今はまだまだ人生を語らず

温故知古、古きを訪ねて古きを知る

とうさん

2018-11-03 09:54:18 | 人生を語らず
10月31日、ポールから帰ったらかみさんの会社が倒産、社長は夜逃げ、
給料未払いのまま。

ま、気を取り直して11/2は検見川神社へ、11/4の明日は九重神社で。本格的な
お祓いに行きます。



ポールの東京ドーム。やっぱりゴールデンスランバーは泣けるよね。ずっと聴き
続けてまだ泣けるってどういう事なんだろう。それが東京ドームだからなのか
どうかは不明。でも、11/1のこの曲を聴き終えて、いろんな意味でこれ以上は
ないと思いました。

自分が見ているものは、すべて自分の姿が鏡にうっているものだと本当に思い
ます。

不思議だよなあ、90回以上ライブを観て、毎回、今日のポールはどうだったとか
こうだったとか、今まで観たライブの中でもピカイチだとかそんなことばっかり
思うのに、全くそんな比較が自分の中でなされません。

きっと、自分の人生の瞬間瞬間を比較しないのと同じなんだろうね。だから、
10月にいろいろバタバタしたことも、だからこの10月は人生で最悪な月だった
とか、そんな時こそ前向きにとか、そういうことを考えなかったのかもしれま
せん。

で、とってもいいインタビューを見つけました。すでに20年以上もこういった
インタビューを読むことをしていないのですが、今回、目について読んでみた
のも何かの縁。

無断転載はいけないと思いますので、あとでサイトの方にはご連絡しますが、
リンクがなくなったら嫌なので、メモということでそのまま。



9月7日に5年ぶりのニューアルバム『Egypt Station』をリリースし、36年ぶりの全米ナンバーワンを獲得したポール・マッカートニーが、10月29日に来日。本日より『フレッシュン・アップ ジャパン・ツアー2018』を東京ドーム、両国国技館、ナゴヤドームで開催する。

来日した翌日の30日には、東京ドームにて念入りなリハーサルを行ったポール。そのリハーサル終了後、「若くて感受性豊かな人たちに自分の想いを届けたい」という彼の要望を受け、CINRA.NET独占インタビューを行うことに成功した。

「Sir」の称号を持ち、ロックミュージックの歴史を半世紀以上も更新し続けてきたレジェンド中のレジェンド。しかし目の前の彼は、ステージでの振る舞いとまったく変わらない、気さくでチャーミングなジェントルマンだった。

—あなたは音楽だけでなく絵画にも造詣が深く、ご自身でも絵を描かれます。最新作『Egypt Station』のアートワークも、1999年にご自身が描いた同名の絵画がモチーフになっていました。

ポール:うん、そうだね。

—この記事は10~20代の読者も多く読むことになると思うのですが、その頃のあなたはどうやって感受性を磨いていましたか? 音楽やアート、ファッションなど、どんなふうに吸収し、アウトプットしていたのでしょうか。

ポール:僕は17歳で学校を卒業したのだけど、最初に興味を持っていたのは英文学や詩だった。芝居を観るのも好きで、アートに興味を持ったのはそのあと。特にモダンアートがお気に入りで、よくギャラリーには通っていたね。

音楽に夢中になったのはさらにそのあとで、とあるグループに加入することになった。それがThe Beatlesだったというわけ(笑)。しかも、そのメンバー全員がアートに興味を持っていて、特に映画が好きだった。みんなで映画の監督をするのが夢でね。

—そうだったんですか。

ポール:「俺たちなら絶対になれる」と思っていたし、なんなら今もそう思ってる(笑)。とにかく想像力が豊かだったね。The Beatlesのいい点ってたくさんあるんだけど、中でも「想像力」と「知性」は他のグループよりも、少しだけ秀でていたと思う。学校の成績もよかったし、音楽一筋って感じではなかったからこそ、僕らはどんどん進化することができたんだ。
—そんなクリエイティビティやイマジネーションは、どうやって磨いていたのでしょう。ネットもまだなかった時代に、どうやって情報をインプットして、それを昇華し作品としてアウトプットしていたのですか?

