伝承によれば,園城寺(三井寺)の草創は7世紀まで遡りますが,中興の祖は9世紀の天台寺門宗宗祖の円珍で,
以降,寺院は皇室,貴族,武家等,幅広い信仰を集めて栄えたとあります。しかし円珍の没後,比叡山の円仁派と
対立を深め,いわゆる「山門寺門の抗争」と呼ばれる両者の対立抗争を繰り返しました。延暦寺の焼き討ちは中世
末期までに大規模なものだけで10回,小規模なものまで含めると50回にも及んだといわれています。
以降,寺院は皇室,貴族,武家等,幅広い信仰を集めて栄えたとあります。しかし円珍の没後,比叡山の円仁派と
対立を深め,いわゆる「山門寺門の抗争」と呼ばれる両者の対立抗争を繰り返しました。延暦寺の焼き討ちは中世
末期までに大規模なものだけで10回,小規模なものまで含めると50回にも及んだといわれています。