今はまだまだ人生を語らず

温故知古、古きを訪ねて古きを知る

後悔

2017-06-30 07:55:01 | 私は今日まで生きてみました
やっぱりビールを飲んでしまった昨晩、都合この2日で2.4キロ増。
今日から緊急ダイエットだ。決意を新たにして。9末までにあと
5キロ、年末までにあと10キロ。がんばるぞお。

来週末はついに東武スーパープールが開幕。もう次男と2人で
遊びに行くのも最後のシーズンかも知れない。

いつまでも友達でいよう、
大きくなっても親友でいよう。

拓老師のアキラが胸にしみる〜

迷ってる

2017-06-29 10:07:35 | 私は今日まで生きてみました
昨日は壮行会。というか、送別会というべきか。

ビール飲みすぎてまた1.8キロリバウンド。。。

昔は歓迎会はあっても送別会は無かったり(失敗プロジェクト)、
歓迎会も送別会も無かったりという環境に居たのだが、今の会社は
平和でそんなことはない。

大学を3年ダブってる私は、あと7、8年で会社からサイナラだ。
今の職場は遠いけど気に入っているので、もうこのままでいいかな
と迷ってる。

今日は楽しみにしていた送別会。ビール飲むかも迷ってる。

心残り

2017-06-28 05:22:15 | 私は今日まで生きてみました
昨日はひたすらユイを聴きながら鴨川へ。
ユイ、可愛いわ。
2010年の名古屋の音源聴いていて、ロリスタがポールの1976年のJETみたい
で、すんごいスピードと迫力。もう大興奮。って、そんな音源は西新宿でも
売ってませんから(笑)

で、仕事の合間にポールのメルボルンのチケットもとっちゃった。
83公演目(笑)

メルボルンに追加が出れば84公演か。100まで行けるか?うーむ。
来年は日本に来なければ行かないつもりなので、厳しいかもしんない。
でも100行かないと心残りだろうなあ、死ぬ時。

で、FBを止めるのにも心残りなことがあり、それは外国の友人との
つながりがなくなっちゃうこと、そして、もう亡くなってしまった
中村将さんと繋がれなくなっちゃうこと。

https://www.facebook.com/masaru.nakamura.71?fref=ts

あの時、中村さんは病床から、私がポールのリバプールとトロントに飛び
立つ時に背中を押してくれました。
でも、その写真を入れた2016年版のカレンダーが完成する直前に亡くなって
しまいました。なので、2016年版のカレンダーは中村さんへ、2017年版の
カレンダーはヘンリーに捧げたものなんですよ。



今年は作らない予定でしたが、ビーソフテンをいただいたお礼をしない
といけないので(笑)、数量を去年の半分にして作ります。(すいません、
値段も倍になってしまいますが、本当の友人だけにお譲りします)。

ブログのスピード感、ちょっと考えて文章が書けるってやっぱり
私には合っている気がします。

Maquiさんのブログ、A Day In The Lifeを拝読して思ったことです。

では行ってきます。

1980年代 フレンチテスト

2017-06-27 22:18:16 | ポール


漆黒のフランス盤テスト。
MY BRAVE FACE。

この1985年ごろから数年間作られた黒レーベルのEMI系のおフランス
テスト盤はマジで音がいいと充彦会でも大評判。



テスト盤の音の良さは諸説あるも、私は限界までのカッティングだと
思っています。

もうレコ買いは控えておりますが、All The Bestのフランステストを
以前買い逃してしまい、後悔しております。

7月16日のイベントに持参します。







ニュース

2017-06-27 07:20:52 | 私は今日まで生きてみました
昨日は人事発令日。担当全員、100人、もちろん私も含めて発令という
暴挙の中で、死ぬほど忙しかった1ヶ月が終わろうとしている中、
風邪ひいた。

今日はそんななか鴨川行き(笑)。

こんな生活をしている中で、テレビなし、ネットなしだとニュースが
全く入ってこない。誰が死んだとか、なんとか罪とか、築地とか、
そういうのも全くわからない。

でも、昔はもう少し情報を知ってたと思う。それはなぜかと思い起こすに、
電車の中での「東スポ」、いや正確に言うと東スポの1面見出しが電車の
中にあふれていたからだと思う。あと、電車のつり革広告で、週刊現代、
ポスト、女性セブンなどの広告をみていたからだと。