ポール:そうだよね、きっと若い人たちには想像つかないかも知れないな。もちろんSNSもなかったから、人との直接的なやり取りがすべて。今、こうやって君たちとしているように、面と向かい合って話をすること、あるいは電話をすることくらいしかなかった。「今度、こんな映画があるから一緒に観に行こうよ」とか、電話だったり面と向かってだったり、とにかく声を直接聞くことが、今思うととてもよかったんじゃないかな。

—今じゃ用件は、ほとんどメールやメッセンジャーで済ませられますからね。

ポール:もちろん、便利だと思うよ? でもさ、「明日の朝どうしてる?」ってメールを送ったとして、「仕事です」って返ってきたらそれで会話は終了だよね(笑)。電話だったら、「なんで会えないの?」「気分はどう?」みたいに会話が続いていくだろう? メールよりもずっと多くの情報を交換し合っていたと思うんだ。

ジョークも伝えやすいよね。「明日の朝どうしてる?」も、言い方によっては冗談めかして笑わすことだってできるけど、メールでは字面でしか判断できない。想像力を発揮しながら相手と言葉のキャッチボールをしていた時代のほうが豊かだったと思わない?

—The Beatlesの4人はいつも一緒で、しょっちゅうジョークを言い合っていましたよね。

ポール:あの頃の僕らは、電話も時間の約束をするくらいで、対面で話してばっかりだったよ。お互いの家にしょっちゅう行き来して曲を書いていたし、すごく親密な関係だった。だから、誰かがなにかを言えば、それはどんな気持ちから出た言葉なのか、本当はなにを言いたかったのかまで、お互いに理解し合っていたんだ。ちょっとした表情でも伝わることがたくさんあったしね。

そうやって、インターネットのなかった時代のコミュニケーションは、クリエイティビティやイマジネーションを磨く上でも役に立ったんじゃないかな。
—『The Beatles(The White Album)』がリリースされたのは、ちょうど今から50年前ですからね。

ポール:50年だって! 信じられないよ(笑)。時間って不思議だと思うんだ。特にアーティストは、時間の経過をあまり感じなくなるというか。

「Time flies when you're having fun(楽しい時間はあっという間に過ぎる)」という言い回しがあるけど、まさにそれなんだよね。50年がこんなにあっという間だったってことは、やっぱり楽しんでいたんだろうなと思う。
—50年前に発売されたアルバムを、若い人たちが今も聴いている状況についてはどう思いますか?

ポール:そこが僕も興味深くてね。The Beatlesはもちろん、Wingsもそうなんだよ。多くの若い人たちがWingsの作品を「再発見」してくれているということを、僕自身も最近は実感しているんだ。

—たとえばThe Lemon Twigsなどは、The BeatlesというよりWingsからの影響を感じる楽曲も数多くあります。

ポール:本当にありがたいよね。作品というのは、リリースされて5年10年経つと忘れ去られてしまうものだと思っていたから。

なのに、The BeatlesだけでなくWingsまで今も残り続けていて、どんどん再評価が進んでいる。ツアーのセットリストに組み込めば、10代くらいの子たちが一緒に歌ってくれて、僕よりちゃんと歌詞を覚えてくれているんだ(笑)。

—(笑)。

ポール:僕にはアーサーっていう19歳の孫がいて、彼の友達がライブを観に来てくれてね。「“All My Loving”っていう曲がすごくよかったです。新曲ですか?」って言うから、「いや、ものすごく古い曲だよ」って教えてあげた(笑)。でも、その子にとっては初めて聴く曲で、新鮮だったんだろうね。
—70歳を過ぎてもなお自分自身を「Freshen Up」し続け、ポップミュージックに向き合うモチベーション、エネルギーを保ち続けられる秘訣はなんでしょう?

ポール:「楽しんでいること」と、「情熱を持ち続けること」かな。君たちもジャーナリストとしての情熱があるだろ? 「さて、これをどうやって記事にしようか?」みたいなときの、居ても立っても居られない気持ちというかさ。

—今まさに、それを味わっています(笑)。

ポール:そういうことだよ。情熱を持って、楽しんでやっていれば、それがモチベーションにもエネルギーにもなる。

だから仕事じゃなくて、遊んでいるような感覚というのかな。たとえばメンバーやスタッフが、「明日のライブ」を「明日の仕事(work)」って言ったときに、僕はいつも「いや、遊び(hobby)だろ?」って返すんだけど(笑)。
ポール:とにかく、楽器を演奏したり楽曲を作ったりするのが楽しくて仕方ない。だってさ、クリエーションというのはなにもないところから始まるんだよ? ところが、僕が「曲を作ろう」と思えば、2時間後にはそこに新しいものが生まれている。こんなにワクワクすることってないよ。このインタビューが終わって、君が記事を書き上げたとき、すごい快感を味わうわけじゃない?

