河村龍一の「月の癒し」~銀河鉄道の夜

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「川崎通り魔児童死傷事件~無差別テロは防げない!」

2019-05-29 21:17:55 | 日記

今宵、「銀河鉄道の夜」に訪問していただき、ありがとうございます。

現実世界に疲弊した皆さまを、夢とロマンの時空にご招待いたします。

 

かけがえのない「幼い命」と「尊い命」が、蛮行により突然、失われてしまいました。

どうして、このような残虐非道な事件が繰り返されてしまうのでしょうか……

大阪教育大学付属池田小学校通り魔殺傷事件の悪夢が再現されたような、何とも痛ましい事件でした。

しかも、犯人はその場で自殺してしまったのですから、「怒りの矛先」がなくなってしまい、また犯行動機や事件の背景なども永久に解明できなくなってしまったのです。

 

 

5月28日午前7時45分ころ、神奈川県川崎市多摩区登戸新町の路上で、同区の私立カリタス小学校の児童と保護者などが男に刃物で次々と襲われ、19人が死傷するという通り魔事件が発生してしまいました。

 

各メディアで報じられた同事件の被害状況等をまとめると下記のとおり。

【同事件での死亡者】2

・栗林華子さん(11歳)=東京都多摩市。私立カリタス小学6年生。

・小山智史さん(39歳)=東京都世田谷区桜上水5丁目。同小に通う児童の保護者で外務省職員。

 

【負傷者】17

・1~6年の児童16人。

・40代の女性。

*小学生2人と40代の女性の計3人が重傷。

 

【犯人】

岩崎隆一(52歳)=川崎市麻生区居住。無職。

犯人は自ら首を刺したとみられ、現場付近に倒れており、川崎市内聖マリアンナ病院に搬送されたが、その後、同病院で死亡が確認された。

 

岩崎容疑者は近所の住民とはほとんど接触がなく、同容疑者について知っている人はほとんどいないとみられる。ただ、小中学校の同級生によると、「昔は、突然、ブチ切れる性格だった」という。

 

岩崎容疑者と小中学校で同級生だった男性によると、昔から一見、おとなしいが、何か気に入らないことがあると、暴れる、まわりのもの、ごみ箱とかいす、机をけって先生を困らせていた。気に入らないことというのもささいなことで、「靴をそろえて」と言われて大暴れしたり、豹変(ひょうへん)したりしていた。

 

 中学になると、岩崎容疑者の機嫌が悪くなる回数は増えたように感じた。

「近くの友達に殴りかかって、よくトラブルになっていた。ケンカしてもいつも負けるのは岩崎。なぜ機嫌が悪くなるのか、何が気に入らないのか、よくわからなかった。そういう性格だから近寄る人もいなくなって、いつも一人でいた印象」

 

【犯行現場】

JRと小田急の登戸駅の西約250メートルの住宅街で、同区にある私立「カリタス小学校」のスクールバスが止まるバス停付近。

 

犯行現場を目撃した証言】

・現場近くに住む無職の斉藤隆司さん(67歳)の証言。

「台所から覆面パトカーがビュッと通るのが見えて現場に行くと、胸から背中にかけて血を流して仰向けに倒れている男性が見えた。サラリーマン風で30歳ぐらい。顔が自分の方を向いていて、目が合って、次に進めなかった。呼吸している感じはなかった」と話した。

また倒れて救命措置を受けている女性がいて、救急隊員が「もうすぐ着くからがんばって」と声かけていたという。

そのうち、コンビニからスカートに血がべったりと付いた女の子が出てきた。小学5、6年生ぐらいで、見た感じは冷静。泣いてはいなかった。

 

・公園にいた会社員男性(57歳)の証言。

子どもたちの「怖い」という叫び声を聞いて、スクールバスが停車するバス停の方を見た。

すると、中年の男が刃物を振り回しながら、バス停付近の路上で「ぶっ殺してやる」と大声で騒いでいた。

周辺には、8人ぐらいの子どもが倒れていた。

 

・現場近くに住むタクシー運転手の男性(52歳)の証言。

サイレンの音で自宅の外に出たところ、警察が規制線を張るところだった。

(現場のすぐ近くの)コンビニ前では何人も倒れていた。血まみれで仰向けになった大人もおり、救急隊員が心肺蘇生をしていた。

小学生らしい半ズボンの男の子もストレッチャーで運ばれていった。

「うちの子が見当たらない」と捜している母親や、ランドセルを背負っておびえている様子の小学生もいた。

 

