河村龍一の「月の癒し」~銀河鉄道の夜

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「闇サイト殺人事件から10年:殺人犯を擁護する『中谷加代子』氏に異論あり」

2017-08-20 21:24:01 | 日記

今宵、「銀河鉄道の夜」に訪問していただき、ありがとうございます。

 

来週の金曜日は、故磯谷利恵さんの命日(8月25日未明)ですね。

あの残虐な事件から10年経過します。

 

「闇サイト殺人事件」は、現職の刑務官であった私が著書の出版という手段で、日本の死刑制度存置と刑法厳罰化の機運を高めようという思いに強く駆られた事件であり、決して風化させてはならないとこのブログ上でも時々、同事件関連の記事について掲載してきました。

 

ですが、ご遺族のお母さん(磯谷富美子さん)から以前、故利恵さんの命日は事件を思い出したくないとの理由で旅行に出かけるとお聞きし、あえて、このブログでも「命日には騒がないほうがいいのかな」と思慮していました。

また、「いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件」という大崎善生先生の名作品が出版されたこともありまして、今後も同事件は風化しないだろうと観測し、今年は静かに故磯谷利恵さんのご冥福をお祈りしようと思っていたところでした。

 

それが先日、「『犯罪の加害者を責めません』——ある遺族の選択とは」という配信記事を一読して愕然となり、加害者の厳罰化を訴える私としては到底納得できず、故磯谷利恵さんの命日をむかえる機会に異論を述べてみることにしました。

 

以下、その記事から一部引用します。

2006年に長女の歩さん(当時20)を殺された中谷加代子さん(56)は「怒り」を消し、刑務所で加害者たちと向き合う活動を始めた。伝えるメッセージは「幸せになって」。加害者を「責める」ことなく、常に「寄り添う」。

山口県美祢市の美祢社会復帰促進センターで、中谷さんは9人の受刑者(殺人犯)と向き合った。

被害者遺族と、別の事件とはいえ殺人などの加害者たち。さほど広くない部屋で双方が向き合う。その90分間が始まった。

「皆さんに… 自分の気持ちをぶつけてやろう、決してそんなつもりで来たわけではありません」と中谷さんが口を開く。

歩さんが生きていた頃の話をした後、中谷さんは事件当日のことを語った。

――中略――

中谷さんは20068月、高等専門学校の5年生だった長女の歩さんを殺された。中谷さんは事件後、ひどい精神状態に置かれていた。

  「犯人を前にしたら何をするかわからない」と思っていた中谷さんは、犯人を知って揺らいだ。犯人は同級生だった男子学生。自殺して見つかったため、動機など詳しいことは分かっていない。加害者の男子学生は娘の同級生で未成年。事件直後に彼が行方不明になった時は「この事件に巻き込まれたのではないか」と本気で心配していたという。娘から聞いていた人柄からすれば、罪を犯すようには思えなかったからだ。

男子学生が自殺して見つかり、捜査結果を聞いた後は「心の内を率直に語り合える友人が彼にいたら、あるいは事件直前の微妙な彼の変化に家族が気づいていたら、事件は起こらなかったのでは」と思うようになったという。

 2012年に中谷さんは30年以上勤めた仕事を辞めた。

退職してすぐ、犯罪や事故に巻き込まれた人をサポートする山口被害者支援センター(山口市)の支援活動員になった。やがて、美祢社会復帰促進センターから講演の依頼が届いた。今では山口県だけでなく、県外の刑務所でも受刑者と向き合う。中谷さんは一方的に講演するのではない。彼女が目指すのは「対話」だ。90分の終わりには、一人ひとりと言葉を交わす。

「みなさんを許すことができる最後の一人、それはみなさんご自身です。目指すのは、まずはご自身の幸せ。それでいいと思うのです」

中谷さんの語りかけに、「幸せになってもいいんですか」と震える声で返す人がいる。涙を流す受刑者もいる。生きることに罪悪感を抱いている受刑者たちも、事件がなければ、どこにでもいる女性と変わらない、と中谷さんは思うようになった。街で知り合えば、友人になっていたかもしれない、と。