—間違いないです。

ポール:まさにその気持ち! 愛と情熱を持って、楽しんでやれば、快感を味わえる……セックスもそうだな。

—え?

ポール:いや、なんか聞こえた?

—録音してますよ(笑)。

ポール:おっと!(笑)
—(笑)。ところで、「Don't trust over thirty(30歳以上は信じるな)」というフレーズが1960年代に生まれたじゃないですか。

ポール:そうだね。僕もそう思っていたよ。特に17歳くらいの頃、年上の人を哀れな目で見てしまっていた。ジョン(・レノン)と僕はアートスクールに行っていたんだけど、学校に24歳くらいの人がいてさ。無精髭を生やしている様子とか、ものすごく年上に感じたし、「気の毒に……」なんて2人で言ってた。

でも、そんな僕らが30歳になったときには、「24歳なんて若いな」って(笑)。で、40歳になれば、「30歳なんてまだまだ若いな」って思う。その繰り返しだよ。

—ポップミュージックはティーンのものとされていますし、あなた自身もおそらく20代の頃には、そういう姿勢で曲を作っていたと思うんです。

ポール:その通りだよ。曲作りとかで煮詰まったとき、僕とジョンはいつも「17歳の自分だったらどうしていただろうね?」って考えていた。だって、17歳の頃の自分が一番いい答えを知っていたから。いいものはいい、嫌なものは嫌とハッキリ言えたのは17歳の頃で、大人になればなるほど、「うーん、まあそれもアリかもね」みたいに言いがちじゃない?

—『Egypt Station』に収録された“Confidante”で、<君は僕の相談相手だった 階段の下の友達ってところさ>と歌っていて。これは永遠の相棒であるジョンのことのかな、と思っていたんですけど、ひょっとしたら「17歳の頃のポール・マッカートニー」なのかも知れないですね。70歳を過ぎた今も、あなたの心の中に「彼」は住んでいますか?

ポール:というか、僕は今も17歳だからね!(笑)
—『Egypt Station』は素晴らしいアルバムで、あなたはThe Beatles時代から現在に至るまで、常に新しいものを取り入れて、最新の表現を実践しながら世界の最前線を走ってきました。

ポール:The Beatlesというグループは、アルバムを出すたびにアートフォームとして前進し続けてきたからね。とりわけ『The White Album』での成長は大きかった。内容も盛りだくさんだったし、かなりユニークな楽曲も入っていたからね。

自分たちとしては、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を作り上げたときに、「もうこれ以上、先には行けないかな」って正直思った。だけど、道を探せばちゃんと前に行けるということを、『The White Album』が証明してくれた。
—ただ、当時はメンバー同士の絆にも、少しずつ亀裂が生じ始めていたと聞きました。

ポール:ビジネス的にはゴタゴタしていたからね。オフィスに顔を出せば、大人たちから「ああしろ」だの「こうしろ」だの言われたわけだよ。僕らはその場で、「つまんない話だな」って内心思ってた(笑)。

だけどスタジオに戻れば、そこは4人だけの空間だ。クリエイティブな作業ができる、アーティスト集団としてのThe Beatlesはいつだって最高だった。ジョンの曲で僕がベースを弾き、僕の曲でジョンがギターを弾く……リンゴもジョージも、みんな一丸となった曲もたくさんあったんだ。

今振り返ってみれば『The White Album』も、The Beatlesのキャリアの中で1つの通過点だよね。The Beatlesの時代は、自分でも驚くような変化を経験してきた。様々なタイプのアルバムを出して、有名になってお金も入ってきて。未だに真似する人がたくさんいるくらい、クールなファッションを身に纏ってね。ガールフレンドができたり、結婚するメンバーもいたりして、人間的にも成長した。それが僕の20代。

—そのあともずっと変化し続けて、『Egypt Station』は36年ぶりの全米ナンバーワンを獲得しました。
ポール:そうだね。『Egypt Station』でまた前進ができたと思っているよ。「ああもう、アルバム作りなんて飽き飽きだ。お金も充分稼いだし、バケーションでも取るか」なんて言うこともできるわけじゃない?