「登戸は平和な街で、こんな事件が起こるとは思っていなかった。どんな理由があっても犯人が許せない」と男性は憤っていた。

 

・近くに住む中年男性の証言。

「バス停の前で1人の女性が倒れているのを見た。ここのバス停もいつも多くの人が利用する場所なので、とても怖い」と話した。

 

・近くに住む女性(64歳)

「バス停の前にオレンジ色のテントが張られていて、人が運び込まれていくのを見た。バス停に並んでいた人々が襲われたとの話も聞いた」と話していた。

 

カリタス小学校記者会見】

同5月28日午後6時20分、川崎市多摩区の私立カリタス小学校は同小体育館で記者会見を開いた。

 

「蛮行によって落ち度のない子どもたちと、愛情深く子どもを育んでこられた保護者の方がこうした被害にあったことに怒りのやり場もない気持ちであり、痛恨の極みです」と会見の冒頭で齋藤哲郎理事長は挨拶し、今後は子どもの安全確保と、心の傷を負った子どものケアに万全を期すとした。

同事件で小学校休校。川崎市が緊急会見した。

 

 

カリタス小学校はカトリック系の名門私立小学校で、小学校までは共学だが、系列の中学校と高校は女子校。大手広告代理店や、医者、弁護士など裕福な家庭の子供が行く学校として知られ、都内から通う子も多い」(地元民)

 多数の卒業生が麻布中学校や開成中学校といった名門校に進学している。

――以上です――

 

 カリタス小学校はカトリック系の名門私立小学校でしたから、

大阪教育大学付属池田小学校通り魔殺傷事件と同様に、児童や関係者などが通り魔のタ-ゲットにされてしまったようです。

*棒線箇所は期間限定記事につき、削除後、ブログ末尾参照。

 

犯人が死んでしまったため、犯行動機が一切わかりません。しかし、わかることがひとつあります。同様な事件は再度繰り返されてしまう、と。

今のような「政治が腐敗し汚職が平然と横行するような日本社会」では、このような「通り魔による無差別テロ事件」を防ぐことは絶対不可能だからです。

 

 

少子高齢化に伴い社会保障費用が増額するため、さらに増税が繰り返されて低所得者層を苦しめます。

今年の10月には10%の消費増税実施に加え、「社会保険料(国民・厚生年金保険料、同健康保険料他)」なども183%に増額となります。

つまり、労働者の所得収入は変わらず、税金・社会保険料などが増えてしまい、手取り収入が減ることになるのです。

そして将来、日本は「えらいこと」になるのです。

 

増税しても全部が社会保障に使われればまだ救いはあるのですが、実際は各メディアで報じられてきたように皆さまがご存じのとおりです

従って、貧困者層・低所得者層がますます増加する一方であり、これだけ「格差社会」が顕著になれば、国民(おもに低所得者層)の不満がいつ爆発してもおかしくありません。

 

今回の事件の報道では、犯人の性格や生い立ちなどがある程度わかってきました。

犯人の岩崎と同様な性格で不幸な境遇に育った人物は世の中に多く存在しています。

私は現職の刑務官時代、このような、いや岩崎以上の「質の悪い」性格の受刑者を多く処遇してきた経験があります。

そして彼らは刑期終了後、全員が出所しています。

また、タクシードライバーの現在、生活に困窮している多くの低所得者層の人々による「政治家や官僚に対する不満」を時折り耳にしています。中には「岩崎隆一」のような性格の人物も散見されました。

 

万が一、彼らや「先述した低所得者層の国民」が生活に困窮して追いこまれてしまい犯人と同様な不満を持ち、そして爆発したならば、「同様な模倣犯」が必ず出現するのでは、と危惧しています。

 

「自分たちだけ幸せ(裕福)に暮らせれば(私腹を肥やせば)、他の国民(低所得者層)など、どうでも(生活に困窮しても)いい」

このように考えでいる悪徳政治家や一部の官僚の皆さん。

もう、その考えは通用しない時代に突入したと、「驕った認識」を改めたほうがいいでしょう。

そのうち、この国が収集のつかないほど治安が悪化し、あなた方やあるいは親族・関係者なども今回のような「通り魔的な無差別テロ事件」の被害者となるかもしれませんよ。そのときに私が指摘していたことを理解しても時すでに遅いのです。

