河村龍一の「月の癒し」~銀河鉄道の夜

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「3・11」で失いました……

2014-03-11 23:09:37 | 日記

現実の世界に疲れ果てた心を癒すため、銀河鉄道「ひかり号」車掌の私が皆さまを「夢とロマンの時空」にご招待いたします★

今日午後2時46分、私は必死に涙をこらえて「黙とう」しました。
まさか、○○者の前で泣くわけにもいきません。
彼らも皆、「黙とう」していました……。

(今、ひとりで涙をながしています。ほんとうに悲しい……毎年こんな日を迎えるのかと思うと、辛くて耐えられません。テレビ報道はこれでもか、というほど被災地の悲惨な状況を放映しているため、腹立たしくさえ感じてしまいます)

「2011・3・11」は、私の「大事なもの」「大切な人たち」「大切な想い出」など、すべてを一瞬にして奪ってしまいました。

死者1万5884人、行方不明2633人~2014年3月10日現在「警察庁」
避難者26万7419人~2014年2月13日現在「復興庁」
がれき3県で81万㌧~2014年1月末現在「環境省」

私は刑務官を拝命するまでは、妻とともに宮城県石巻市内に住んでいました。
その頃、私は石巻市内のある営業会社で働いていたため、宮城県内の北東部、牡鹿半島、女川町、雄勝町、鮎川町、石巻市内などを毎日のように顧客回りしていたのです。

当時、仕事を兼ねて女川町から鮎川町までの間、牡鹿半島を30キロ以上にわたり縦断していた「コバルトライン」と呼ばれる有料道路を時々ドライブしていました。

コバルト色の海に点在する島々や金華山などのパノラマ風景は、まるで異国の海岸を彷彿とさせるような絶景でしたので、私は思わず見とれてしまい路上に停車して、カメラを手にすることがよくありました。

三陸海岸や仙台、石巻といえば魚介類の宝庫であり寿司、地酒(勝山)、米(ササニシキ)などが全国的に有名です。

また、仕事柄、私は多くの人々と知り合いました。
仕事を終えると、会社の同僚たちと居酒屋や焼き鳥屋などで酒を呑んだり、カラオケ店に行ったりと私は当時、「いい人」たちばかりと巡りあいました。

人生の中でも、石巻市に住んでいた頃が一番幸福な時期だったと思います……。
刑務官になってからも3・11以前は、楽しい想い出ばかりが浮かんだものでした。

それが、3・11で、以前の職場で知り合った友人や家族、知人、お客さまやその家族、そして甥っ子、甥っ子の母親……私は多くの大切な人たちを失ってしまいました。

牡鹿半島も現在、通行不可能な状態が続いています。
壊滅した雄勝町、女川町、鮎川町、北上町……あの日から三年経過しても、未だに復興していない地域が多く存在しているそうです。

それにしても、数千億円にのぼる「東日本大震災義援金」は、どうなってしまったのでしょうか……。

近年、「首都直下型地震」「東南海大震災」が、いつ発生してもおかしくない状況だといわれています。

皆さま、3・11を教訓にしてください。
「備えあれば憂いなし」です!
先ずは、日頃の心構えが大切です!