『中原中也』は日本の『ランボオ』と呼ばれる。
『ジャン・ニコラ・アチュール・ランボオ』
(1854~1891年 19世紀のフランスの象徴派詩人、小説家)
ダダイスト、シュールリアリストら、
20世紀の詩人に絶大な影響を与えた。
現在の我々が『詩』とみなしている文章の原型は
ここにあると言っても過言ではない。
今日はその『ランボオ』の言葉をご紹介します。
『 千里眼でなければならぬ、
千里眼にならなければならぬ、
と僕はいうのだ。
詩人は、
あらゆる感覚の、
長い、
限りない、
合理的な乱用によって
千里眼になる。
恋愛や苦悩や
狂気の一切の形式、
つまり一切の毒を、
自分を探って
自分の裡で汲みつくし、
ただそれらの精髄だけを
保存するのだ。
言ふに言はれぬ苦しみの中で、
彼は凡ての信仰を、
人間の業を超えた力を必要とし
又、それ故に、
誰にも増して偉大な病者、
罪人、呪はれた人、
…或は又
最上の賢者となる。
彼は、
未知のものに達するからである。
彼は、
既に豊穣な自分の魂を、
誰よりも耕した。』
<アチュール・ランボオ>
『ジャン・ニコラ・アチュール・ランボオ』
(1854~1891年 19世紀のフランスの象徴派詩人、小説家)
ダダイスト、シュールリアリストら、
20世紀の詩人に絶大な影響を与えた。
現在の我々が『詩』とみなしている文章の原型は
ここにあると言っても過言ではない。
今日はその『ランボオ』の言葉をご紹介します。
『 千里眼でなければならぬ、
千里眼にならなければならぬ、
と僕はいうのだ。
詩人は、
あらゆる感覚の、
長い、
限りない、
合理的な乱用によって
千里眼になる。
恋愛や苦悩や
狂気の一切の形式、
つまり一切の毒を、
自分を探って
自分の裡で汲みつくし、
ただそれらの精髄だけを
保存するのだ。
言ふに言はれぬ苦しみの中で、
彼は凡ての信仰を、
人間の業を超えた力を必要とし
又、それ故に、
誰にも増して偉大な病者、
罪人、呪はれた人、
…或は又
最上の賢者となる。
彼は、
未知のものに達するからである。
彼は、
既に豊穣な自分の魂を、
誰よりも耕した。』
<アチュール・ランボオ>