それでなくても今回、よりによって外務省の小山智史さん(39歳)という優秀な官僚の方がお亡くなりになりました。

国益を損なうとは、まさに今回のケースです。

各メディアの報道によると、小山さんは、生前は善良な人だったそうで、この国には絶対必要な外務官僚でした。

県警によると、小山さんは最初に襲われたそうです。

しかし、現場で死亡した小山さんだけには、4か所もの刺し傷があったといいます。今回の事件で複数回刺されたのは小山さんだけでした。

 

まず真っ先に背中から刺されたのにもかかわらず、さらに3か所もの刺し傷があったのは、小山さんが、犯人の凶行を制止しようとしたからだそうです。

 

「子供を必死に守っていたことがうかがえます」

という証言が報道されていることからも事実でしょう。

 

犯人による19人に対する22回の攻撃のうち、最初の4回までが小山さんに対するものでした。攻撃の18%までを、小山さん一人が受け止めたことになるといわれています。

 

おそらく、小山さんは通り魔の蛮行から子どもたちを守るため、少しでも時間を稼いで多くの子どもたちが逃げ始めることができるように、ご自身の命を犠牲にしてまでも必死に抵抗したのでしょう。

 

これまでに、色々と国会で問題になった官僚たちもいましたが、同じ官僚でも、小山さんのような善良で優秀な経歴を持つ方が、なぜ無差別テロの犠牲者となってしまったのでしょうか……「運が悪かった」だけでは済まないでしょう。

彼こそ「英雄」であり、今からでも「国民栄誉賞」を捧げるべきではないでしょうか。

 

 

今回の残虐非道な事件を教訓に、二度と同様な悲劇が繰り返されないよう、しっかりと対応策を国会で議論してください。

 

具体案として、「天下り先」や「使途不明な特別会計」の予算の一部について、登下校時に民間の警備会社に児童たちの警備を依頼するための費用に充当してみたらどうでしょうか。

 

事件でお亡くなりになりました栗林華子さん(11歳)と小山智史さん(39歳)のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

そして、被害に遭ってしまった多くの児童と、保護者・関係者の皆さまが、一日も早く平穏無事な生活に戻れるためにも、周囲の方々やカウンセラーの専門家、そして各ボランティアの人々が親身になってサポートして頂けるよう強く協力をお願いいたします。


削除後閲覧!

「川崎・登戸の大量殺人犯は”池田小事件・宅間守”に似ている―—精神科医の分析」

 

5月28日朝7時40分ごろ、スクールバスを待っていたカリタス学園の小学生らが相次いで刺された川崎・登戸の大量殺傷事件。両手に刺身包丁を持ち18人を刺した男は、自分で首付近を刺し、病院で死亡が確認された。

 同市麻生区に住む51歳の丸刈り男、岩崎隆一はなぜこのような凶行に及んだのだろうか。

『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)の著書がある精神科医の片田珠美氏が、現在の情報から犯人の人物像を分析した。

「第一報を見て、典型的な無差別殺人であり、拡大自殺(自殺志願者が他人を道連れに無理心中を図ること)であると感じました。過去の拡大自殺の例を挙げると、横溝正史の小説『八つ墓村』のモデルと言われる『津山30人殺し』、アメリカでは12名の生徒と1名の教師が射殺された『コロンバイン高校銃乱射事件』など。犯行後に犯人が自殺しているという共通点があります」

 過去の大量殺人犯の犯人像と近いと思われるのは、2001年、児童8人を殺害した大阪・池田小事件の宅間守・元死刑囚だという。

「宅間は自殺を図ったこともあり、裁判でも控訴を取り下げるなど自暴自棄の傾向が見られました。無差別殺人犯の特徴は、人生に絶望し、でもおとなしく一人で死ぬのはいやだから、他人を巻き添えにしたいと考えることです。そこには自己顕示欲や承認欲求もある。2008年、秋葉原通り魔事件の加藤智大も無差別殺人犯ですが、不特定多数を狙った犯行でした。今回、登戸の犯人がカリタス学園の生徒さんをターゲットにしていたとしたら、エリート校である池田小を狙った宅間と近いものがあります」

片田氏は、大量殺人を引き起こす要因として以下の6つを挙げた。

(1)欲求不満

(2)他責的傾向

(3)破滅的な喪失

(4)外部からのきっかけ

(5)社会的、心理的な孤立

(6)武器の入手

「通り魔的な大量殺人犯の動機は、自分を軽んじた社会への復讐です。その予備軍は、どこにでも潜んでいます」

 

 