 「犯罪被害者遺族が加害者である受刑者に対し、『幸せになって』と言うのはおかしいのかもしれません。でも、自分が自分の幸せを感じることで、他人の幸せを想像することができる。それが、人から言われたのではない、心からの反省を促す。そうした反省の気持ちは、被害者が亡くなっていたとしてもきっと伝わる。そう信じています」

中谷さんには、志を同じくする仲間が2人いる。

その1人は、神奈川県の小森美登里さん(60)。1998年に高校入学直後の長女を失った。いじめが原因の自殺だったという。それをきっかけに、いじめ問題の解決に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」をつくり、自らの体験を語り続けている。

  もう1人の仲間は東京都在住の入江杏さん(60)だ。2000年末に起きた「世田谷一家殺人事件」で妹一家4人を殺された。入江さんもまた、長い時間をかけて生きる意味を考え、語り合う場を設けている。その集まりを「ミシュカの森」と呼ぶ。犠牲になった姪と甥が大事にしていたぬいぐるみの名を取った集まりで、毎年、参加者とともに「悲しみ」と「生きる力」について考えている。

 他の被害者遺族には、加害者への強い怒りが消えず、苦しんでいる人もいた。もちろん、それも理解できるという。しかし、怒りを持つだけでは、犯罪をなくすことはできないのではないか、と考え続けていた。

もう、被害者も加害者もつくりたくない――。その思いから、3人は「人権の翼」のHPにこう記した。

「犯罪の減少、再犯率の低下を願う中で、『私達にも何か出来ることがあるのではないか』と模索しました。そして、加害者の心に変化が起これば犯罪は減らせるのではないかとの思いに至りました。加害者が主体的に充実した人生を歩み、人と人が支え合って生きる社会を目指すことが、再犯防止への一助となるものと信じています」

警察庁によると、刑法犯の認知件数は約285万件と過去最高を記録した2002年から減少傾向にある。2015年は109万件余り。一方、検挙者数に占める再犯者の割合は一貫して上昇している。2015年の検挙者は、初犯124411人に対し再犯者は114944人を数え、再犯者率は48%に達した。

加害者との対話を通じて、その傾向に少しでも歯止めをかけたい。その思いで中谷さんは走ってきた。以下、省略

 

 と、実に感動的なお話でした。

美祢社会復帰促進センターについては私も知っています。犯罪傾向の最も軽い「矯正可能な受刑者」を収容する施設です。たしかに、初犯の受刑者の中には更生を期待できる犯罪者も存在します(ごく少数ですが)。

 

そのような犯罪者のほとんどは美祢社会復帰促進センターに収容されますので、中谷さんたちのような方々が彼らをサポートしてやることは、再犯防止上の観点からみても、非常に有効な支援活動であると断言できます。

今後も中谷さんたちの活躍に期待したいと思います。

 

ところで、世の中には二種類の「殺人犯」が存在します。「矯正可能な殺人犯」と、「矯正不可能な鬼畜」だ。

矯正可能な殺人犯は本当に少数ですが、前記中谷さんたちのような人々がきちんとサポートしてやれば必ず更生・社会復帰が期待できます。彼らの特徴としましては、激情的ではありますが非常に純粋な心を持っていることです。私も現職の刑務官時代は、更生可能な犯罪者に対しては個別的に矯正処遇を行い、彼らの出所後の生活体系などについても具体的にアドバイスしてきました。彼らはみずから犯した事件に対する反省の念を持ち、改善・更生と社会復帰に真剣に取り組んでいたと記憶しています。

 