そういえば、あの時は妙に、山⚪︎組の抗争や、プロ野球ネタ、イラクの
フセインネタに強かった。国内、国際、スポーツ、全部情報を得ていたと
思う(笑)。下世話ネタばかりだが、それで十分だった。

ま、ということで何が言いたいかというと、ニュースに触れなくても
全くもって私は生きていけるということ。ニュースは、実は私の
人生にとってもっともかけ離れたものなのである。

あ、大学時代にテレビ局の報道担当が第1希望だったということは
内緒です。

写真はこの間、飛行機から撮った千葉の海岸。私の営業先でごわす。
来月に一宮町に営業に行こうっと。

NEW III三III

2017-06-26 07:32:00 | 私は今日まで生きてみました


昨日は雨、なので一日中イベントのレコとDJセットの準備。
レコ選びは大変。今週末もう一度。

ポールがなぜあんなにポジティヴなのか、それはベジに関係がある、と
教わった。へえ、と思ったけど、やっぱりそうかも。昨日は朝昼晩、ほとんど野菜。
確かに胃の調子はいい、だからよく寝れる(深い睡眠が50パーセント位に、
去年、睡眠時無呼吸で入院した時の5倍!)、朝の時間が出社の準備の為から
自分のために使う為に変化、と、こんな理屈なのかもしれない。

ツイッターやめた、スマホやめた、ラインは女子限定(かみさん含む)、
FBメッセンジャーは業務連絡のみ。ヤフオクやめた、家そばのスーパーで
売ってるものはアマゾンで買わない。こちらのダイエットの方も相当な効果が
出ていると思う。

昨日のレコ選びでわかったことは、別途ご報告します。しっかし、1980~90年代の
アナログレコ末期のアメリカプレスは神。イベントでご報告します。

努力とデータ

2017-06-25 07:15:10 | 拓老師


昨日は長男の学校の進路説明会。

30年前、共通1次を受験した私。けっこう違うのかなあと思いきや、
そうでもなかったです。

進路指導の名物先生が言うには、

結果ががともなわない努力は、努力じゃない。(うんうん)
データに基づいて努力しろ。(うんうん)
偏差値は得点になおせ。(うんうん)

と、普段、法人営業セクションの番頭として仕事をしている
私としては至極当然に思いつつも、今の世代は、これからずっと
こんな風に管理されていくんだと思うと可哀相になったです。

がむしゃらに努力するよりは、賢くデータを分析して努力する方が
効率的でもあります。

ちなみに、最後の偏差値は得点になおせ、は、法人営業の現場では、
「利益貢献額は売上になおせ」です。

こんなこと言っちゃなんですが、4年後の就職とかそんなこと
考えないでやりたいことが出来る大学に行った方がいいんじゃない
かなと。

でも、パパは長男には基本は何も言いません。というか、昨日の
進路指導の話を長男も聞いているとしたら、私が言うことなんて
あまり意味がないような気がします。


今朝の1枚(片面)は、よしだたくろうの「今はまだ人生を語らず」の
A面。かまやつ爺、合掌。



fightからスタートラインへ その3

2017-06-24 22:57:28 | yui
スタートライン(カバー)


2013年3月、自分がフラフラになりながら観に行ったオカメインコツアー。
シークレットライブで唯一感動したのがスタートラインだった。

衝撃の歌詞のコーヒーは正直言って理解を超えてしまった。

金髪のショートで、最後まで自分がyuiであることを言わず、黙々と歌い
続けたライブだった。限界に達して、YUIをやめた彼女がたどり着いた
場所はこんなうるさいバンドサウンドなのかと思ってしまった。

私も今までいた平安貴族の会社を離れ、ちょっと変わった会社の開発
チームの責任者をやっていた。複雑な人間関係、20年近く信頼して
きた人は、実は信頼できない人だったのでは、と思い込んでもいた。
あの時はもう限界だった。もうサラリーマンを辞めて消え去りたいと
思っていた。

「ずっとスタートラインに 憧れていた
やっとたどりつけたよ いつだってやり直せるんだよ」

あまり聴き取れなかったスタートラインの歌詞で、
この部分を聴いたときに、本当に心が揺さぶられた。

その後、インコの群れというツアーは、チケットを持っていたが、
奇しくもかみさんの誕生日とヒューイルイスの来日公演とぶつかり
観に行けずで、このままyuiは卒業かとおもいきや
そののちにこの曲を含んだ「実」というフラフラの
1stアルバムに収録された。