「ホーキング博士の間違い~神も死後の世界も存在します・2」

2019-05-24 00:05:53 | 日記

今宵、「銀河鉄道の夜」に訪問していただき、ありがとうございます。

現実世界に疲弊した皆さまを、夢とロマンの時空にご招待いたします。

 

当ブログに訪問された読者の皆様にお伝えします。

このブログを読まずに死んだら、「えらいこと」になります。

 

さてと、長らくお待たせしましたが今宵、神仏(超知性)あるいはETなどの存在と、人類の誕生や死後の問題について、皆様と一緒に考察していきましょう。

 

このテーマを考える上で、まずは科学的アプローチからいく必要があります。

単なる「精神疾患者の妄想」的な暴論にならないために、あくまでも科学的な根拠にもとづいた推論から出発していきましょう。

多少は眠くなる箇所もありますので、その辺は軽く読み流していただければ結構です。

 

これまで、当ブログではこのテーマについていくつかの記事を掲載してきましたが、今回の結論を述べるにあたり重要な記事がありますのでもう一度見ていきましょう。

(それぞれ棒線箇所をクリックしてください。そして軽く読み流していただければと思います。既に読み終えた読者はトバして結構です)

 

その1「死後の世界」~死んだら人の心はどうなるのか? その1

 

その2「死後の世界」~死んだら人の心はどうなるのか? その・2

 

その3量子力学が人間の魂の謎を解き明かす」~死後の世界が科学的に証明されつつある!

 

その4「ホーキング博士の間違い! 神も死後の世界も存在します」

 

さて、いかがだったでしょうか?

特に、その4では重力定数などの「難解な関係式」を記述しながら学的観点から、このテーマに迫ってみました。

 

余談ですが最近、唯物主義に徹した科学者たちは全宇宙の質量の約27%を占めている「暗黒物資=ダークマター」の正体までつきとめようとしています。

 

ちなみに、全宇宙で最も多いのが暗黒エネルギーで約68.3%であり、残りの約26.8%が暗黒物質です。

全宇宙にある物質の質量をエネルギーに換算すると、物質は宇宙全体のエネルギーの約4.9%程度でした。

 

原子から成り立っている通常の物質については、かなり解明されています。

原子は原子核と電子からできており、原子核は陽子と中性子からできています。

その陽子と中性子にも内部構造があり、物質の最小単位は「クォーク」と呼ばれる素粒子であることまではわかっています。

 

1998年に暗黒物質が発見されるまでは、宇宙の膨張速度は徐々に減速していると考えられていました。

しかし、予想に反し宇宙は加速膨張をしていることがわかりました。

それを引き起こしているエネルギーの正体は「暗黒エネルギー(ダークエネルギー)」と呼ばれていますが、実態については未だに解明されていません。

 

 

さらに、暗黒物質が宇宙に「ある」ことはたしかなのですが、正体がわからないのです。

 

ただし、暗黒物質は宇宙そのものの成り立ちを解き明かす上でも、重要なカギを握っています。宇宙に銀河や星などの「構造」ができたのは、暗黒物質の働きによるものだと考えられているからです。

 

もし暗黒物質がなければ星は生まれず、宇宙は今のような構造を持たない、ただ原子、分子が飛び交うだけの空間だったかもしれません。その場合、地球も生まれないのですから当然のこと、人類はもちろん、どんな生命体も生まれないわけです。

 

このことは、前回のブログで記述した重力定数と同様であり、光速度が秒速約30万キロという絶妙な数値とリンクしているようです。

 

やや寄り道してしまいましたが、今回のテーマを解明する上において、「見える世界」だけを探求している現代科学には限界があるようです。

 

そこで私は、これまでに様々な宗教団体を取材し、科学以外のアプローチを試みました。

 

具体的に述べますと、「プロテスタント教会」、「創価学会」、「エホバの証人」などの信者や「各宗派のお寺」の僧侶にお会いし、それぞれの宗教の教義と神仏について説明を受けてきました。

 

結果ですが、残念ながら何の回答も見いだせなかったのです。

 

そこで、深層心理学に理論物理学を融合させて考察したところ、前回のブログに記述したところまでようやく辿り着きました。

 

おぼろげながらも、「超知性」についての正体と、死後の世界などがわかりかけてきました。

そしてこの度、ある著書(後述)を知り一読したところ、この世の本質が理解できるようになりました。

 

