秋は夕暮れ家は平屋

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09月30日(土)
町内ご近所でおこる話し (38)
高齢者の造りへの不満
   
 町内の秋葉神社の祭りごとが室内で行われることになっている。室内とは達磨大師の館を借用していることだ。年4回の参拝行事できょう集まったとき,隣り合わせになったはす向かいの医院のおばあちゃんの話で,「階段の上り下りは大変」という。

 70歳代の足腰と心臓に階段はきつい。エレベータが欲しい。建築当時は5階以上でないとつけられなかったそうである。宅急便さんには印鑑を自分で押してと3階から叫ぶそうである。平屋に住みたいといわれる。町の中では広い敷地をもつ家はほとんどない。どうしても上に積むしかない。車が一番いいスペースを独占する。
 この図のような建物は敷地一杯に建っている。休日は家庭で過ごすという意味を考えてみると,まず,家庭とは家と庭があって,家の中から庭が見えるという情景からつけられた名前である。過ごすとは夜寝ることだけではない。庭を見ながら時の経過の中に自己を見つめ,明日の生き方を創造するプランを考え出すことである。

 家と言うテーマは奥が深い。生命活動の原点である。住居と言い換えてもいい。居場所と言うハードウエアと時間の経過と共に自分の動作を決めるソフトウエアがコラボレーションしてこそ人が生きている証拠になる。例えば,明日一番にこのブログをアップロードすることを楽しみに今夜はここで休もうとけりをつける人は目的もなく寝ることはできない人である。きょう満足なことを何もせずには寝られないのである。つい夜更かしをしてしまうのはこのタイプである。朝目を覚ましたとき,目的が無いとこれまた起きられない。現役を引退するとこういうことが多くなる。起きれば庭を眺められる家にいれば,少なくとも1割位は覚醒後の離床に役立っている。現代の町の住宅事情は部屋だけの真っ暗な家または窓に映る景色はとなりの屋根やマンション,同じ階の窓ということになる。一握りの孤高の高層マンション住民となれば天井人の感を抱けるが,ソフトウエアがそろっているかで満足人の数は絞られてくる。いま私は何も言うことはない。ハードもソフトも揃っている。
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