お疲れのお寺さん

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09月12日(火)
故きを温めて新しきを知る (10)
供養する気持ち
 
 裏金作りの話題の次の話題には供養がいい。お寺さんにお経を読んでもらって,何某かのご仏前を渡す。終わってお寺さんを送り出すとき,表通りは車の列が信号の青待ちをしている。運転手は暇そうにきょろきょろしている。お寺さんの墨染めの衣に気づいてこちらの方に目を留める。お寺さんが自分の車の運転席に乗って発車するまで私と一緒に運転手みんなが見守ってくれる。ご近所の方も一人ぐらいは見守ってくれているだろう。このときが至福のときである

 やれやれ終わったという安堵感ではなく,あまり行われていないことをうちではやれるという満足感と金の使い方の3つのうち(「人様のために使う」・・・・徳を積む生活ができること)である。一方「人様の金を騙し取って自分のために使う」・・・・罪人生活,「自分のために稼いで自分のために使う」・・・・徳をつぶす生活。こんな風に道徳というものを科学的に捉えたものの考え方もある。
 今日はいつもになく声に張りがないのである。途中で声が消えそうになる。そのまま倒れてたいへんということになるのではという予感までした。朝8時から来ていただくには,その準備のため前日から生活を制御しなくてはならない。1日何軒かを廻って,同じお経を読む。月1回でも聞き飽きる文言なのに自分先頭に立って何千何万回とうたわなければならない。声が出せない理由も察せられる。

 お経が終わると,世間話なりお説教が始まるのが普通であるが,この方はそれが苦手らしく,天気の話だけしか発せられない。従って毎回こちらで話題を作って提供しているのが実態である。今日は秋篠宮家の親王様のお立場の話を出し,早くルールを確立しておかないと,物心つき始めてしまわれた愛子様のご養育に影響すると思うということで結んだ。
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