結論ですが、人間(生物)には「生も死もない」ようです。つまり「終わりも始めもない」のです。人類が勝手につくりだした現象でした。

もちろん、「虐待死事件」も「いじめ自殺事件」も、何もかもが「空」であり「一現象」にすぎず、すべての実態は「あなたも私も、そして物質宇宙そのもの」が聖なる未知のエネルギーの一部だということです。

 

もともとが人間は「神聖な未知のエネルギー」であり、「大いなる超知性」が何らかの事情により物質宇宙(直径約450億光年の三次元時空)を創造して人間やET(地球外知的生命体)という生命現象も発生させたようです。

当然、地球人類には「エゴ」という自我が芽生え「ちっぽけな自分」だと勘違いしてしまい、「大いなる神秘」だったという本質をわからないから欲望に駆られて戦争や犯罪まで犯してしまうといった愚かな行為を繰り返してしまうのです。

 

 


以下、引用記事です。

 

この「大いなる神秘」を感じて宗教や哲学、心理学や物理学などに置き換えて考ええる人もいます。たとえ唯物論者であっても、「自然の摂理」という形で神秘を表現するでしょう。

この大いなる神秘のイメージは、宗教ではお馴染みの「神」ですが、宗教でなくても世界中の様々な神話などの物語の中に、聖なる存在や偉大な存在、パワフルな存在として登場しています。

 

ここで「重要なこと」は、シンボル「偶像崇拝」は間違った教えだということです。偶像は「神」そのものではなく、それを表現した「シンボル」、それは私たちが知覚できるレベルまで引き下げられた結果としての「イメージ」です。

シンボル=偶像とは砂浜につけられた足跡のようなもので、足跡の主は足であり、足とは存在のことです。足跡そのものは足ではありません。足とは「存在のこと」を指します。

さらに、足なら肉体の一部ですから肉眼で確認できますが、大いなる存在に肉体はありません。具体的に肉眼で確認できない抽象的な存在を現すシンボルは、容易に理解できるものではないために、何らかの姿としてイメージがつくられます。

 

人はイメージできたときに「できた」と思いこみ、やがてイメージに執着します。これが「偶像崇拝」と呼ばれる現象です。

――以下、省略。

以上については「3つのカードで楽々問題解決」というタイトルの著書から一部引用しました。

アマゾンで購入できます。

価格4.536円

なお、この著書にはある特殊のの三つのカードが付録としてついています。

「本質」「癒し」「罠」の3つです。

私はこの3つのカードを使用して、現在抱えている深刻な問題についての回答を占ったのですが、ここでは恥ずかしくて述べることができないほど、私の本質と現在の状況と打開策について、的確に言い当てられたので驚愕した次第です。

高額な代金を支払い様々な占いを行ってもらうのでしたら、是非、このカードで試していただければと思います。

皆さまの明るい未来が切り開けることを確約できます。

この著者は、この世の本質をすでに解明し、「大いなる神秘と超知性の実態」についてカードを使って具現化するのに成功したようです。

まさに、「超人」あるいは「覚者」というべき神聖な人物です。

それと、私はこの著書を読んで2つのことが「ひらめき」ました。

1つ目は、人類よりも遥かに進化したETの正体についてです。

もし、古来より人類の赤ちゃんが汚れずそのままの純粋無垢な状態で知性を備えた知的生命体に成長したならば、超知性の望んだ「完成した知的生命体」として進化していたでのではないでしょうか。まさに、それが古代より地球に訪れて人類を見守っているといわれているETの正体ではないかと考えられます。

