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22歳の就活生へ■所長:松江豊寿のキャリア■44歳の転機を目指せ。

2012-04-15 18:33:07 | 日記

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★★★
4月も週2回更新予定でいきます。
★★★

こんにちは。
4月の新年度に入ってから半月が経過しました。
「半分」というキーワードからいこう。




■松江豊寿の44歳


(会津若松市観光課パンフから)
このシルクハットの紳士は松江豊寿(まつえ とよひさ:1872- 1956)


彼の人生の転機は、陸軍中佐として44歳で坂東俘虜収容所長に任命された時から始まります。


※※※
第一次世界大戦中に板東俘虜収容所所長を務め、在任中にドイツ人俘虜を人道的に扱い地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた。この時、ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。
※※※
wikipedia「松江豊寿」で検索(2012.4)


※彼の話は映画にもなったので興味があればDVDで見てみよう。
「バルトの楽園」2006年



44歳で収容所長の辞令を受けたことから
彼の人生が動き始めます。




■武士道の発揮



彼の人道的な行為の背景には、戊辰戦争の賊軍として困窮生活を強いられた父と
ドイツ兵捕虜の姿が重なったためともされていますが

それを踏まえた見事な武士道の発揮でもあると言われています。



※※※

(新渡戸稲造「武士道」を解説した箇所から)

「惻隠」という言葉の本来の字義は、「井戸に落ちた子どもを必死に庇って守る」ということのようです。

要するに、相手の気持ちを忖度できるような寛く深い愛情に裏打ちされた「思いやりの心」と言えましょう。
※※※
李登輝「武士道」解題 小学館2003年


ということですね。


■ターニングポイントでの「自分の振り返り」



彼は44歳になって、運命の偶然から
「今までの人生経験を、必然的に振り返らざるをえない職務」につきました。


~~~

父親が苦労してきたことと同じ境遇に
今またドイツ兵が遭遇しようとしている。


自分が収容所長としてやるべき仕事は
父親への愛情に裏打ちされた
「思いやりの心」を
目の前のドイツ兵に広く発揮することなのだ。

~~~




就活生は22歳で最初に人生を振り返り
自己分析を通じて仕事を見つけようとするよね。


この自己分析というのは
けっして就活の一回だけで完結するものではないんだ。


松江豊寿のように44歳で、運命的に
再び人生の振り返りによる自己分析に直面するケースもあるんだ。




■自己分析を持続する姿勢を



松江豊寿の軍人キャリア人生が
44歳からの収容所長としての活躍によってこそ
もっとも後世に伝わるものであったように


22歳からの就活でスタートするキャリアは
あんがいに44歳までは
それほど差がつかないものかもしれない。


~~~

22歳の段階では
内定先の企業名で他人との差を気にするより


44歳以降でのトータルな人生の巻き返しを想定し、
目の前の仕事に集中しながら
必要な自己探求を続けていこうと考えるほうがいいよね。





社会人の長いキャリア形成で
「自己分析を持続する姿勢」を繰返すうちに


いつしか自分にとって本当に必要な
「なすべき使命・役割」
が見えてくる瞬間があるのだと思います。


~~~

おまけ




4月の更新予定も原則として毎週水・日です。
ではまた☆


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2 コメント

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半分のキーワードから (tarebon)
2012-04-15 19:09:50
ブログ冒頭の半分のキーワードというのは
松江豊寿の44歳の所長任命と、22歳の就活生の就活を「44歳の半分」という年齢差で言い表したものです。

また月の半分ということで、月初め4月1日に掲載した私のシルクハット写真をラストに持ってきました。(松江豊寿とは貫禄がぜんぜん違う~)



~~

実は私自身が44歳なので、松江豊寿のような所長の任命を受けたなら、どこまで人道主義を貫けるものだろうかということを考えていた最中なんです。


たとえば、大学や企業に所属しているキャリアアドバイザーには、相談者へのアドバイスに立場上の制限があります。

親身なアドバイスであっても、時として「それは特定相談者へのえこひいきであり不公平な対応である云々・・」という組織や第三者からのクレームが舞い込むことが多いのです。




(今はアドバイザーとしてフリーの立場なのでそういうケースはありません)


松江豊寿の場合は帝国陸軍という巨大組織のなかで、反対意見や中傷を耐えて、粘り強く人道的な意志を貫いた部分がもっとも偉大なのです。


いづれにしても彼は44歳の転機によって、初めて人生の真価をいかんなく発揮したということですね。

司馬遼太郎風に言うと

松江豊寿への44歳の任命辞令は「彼の存在を必要とした天の配剤」なのかもしれません。




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44歳の仕事を見たまえ (tarebon)
2012-04-15 21:20:23
44歳からの仕事が輝いた松江豊寿を取り上げましたが、もう一人紹介したい人物がいます。

本文で少しだけ引用した李登輝氏(元台湾総統)の著書から

※※※
台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一について説明しましょう。

(中略)

東洋一の灌漑土木工事として、十年の歳月で1930年に事業を完成させたときの八田氏は、なんと44歳の若さでありました。

完成は(台湾)60万の農民から畏敬の念に満ちた言葉で称えられました。
※※※
慶応三田祭・幻の李登輝講演原稿から


八田與一は44歳で台湾の大規模灌漑プロジェクトを完成させた日本人技師です。
(詳しいことは検索して調べてみよう)

松江豊寿の「44歳からの仕事」が日本とドイツの友好を紡いだように、八田與一の「44歳の仕事」も時を超えて日本と台湾の友好を紡いでます。

政治家や外交官、商社マンだけが国際交流の仕事を担うものじゃないということを大学生には知ってもらいたいし、同時に、どの分野でも仕事の本領を本当に発揮できるのは40代になってからということも知ってもらいたいよね。

キャリアの頂点を仮に44歳に定めてみると、入社してからの22年は「それまでの人生の拡大再スタート」でもあることに気がつくと思うよ。

一つの会社にいる場合でも、転職で複数の会社を渡り歩くとしても、22年の歩みをしっかり歩めるようにね。

就活生も新入社員も30代も応援してます★









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