスペル歌う機会も与えられていて、恵みだなぁと思わされます。そして、神様が学びなさい

今回は個人的には、まだまだ賛美を自分でしようとしていた部分があったのでは?と気付かされました。…なんというか、まだまだ気負っているというか。私は空気〜

感覚的で分かりにくいかもですが、
祈れない者ですから祈れるように!と祈るのと同じで、賛美できない者ですから、賛美できるように!そうは祈ってなかったと思わされて、いつの間にか自分で賛美できるみたいになっていたんじゃな〜いのかぃ?と神様に言われた気がしたのです。
そう、こないだ叔母が観せてくれたTVで言ってた言葉。
音は隠せない。
この言葉が心に深く残って。
賛美する人の全てが音に出ると言っても過言じゃない。その人の日常、信仰は音になり、それは隠すことはできない。
本当にそうだと思う。
だから、もっと清められたいと思うし、もっと裏も表もなく真っ直ぐな信仰を持つ人になりたいと思います。
でも、十字架を信じる私たちは罪赦され、既に清められ義とされ、罪なき者とされた者。
だから、自分がどうだからでなく、神様にゆだねつつ、神様にあって成長しながら賛美に立ち続けていく。ただ信仰をもって選んでいく、それでいいのだなぁと今思わされます。
出て行って学ぶことはたくさんあります