グレイなどの「バケモノ」のような地球外生命体は、おそらく「AI(人工知能)」を備えた恒星間探査用の人造ロボットではないかと推測しました。

次に、本題の「死後の世界」についてです。

先述したとおり、人類(生物)には「生も死も」ないようです。

肉体は死滅しても、「未知の生命エネルギー」は生前の精神レベルにあった各生物種に生まれ変わるのではないでしょうか。

「エネルギー等価方式」と同様に、各生物が他の形態の生物に生まれ変わったとしても未知の生命エネルギーも不変なはず。

例えば、己の欲望を貪る殺人犯は生命エネルギーの知的レベルが低下し、来世はライオンなどの猛獣か爬虫類あたりに生まれ変わるのではないでしょうか。

物欲・食欲に異常なまでに貪欲な人間の来世は、おそらく「豚」あたりに生まれ変わるかもしれません。

逆に、「大いなる存在」を知り、「愛と平和」を好んで社会を支えながら生涯を終えた方の来世は、現世よりも次元の上昇した世界に生まれ変わるような気がします。

何も感じず、他人に対してなんら思いやりもなく、物質欲に囚われその日を漠然として生きてきた方は、死後はそのまま永遠に暗闇の何もない「死」が続くだけでしょう。

つまり、次元上昇できずに元の生命エネルギーに戻り、意識も何もない状態で3次元宇宙に飛散してしまうのではないでしょうか。

では、人生の半ばで急遽、災害、事件、事故などに巻きこまれてしまい死亡した人の死後の世界がどうなっているかという疑問が浮かんできますね。

そのことについては、このブログでもお伝えしてきましたとおり、私の体験談(?)から答えられます。

それは3・11の翌年の彼岸でした。同震災で被災死した私の甥っ子が夢の中で、この世のものとは思えない「光り輝くマリア様」のような聖なる存在ともいうべき超知性体により、天携されていく様子を私ははっきりと見たのです。

あれは夢などではありませんでした。

そのことから推察すると、おそらくは人生半ばで死亡した方の生命エネルギー(魂)は、しばらくの間、ご遺族の周辺に心配しながら見守るように存在しているようです。

そして、ある時期を迎えると、新たな人間として生まれ変わるのではないでしょうか。

つまり、「超知性」により、お亡くなりになった方はもう一度人生のチャンスを与えられるのだ、と。



長くなりましたが、この著書をこれからご紹介しましょう。

本のタイトルは「3つのカードでラクラク問題解決」(ライトワーカー出版社)で、著者は深瀬啓介氏。

 

著者は仙台市在住の企業研修講師、カラー心理セラピスト、一般社団法人ME応用心理学研究所代表理事、脳科学や分析心理学をベースとした色彩研究のためのコミニュティをSNSに開設し、会員数は1万5千人を超える。2019年、「ガイド(超知性?)との初の交流から「ドリーミングセラピーカード」が完成。

一人でも多くの人が「この世の本質を理解」できるよう、またこの世界が真の平和な世界に変わることを実現するためにも、どう生きたらいいか教えてくれる著書です。

 

 

是非、皆さまも手に取ってこの著書を一読してください。

私がこれまで当ブログで述べてきた事が理解できると思います。

 


「令和時代の幕開けにふさわしい本~社会に拡散したい良著を紹介!」(修正あり)

2019-05-01 00:01:38 | 日記

今宵、「銀河鉄道の夜」に訪問していただき、ありがとうございます。

現実世界に疲弊した皆さまを、夢とロマンの時空にご招待いたします。

 

近年、「児童虐待死事件」や「いじめ自殺事件」などに見られるように、この国で生きている子どもたちが地獄のような受難の果てに誰の救いも受けられず、密かに尊い命が消えていくといった悲惨な事例が後を絶ちません。

 

児童虐待やいじめの問題については当ブログでも時々掲載し、また私の裏のブログでも徹底的に糾弾してきましたが、国会議員の先生方が優秀な人ばかりで、未だにこれといった有効な解決策がないようです。

 

 

「親の資格」さえないような鬼畜が子どもの親になり、「他人をいじめることが日常生活の一部」だと勘違いしている非道な人間が存在する限り、たとえ刑法を厳罰化したところで、児童虐待や子どものいじめ問題などの抑止力にはならないでしょう。

 

連日の耳をふさぎたくなるような報道により暗鬱たる気分で日々を過ごしていたところ、つい最近、ある朗報がもたらされました。

聖なる朗報は、私の生き方(こころの在り方)についても根本的に変える必要があることを示唆してくれました。

 

朗報により死への恐怖心をやわらげたというか、人間は死では全てが終わらない摩訶不思議な生命体であると、改めて学習させられたのです。

 

人間一人ひとりの心が根本的に変われば相手の心も変わり(変えることができ)、それに伴い児童虐待やいじめの問題も自然消滅し、たとえ人が不幸な境遇に置かれたとしても心のありようで常に幸せになれるのだと、そしてそれはこの世が極楽浄土の世界となることにつながり、その実践方法(著者は「修行」と表現)についても、朗報は具体的に教えてくれたのです。

 

その朗報とは、ある著書を通じた光の使者からのメッセージです。

 

そこで今宵、本ブログ読者の皆さまが幸せになれるよう、天使(故武藤優司ちゃん:享年2歳4カ月)からのメッセージが記載されている著書をご紹介しましょう。

 

【タイトル名】

「ありがとう。ママはもう大丈夫だよ」

泣いて、泣いて 笑って笑った873

*定価(本体1.350円+税)