一方、現代社会には「更生不可能な鬼畜・殺人鬼」が存在しています。私が勤務していた刑務所は国内でも特殊な刑務所でした。連日、私が勤務してきた職場には、全国の刑務所から「暴行・好訴性、自殺・自傷、逃走要注意者」に指定された処遇困難者と呼ばれる受刑者が移送されてきました。彼らの行状については、拙著「真夜中の看守長」にフィクションとして登場させて記載してあります。

 

シンプルに表現すると、彼らは異常性格者であり殺人鬼です。社会の常識、倫理・道徳はおろか、法律も「塀の中の規則」もまったく通用しません。

 

彼らを収容している舎房で勤務する刑務官は、毎日が「命がけ」の勤務を強いられています。私もそこで20年以上も勤務してきました。鉄格子がなければ、彼らに既に殺されていたでしょう()

 

彼らの具体的な犯人像を挙げるとすれば、昨年7月26日、神奈川県相模原市内の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で発生した大量殺人事件の犯人の植松聖(さとし)容疑者(当時26歳)がすぐに浮かんできます。同容疑者に酷似した殺人鬼が多く収容されていました。

彼らの「矯正、改善・更生」などという事に取り掛かる以前の問題ですが、どうしたら職員がその日無事に帰宅できるかということが最優先課題でした()

 

危険な状態の彼らが満期出所の日を迎えると大概、「措置入院」が決定して彼らを民間の精神病院に強制的に入院させます。しかし、23か月で退院してしまい、再び残虐な殺人事件を犯してメディアで報道されたケースもありました。

 

さらに、彼らのような殺人鬼以上に怖い殺人犯がこの社会には存在しています。

「プロの殺し屋=ヒットマン」です。以前、「餃子の王将」の社長が至近距離から拳銃で射殺された事件はプロの犯行と言われています。未だに犯人は逮捕されていません。まあ、今後も逮捕されることはないでしょう。プロの犯行ですから。残念ですが、現代社会には「闇の世界」が存在しているのも事実です。稀にですが、その世界の住人も「塀の中」に入ってきます。彼らの塀の中での行状は優秀そのものです。だが、絶対更生不可能なことはここで説明しなくても理解できるでしょう。「殺人」が商売(職業)ですから。

 

一昔前(暴対法が施行される以前)までは、ヒットマンが抗争相手の暴力団を殺害してもおおむね「懲役7年」程度の軽い刑罰で済みました。

「ヤクザ者の命は軽いんだよ」と、その世界の住人が嘆いていたこともありました。ですから当時、その手の殺人事件は横行していましたし、「身代わりの犯人」がチャカ(拳銃)持って自首してくるのも日常茶飯事でした。

 

暴対法が施行されて暴力団が排除されつつある現代においても、まだ「闇社会」の住人は存在していますし、当局では、彼ら「ヒットマン」がどこに潜伏したのかさえわからない始末です。

 

話は若干逸れましたが、私は以前、「死刑制度廃止」の思想を持っていました。実は、今でも死刑制度に抵抗感があります。人間が人間を殺すことなどに正当な理由などありません。刑法に規定されているとはいえ、個人の生命を国家が抹殺するなどという蛮行は即座に廃止すべきだと思います。

 

しかし、被害者遺族の人々による「同害報復感情の慰撫」による死刑存置の理由からではなく、前述したとおり「更生不可能な殺人鬼の存在」と、現在の国内の治安状況から判断すれば、一般庶民の尊い生命を守るという社会正義防衛上の観点から「死刑制度は存置」するしかないのです。

そして、死刑が確定した以上、「恩赦」などにより「無期懲役刑」に減刑される前に、刑法に規定されたとおり6か月以内に執行すべきではないでしょうか。

 

この野蛮な思想は、「異常刑務所」で30有余年も勤務してきた刑務官としての「日本の死刑制度」に対する最終的な結論です。

 

それでは今宵、故磯谷利恵さんの命日を迎えるにあたり、彼女のご冥福を心からお祈り申し上げます。