この1stを聴いたとき、もちろんスタートラインへの感動もあったが、
アルバムとしてこれは間違いなく名盤だ、私の心の1枚に
なると思った。2013年3月に聴いた曲の大半が、丁寧に、
力強くアレンジされ、yuiが指向しいたバンドサウンドでまとめられて
いる。fightから綺麗にストーリーになっている。そして、常々言って
きたが、シングルヒットを織り交ぜたYUI名義のオリジナルアルバムは
まとまりがなく、本当に残念に感じてきたから。

「実」は、そんなに売れてないし、多分、旧来のYUIファンには
あまり理解もされていないと思う。まるでPaulのWild Lifeのような。
だからよりいいと感じるのかもしれない。

で、「冬」という曲を、オノヨーコばりのハンドマイクで絶叫する
オープニングだった先般のビルボード大阪での復活ライブ。
やりたい音楽をやっと見つけ、それを待っていた人たちに優しい
気持ちで届けたyuiにふた回り年上のサラリーマンは励まされた。

「帰ってきた この場所に
 今今 感謝をする
 ただ泣いている
 また会えたから
 良かったよ心から」

まさか、復活する時のオープニングの曲のために作ってたのかな?
初夏に、「冬」がオープニングだなんて、泣くしかない!

おかえり、ありがとう。ということでyuiは卒業しません。






fightからスタートラインへ その2

2017-06-24 21:09:57 | yui
YUIのテレビ「fight!」


昔、私が29歳の時、会社の処遇というか扱いに納得できず転職活動をした。
その時、とあるコンサル会社とライバル会社の広報部門から内定を頂き、
辞める気満々で、当時尊敬していた取締役のところに行った。

なぜか品川プリンスの屋上で面談となった。

「あ、苦労するよ、やめときな、転職。君はおぼっちゃま。うちの会社は
平安貴族の集まり。もって3年、多分1年で終わるよ。」

「俺は片親で超貧乏。大学時代、お腹が空いて雪食べて凌いだこともある。」

ああ、そういうことなのか。

当時、築地の新聞で地位を得ていた父親にも会いにいった。一言、
「好きにすればいい。でも厳しい環境で苦労するぞ。家族も子供もいる
から働き続けないといけないぞ。」

1969年生まれの私、子供の頃の写真を見たら、とてもその昭和の時代の
子供たちの格好をしているとは言えなかった。

平安貴族。

きっとYUIも私の子供の時代の写真を見たらそう思うだろう。
そんな彼女が、身を削って平安貴族たちに歌った曲、それがfightだと
今でも思っている。

そして、BeatlesのAbbey Roadと同じく、多分これがYUIとしての
最後の仕事だと思って歌ったんだと本気で思っている。

名曲だ。

プリンスホテルのてっぺんで、酒飲みながら、転職したいといった
平安貴族に聴かせてあげたい曲だ。

YUI fight

fightからスタートラインへ その1

2017-06-24 21:00:12 | yui


確か、YUIが最初の休養前のシングルはSummer Songだったと思う。
私が1番好きなYUIの曲。ふた回り年下のYUIに私が惹かれるのは、
男子中、男子校に通っていたからだと思う。この曲は、受験前の高2の
共学高の夏休みを想像させる曲だ。業界も、またファンもこんな曲を
作り歌うYUIを求めていた。

休養明けの最初のシングルはagainだ。今になって気づくけど、
休養中に自分を奮い立たせた歌詞だ。

優しさにはいつも感謝してる
だから強くなりたい
(I'm on the way)
進むために敵も味方も歓迎じゃん

でも、タイアップソングになり、ちょっとハードなガールズポップ調に
なちゃった。あの時は、やっぱり待っているファンが求めるのならと
妥協したんだろうと想像する。

そしてYUIを捨てた時の曲はfightだ。
これはアコーステックバージョンがミシェル・ブランチをリスペクトし
ている彼女らしい素晴らしい出来だ。一方、通常バージョンは産業
ポップにアレンジされて、やっぱり妥協以上に不本意だったと思う。

しかし、この曲はもっと罪作りで、彼女自身の身を削って作った曲だ。
YUIの心は完全に折れてしまう。