 

【出版社】

ライトワーカー2019年4月26日発行。

 

【著者】

武藤あずさ(本名「武藤梓」) 1982年生まれの女性で千葉県出身。

現在、法人2社の代表取締役。

 

同著書は「小児緩和ケア」を題材にしている美しい家族の絆の実話が描かれていることから刊行に先立ち、厚生労働省記者クラブで、著者と夫、国立研究開発法人国立成育医療研究センター元広報担当の佐藤さんたち3人が記者会見したという異例な経緯がありました。

 

(読後感想)

 

非常に「読み辛い(つらい)本」でした。

「小児緩和ケア」という表題を見るだけでも、胸にあついものがこみ上げてきました。

ページをめくる都度、花粉症が再発して文字がにじんでしまい、終盤ではハンカチとティッシュペーパーを用意しなければ読み込めませんでした。

決してオーバーな表現ではありません。

この著書を是非一読してみてください。すぐにわかるでしょう。

 

最愛の家族の一員を亡くしてしまうといった不幸な事例は、自然災害(東日本大震災、地球温暖化による豪雨災害など)被災者遺族や殺人事件の犯罪被害者遺族の人々のように悲惨なケースが国内で連日報じられてきました。

 

私は東日本大震災の被災地で取材する都度、残された遺族の皆さんの深い悲しみを直接肌で感じ取りました。

また、前著の刊行に先立ち、犯罪被害者遺族の人々に取材した際、犯人に対する宿怨と想像を絶した悲痛な思いに圧倒されてしまったのです。

どちらの遺族の人々にお会いしたときにも、私は共通した思いがわき起こりました。

「強い憤り」です。

それは、自然災害そのものと、石巻市大川小学校のように日頃の防災体制を怠たり取りかえしのつかない悲劇を生んでしまった「行政」にであり、また、凶悪犯罪事件の犯人たちに対してです。

 

それが今回、この著書に記述してあるような家族の一員を失ったケースでは、心の中が「悲しみ」で満ちあふれてしまう結果となりました。

読み進むのに、かつてこれほど辛い思いをしたことは一度もありません。

 

「私(著者)は幸せでした」

なんと著者は、まだ2歳と4か月だったご子息が著者の腕の中で息を引き取った時の感想をこのように述べています。

いきなり第1章の冒頭から読者のこころを混乱させてしまうような記述に、この本に対する関心がわき起こり、一方で、読みきるには相当な根性が必要であると瞬察しました。

 

著者は最初のころ、「この子が死んだら生きていけない」と思っていたそうです。

しかし、ある人物と知り合ったことで、辛い闘病生活を「楽しい時間」に転化させることに成功したのだと述べていました。

 

また、著者はご自身の悲しみの感情を「修行」というある行為で完全に克服したといいます。それは「天国言葉の力」だと。

でも、読み進んでいくうちに著者のこころの葛藤が何気なく伝わってきまして、それが余計に気の毒に感じてしまったのです。

 

 

生死にかかわる障害を持った子どもの闘病生活を描いた作品は、現代社会の人々が生きる上で何が一番大切なことなのかわかりやすく描いてあり、また強い家族の絆と人々の善意が奇跡を起こしたことや、善意が陰で社会を支えている現実を紹介しています。

 

概略は次のとおりです。

 

長男と次男に恵まれた夫婦が一家4人で幸せに暮らしていたある日、この家族に最悪な悲劇が訪れてしまいました。

 

著者の次男である武藤優司君は生後2か月のころから原因不明の難病に罹患した障害児だったことが判明し、3か月目では「肝臓移植しなければ死んでしまう」と著者が医師から告げられたのです。

 

しかし、手術には生体ドナーが必要であり、ドナーの条件として「血液型適合」、「3親等以内」、「体格」などのすべてが当てはまった人でなければならず、それらの条件を満たしていたのが著者だけでした。

 

生体ドナーになると言ってもドナー自身が死ぬリスクも高く、大変危険な手術になると説明を受けた著者は、

「親として無責任でもいいから、まだ死にたくない」

「でも、優司を見捨ててしまうひどい親になるのもゆるせない」

と葛藤し、手術前夜は一睡もできなかったそうです。

 

そして、10時間に及んだ手術は無事に成功しました。

普通なら、これでハッピーエンドです。

しかし喜びもつかの間、今度はまたも原因不明の病に罹患し、優司君の肺機能が悪化して自発呼吸ができない状態になってしまい、人工呼吸器を装着した今の優司君には「肺移植手術が必要」だと医師から告げられてしまったのです。

