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「平成の毒婦」と呼ばれ2009年9月に逮捕された木嶋佳苗死刑囚は、婚活サイトで知り合って交際していた男性3人から大金をだまし取り、自殺にみせかけて次々と殺害。首都圏連続不審死事件として騒がれた。
これと似たにおいのする事件がある。関係者の間で通称“金田洋子事件”と呼ばれる「多摩コンクリ詰め殺人事件」だ。事件について、当時捜査を担当していた元刑事らに話を聞いた。
夫の死亡保険金で「体験小説」を自費出版
床下から遺体が見つかった多摩市の民家を調べる捜査員 ©共同通信社
事件が発覚したのは2006年12月。交際していた60代の男性を殺害し遺体を切断、コンクリート詰めにして東京都多摩市の自宅床下に遺棄したとして逮捕されたのは、中国出身の金田洋子(当時40歳)だ。
交際相手に金を貢がせた挙句、家屋を乗っ取るため殺害した女は、被害者とは別に同居していた男がいただけでなく、その男と自分の娘を遺体が埋められた家に招き入れ、一家団欒を楽しんでいた。
木嶋死刑囚の周りでは殺害された3人の他に、彼女と接点のあった複数の男性も不審死しているという。ぽっちゃり体型の女が、複数の男たちを手玉に取りながら、ブログでセレブな生活を演出していたことに世間は騒然となった。逮捕されてなお、無実を主張し、獄中で結婚離婚を繰り返し、『礼讃』という自伝的小説まで書いて2015年に出版している。
金田洋子は、目鼻立ちははっきりしているが、コロコロの体型で決して若いわけではなかった。フランス人とのハーフだと偽り、被害者だけでなく複数の男と交際し、金を貢がせていた。
結婚歴はあるが、前の夫は結婚後、金田の故郷である中国の重慶に一緒に帰省した際、突然死している。その死の原因は謎のままだ。夫の死により3000万という保険金を手にして、『自由の天使』という本を自費出版している。
『自由の天使』を実際に手にしたことがある元刑事A氏によると、本は日本語で書かれており、ペンネームは「安娜(あんな)」。上下各1000部が刷られ、帯には「体験小説」とあったそうだ。
内容は、四川省の貧しい家庭に生まれた主人公が、広州市で事業に成功するが、天安門事件後に自由を得るため、恋愛関係にあった妻子ある日本人の部下と中国で結婚し、日本へ短期ビザで入国。男性とはすぐに離婚し、交際中の議員に男性を紹介してもらい、偽装結婚するまでが自伝風に書かれていたという。
ネットで検索すると、本に掲載されているという金田の写真を見ることができる。天使というタイトルをイメージしたのだろうか。
丸顔で、白いワンピースに白い髪飾りをつけ、男を挑発するようなに豊満な胸を強調し、芝生に寝そべってカメラレンズの方を向いている。周りの人たちに「私は作家ですから」と吹聴し、執筆家きどりだったという。
立件できなかった前夫の突然死
金田は中国名を余発玉という。事件直後に日本国籍を取得しているため、報道などではすべて金田洋子となっている。余発玉は、四川省江津市出身、高校卒業後は仕事をしながら夜間大学に通っていたが、中退したとされる。
その後は、四川省重慶市で売春婦をしていたのではないかと推測されている。
重慶で日本企業に勤めていた日本人男性と知り合い、中国で結婚して来日。日本では婚姻届が出されていなかったため、観光ビザで入国。
最初は千葉のアパートに住んでいたが、男性の親と折り合いが悪く、離婚。
困った金田は、視察旅行で重慶を訪れたある県の市議と知り合い、泣きついて助けを求めた。市議から親戚筋にあたる40代半ばの知的障害を抱える男性を紹介され、結婚。
結婚ビザを取得している。体験小説にも偽装結婚とあるが、おそらく偽装結婚だったと捜査に関わった刑事たちは見ていたという。
この結婚で、金田は保険金3000万円を手にした。結婚後まもなく、一緒に中国に帰省した夫が中国で突然死したのだ。警察は事件性を疑ったという。 「まず、北京に着いてすぐ、夫が転んで大怪我を負っている。
転んだ原因はわからないが、この時は死なずにすみ、ふたりは金田の故郷重慶へ向かった。ところが夫はそこで突然死してしまう。
中国の病院の死亡診断書には心不全と高血圧とあったが、夫には持病はなく病歴もなかった」(A氏) 金田は夫を中国で荼毘に付し、中国の死亡診断書を日本の生命保険会社に提出。保険金3000万円を手にする。
A氏によると「日本の警察は、殺人事件だと睨んで中国当局に照会したが、裏付けは取れなかった。中国の医師も死亡理由がよくわからないといい、それ以上の死因を調べることができなかった。
日本の保険会社も当時は、中国で起きたこういうケースを調査し、確認するシステムがなかった」。 日本の警察は夫の突然死について、事件として立件することができなかった。
そして金田は日本に帰国し、死んだ夫の子どもだといって、女の子を出産した。日本人を父親に持つ子どもが生まれたため、金田には定住ビザが与えられた。
保険金3000万円を手にし、母子家庭のため国からの援助も受け、多摩市の団地に優先入居している。
金を吸い上げられた孤独な被害者
金田は、この団地ですぐに若い日本人男性と同棲を始める。この男が事件当時、金田と同居していた男である。男を取り調べた元刑事B氏によると「この男は気が弱く、金田に手足のように使われていた。
団地の共同作業もこの男だし、娘の面倒をみていたのもこの男。近所の人の証言によると『まるで主従関係のようだった』」。
娘は自分の面倒を見てくれる男に、とてもなついていたという。 一方の金田は、連日趣味である競艇場通いをしていたようだ。
お金をすってしまうと、競艇場近くのバス停でバスを待つ60~70代の年配の男性に声をかけ、ホテルに誘っていた。一番上は78歳になる。
そこで金を取っていただけでなく、財布から金を盗んでもいる。中には盗まれたとわかっていながら、金田からの連絡がくると、のこのこ出かけて行った男もいたという。
「高齢男性には、コロコロ体型だろうがハーフだろうが、関係なかったようだ。年配の自分が女性と肌を合わせられるというだけで会いに行ってしまう。
金を渡すのはいいが、財布からお金を抜かれては困ると靴の中に隠して会い行ったら、それまで盗られていたという笑い話のような話もある」(B氏)
コンクリート詰め殺人事件の被害者と金田の出会いも競艇場だった。孤独な被害者にとって唯一の趣味が競艇だったのだ。
金田が逮捕された時、週刊誌はこぞって被害者について書き立てた。被害者の身の上が悲しく可哀想だったこともある。一人息子は優秀だったが、公務員試験の前に高熱を出して失敗。それを悲観し自殺してしまい、1年後には妻が息子の後を追って自殺。
一人になってしまった被害者に残されたのは、退職後、ローンを払い終えた一戸建と退職金など約5000万円だった。 「金田に声をかけられ、二人は男女関係になった。
被害者はそこから金田に金を注ぎ込み始め、持っていた金はあっという間に金田に吸い上げられてしまう。足りなくなるとサラ金から金を借り、サラ金から頻繁に督促がくるようになると家を処分。
多摩市連光寺に家を買った。この時の差益1000万円も金田に取られている」と、B氏は話す。金田はその金を競艇に使っていた。
なぜその場所だったのか。その理由をB氏はこう明かす。 「被害者と金田が一緒に家を見に行った時、その場所が四川省の田舎の風景に似ていると金田が言ったので、そこに決めたようだ」 金田と暮らすために購入した一軒家で、被害者は金田に殺されてしまったのだ。