—そうしたいですか?

ポール:いや、無理だな(笑)。時間があればすぐ創作活動に取り掛かりたくなるから。

—本当にワーカホリックなんですね。

ポール:言っておくけど、ちゃんと休暇も取ってるよ? 「すっごく忙しそうですよね」なんてよく言われるけど、実はこの8月は丸々休んでたしさ。そんなことできる人なかなかいないでしょ?(笑) 言うほどワーカホリックな人間ではないんだよ。でも、ひと月休むと「よし、また頑張ろう」って思えるからね。

—休暇は家族のためにも必要ですしね。家族といえば、ファッションデザイナーのステラを始め、写真家のメアリーや音楽家のジェームズなど、あなたの子どもたちはみなクリエイティブな仕事に就いていますよね。

ポール:そう、みんな頭がいいんだよね。ほら、これ見て(と言って、ポケットからスマホを取り出し、裏面に貼られた孫や子どもたちが写った集合写真を見せてくれる)。こうやってスマホのケースに写真を貼っておけば、いちいち画面を操作しなくていいから楽なんだ(笑)。

—とても愛らしい写真ですね。クリエイティブな人になるよう、特別な子育てをしたんですか?

ポール:いや全然。すべて本人に任せていたよ。ステラに「ファッションデザイナーを目指しなさい」なんて、僕からもリンダ(写真家だった最初の妻)からも言ったことはない。自分からファッションに興味を持つようになって、大学で服飾の勉強するようになった。メアリーも、ジェームズもそうだよ。

人にはそれぞれ人生の方向があり、自分たちで気づいて進んでいくのが大切なんだ。僕はそれをサポートしただけ。決して無理強いをしてはいけないんだよね。そんなことをすると、抵抗して親の望みとは真逆の道へ進むことだってあるから。
—あっという間に時間がきてしまったので、最後の質問をさせてください。『Egypt Station』でも様々なメッセージが歌われていますが、あなたは今の社会をどう見ていますか?

ポール:僕はね、世界で起きていることは「振り子」のようなものだと思っている。たとえば、リベラルな考えの方向へ偏ると、その反動で今度は逆方向へ向かう。残念なことに、それが今の「右傾化」じゃないかな。

たとえばトランプは、うーん……(顔をしかめる)やはり無神経な人間だなって思う。ピッツバーグの乱射事件(10月27日、米ペンシルベニア州ピッツバーグにあるユダヤ教礼拝所で、男が銃を乱射し11人が死亡し6人が負傷)があった直後に政治集会を行い、そこでファレル・ウィリアムスの“Happy”を使っただろ?

—はい。

ポール:(“Happy”を口ずさむ)“Happy”だぜ? あの曲を、あの状況で流せる人間が、果たして無神経でなくてなんだろう。トランプっていうのは、人に対する思いやりや想像力に欠けた人物だと思うね。

彼に限らず世界では今、様々な国で右傾化が進んでいると思うし、それはいいことじゃないと僕は思う。なので今は、その振り子がまた揺り戻されるのを僕自身は待っているんだ。必ず戻るとも思っているしね。

—そんな中、音楽はどういう状況にあると思いますか?

ポール:音楽そのものは、今なかなかいい状況なんじゃないかな。音楽的な人間は、リベラルな人が多いしね。一部のヒップホップに過激な歌詞が見受けられるけど、そういった内容に特別注意を払ったり、その内容に心酔したりするリスナーはほとんどいないだろうしね。「ただビートを楽しんでいるだけ」というか。

だから、そんなに深刻には考えてないし、音楽で人が悪い方向へ進むと僕自身は一切思わない。むしろその逆で、どんなポップミュージックであっても、音楽は人間にとっていいものだと僕は思っているんだ。今、問題があるのは政治の世界の人間だけだよ。

実は今日、Instagramにメッセージを投稿しようと思ってる。それは銃規制に関するメッセージなんだ。「アメリカのみなさんが、選挙において選ぶ政治家が、理性的な考えを持って銃規制に臨む考えの人であって欲しい」と。また、銃規制に関する集会に参加してきたのだけど、素晴らしかった。主に若い人たちが中心でね。中には、学校で銃撃戦にあったという人もいた。そういう人たちが参加しているのはとても意味のあることだと思うし、やはりここら辺で変化が訪れなくてはいけない。そうあって欲しいと思っているよ。