 

そんな手術など、誰がどう考えても到底不可能な話ですよね。

でも著者とご主人、医師や看護師さんなどをはじめとした病院関係者たち全員が、優司君のために尽力しました。ですが最終的には、著者は、1歳になったばかりの優司君の余命宣告を受けてしまいました。

そして「小児緩和ケア」という悲しい展開になっていくのです。

 

優司君の余命が宣告された著者は、精神的に追いこまれていきます。

しかし、そんな著者に救いの手を差し伸べたのが、ご主人でした。

ご主人は斎藤一人さんという「人生の師匠」の教えに従い、著者に「天国言葉」を使うことを勧めます。

 

人間は日常生活において、他人とトラブルを起こしたり苦境に陥ったとき、つい汚い言葉や暴言を吐いたり愚痴をこぼしてしまうものです。

このことを著者たち夫婦の師匠である斎藤一人さんは「地獄言葉」と教え、このような地獄言葉は事態をさらに悪い展開にしていくだけである、とアドバイスしたのです。

 

そして、その日から「天国言葉」を使う「修行」が始まりました。

途中で挫けそうになり、優司君の病状の悪化に伴い自暴自棄になりながらも、最終的には「天国言葉」を使い意識を転換させることで、奇跡が起こったのですが……そして武藤さん一家の悲しみのストーリーの結末は冒頭で述べたとおりです。

 

なお、本著の最後では、余谷暢之氏(以下、「余谷氏」)の特別寄稿「優ちゃんと過ごした大切な時間を振り返って」

ーー小児緩和ケアの役割について考える――

が掲載されています。

余谷氏は国立研究開発法人国立成育医療研究センター総合診療部緩和ケア科診療部長の肩書を持つ故優司君の担当医でした。

同寄稿の中で余谷氏は、小児緩和ケアの役割について次のように述べています。

「医療において『治療』は大切な目標です。しかし、治療が困難な病気や慢性疾患をもつこどもたちにとっては、医療のゴールは治療ではなく『いかにその子らしく過ごせるか』が大切な目標となります。緩和ケアとは、最期までその子らしく過ごせるために、からだや気持ちの症状を緩和し、本人とご家族が穏やかに過ごせることを支援する医療です」

余谷氏によれば、医療技術の進歩により多くのこどもの命が救われる一方で、治療が奏功せずに大人になる前に生涯を閉じなければならないこどもたちも少なくないといいます。

故優司君の場合もそのケースだったのですが、治療医と緩和ケア医がチームを組み故優司君の最期のときまで連携しながら、肺移植という「治療への希望」、「親子が意義深い時間を過ごせることの希望」、「苦痛なく最期を迎える希望」など3つの希望で、ご両親の悲嘆の癒しにつなげたと述べていました。


この著書で述べている一連の出来事は、「どこか100光年くらい地球から離れた先進文明が存在する惑星の、平和に進化した知的生命体の感動話」ではないのかと思えてしまい、今の日本の社会にはあり得ないような実話です。

 

親が子どもを虐待死させる事件やターゲットを自殺まで追いこむような陰湿ないじめが横行している現代社会において、冷徹な人々のこころに必要なものが何かを教えてくれた著書でした。

本著は一人の人間の「いのち」がいかに大切でかけがえのないものなのか、また、苦境に陥った人をこころから励ましサポートすることの重要性を教示してくれました。

 

私としては、この著書は次に記した人々に是非読んでほしいと思います。

1      自分の子どもを虐待死させた受刑者(子どもの親たち)

1      今も虐待を続けている親たち

1      陰湿ないじめで他人を自殺に追い込んだ人たち

1      今もいじめをしている人たち

1      国会議員の先生方

 

そして、上記の方々ばかりでなく子育て中のご夫婦や、子どもの教育に関する職業に従事している人々にも読んでいただきたい著書です。

もちろん、本ブログ読者にもお勧めします。

 

人間には「神聖」がまだ宿っていたようですね。

苦難に直面したとき、悪魔に豹変し「地獄言葉」を社会にまき散らしてしまうような人間になるのか、それとも、「神・仏」の心に開眼し、「天国言葉」で苦境を乗り越え神聖を発揮する人間になるのか、そのどちらかを選択していいのか教示してくれるのが本著です。

令和時代の幕開けに最もふさわしい良著です。