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ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

強制動員被害者支援活動家「2015年の拙速な韓日『慰安婦』合意と同じ状況」

2022-07-04 07:50:55 | 韓国
経済力が日本を追い越したと

自慢している韓国

80年前の問題を現在に持ち越して

金を値だろうとするする

素晴らしい経済力なのだから

もう止めたらどうだろうか?




ソースから

民族問題研究所 キム・ヨンファン対外協力室長 「被害者団体との協議もなく 「300億ウォンの代位弁済」の解決策まで出て… 日本の戦犯企業の国内資産を売却した場合に 韓日関係が破綻するというのは『脅迫』」

「日本の戦犯企業の韓国内資産の売却がなされれば韓日関係が破綻するだろうというのは、日本側の一方的な脅迫だ。

これを当然の現実として受け入れて引きずられてはならない」  強制動員被害者の支援活動に力を注いできた民族問題研究所のキム・ヨンファン対外協力室長は、4日に発足する官民協議体に関して「被害者団体との事前協議も情報提供もなかったのに、日本側においては出処も分からない『300億ウォンの代位弁済』という解決方法まで取り沙汰されている。

2015年に性急に進められた韓日『慰安婦』合意の時と同じ状況だ」として、このように話した。

代位弁済とは、韓国政府が基金を作り賠償金を代わりに支給して、その後に日本側に請求する方法だ。

 実際、韓国外交部は被害者団体側に最初の会議への出席を要請したと公開したが、「各界の意見の取りまとめ手続きを進めている」という言葉を繰り返すばかりで、協議体発足の事実さえ公表していない。

「(社)日帝強制動員市民の会」が先月30日に記者会見を行い、「加害者である日本企業の資産現金化を前にして、なぜわが国の政府が(日本政府以上に)焦って、そわそわしているのか理解できない」と批判したのもこのためだ。 

 キム室長は1日のハンギョレとのインタビューで、植民支配の不法性を確認し、それと直結した不法行為に対する賠償責任を認めた2018年10月の最高裁(大法院)判決の「世界史的意味」を忘れてはならないと繰り返し強調した。

最高裁判決以後、日本軍「慰安婦」問題に対しても「反人道的犯罪行為に対しては国家(主権)免除を適用できない」として、賠償義務を認めた1審裁判所の判決(2016カ合505092)が下されるなど、後続判例が続いている。

この判決は、ブラジル最高裁が昨年9月に第2次大戦当時にドイツ軍の犠牲になった人々の遺族に対する賠償判決を下す際に主要判例として引用されもした。  

キム室長は「解決法は結局、原則にある」と話した。日本政府は韓国最高裁の判決を「国際法違反」と規定し、戦犯企業と被害者間の接触さえ遮断してきた。

彼は「日本政府は交戦相手国だった中国に対しては戦犯企業が参加する基金を通じた賠償を容認したが、植民地であった韓国に対してはこれを受け入れていない」として「戦犯企業の韓国内資産の売却を通じた現金化は、裁判所の決定にともなう被害者の正当な権利という点を忘れてはならない」と語った。

  続けて「1965年の韓日請求権協定を通じて、安保を名分に被害者の権利を剥奪した(韓国)政府が、再び韓日関係の改善と韓米日安保協力を前面に掲げて一方的な譲歩を強要するならば、それは被害者の人生に対する侮辱だ」とし「賠償は謝罪の証拠であるときにのみ意味があり、日本側の相応の措置なしに拙速に取り繕うことは根本的な解決策になりえない」と強調した。

 

《多摩コンクリ詰め殺人事件》前夫は中国で不審死を…保険金3000万円を入手した40歳女性の“次のターゲット”とは

2022-07-04 06:15:46 | 外国人犯罪
ソースから

「平成の毒婦」と呼ばれ2009年9月に逮捕された木嶋佳苗死刑囚は、婚活サイトで知り合って交際していた男性3人から大金をだまし取り、自殺にみせかけて次々と殺害。首都圏連続不審死事件として騒がれた。

   これと似たにおいのする事件がある。関係者の間で通称“金田洋子事件”と呼ばれる「多摩コンクリ詰め殺人事件」だ。事件について、当時捜査を担当していた元刑事らに話を聞いた。

夫の死亡保険金で「体験小説」を自費出版


床下から遺体が見つかった多摩市の民家を調べる捜査員 ©共同通信社

 事件が発覚したのは2006年12月。交際していた60代の男性を殺害し遺体を切断、コンクリート詰めにして東京都多摩市の自宅床下に遺棄したとして逮捕されたのは、中国出身の金田洋子(当時40歳)だ。

交際相手に金を貢がせた挙句、家屋を乗っ取るため殺害した女は、被害者とは別に同居していた男がいただけでなく、その男と自分の娘を遺体が埋められた家に招き入れ、一家団欒を楽しんでいた。 

 木嶋死刑囚の周りでは殺害された3人の他に、彼女と接点のあった複数の男性も不審死しているという。ぽっちゃり体型の女が、複数の男たちを手玉に取りながら、ブログでセレブな生活を演出していたことに世間は騒然となった。逮捕されてなお、無実を主張し、獄中で結婚離婚を繰り返し、『礼讃』という自伝的小説まで書いて2015年に出版している。

  金田洋子は、目鼻立ちははっきりしているが、コロコロの体型で決して若いわけではなかった。フランス人とのハーフだと偽り、被害者だけでなく複数の男と交際し、金を貢がせていた。

  結婚歴はあるが、前の夫は結婚後、金田の故郷である中国の重慶に一緒に帰省した際、突然死している。その死の原因は謎のままだ。夫の死により3000万という保険金を手にして、『自由の天使』という本を自費出版している。 

『自由の天使』を実際に手にしたことがある元刑事A氏によると、本は日本語で書かれており、ペンネームは「安娜(あんな)」。上下各1000部が刷られ、帯には「体験小説」とあったそうだ。

  内容は、四川省の貧しい家庭に生まれた主人公が、広州市で事業に成功するが、天安門事件後に自由を得るため、恋愛関係にあった妻子ある日本人の部下と中国で結婚し、日本へ短期ビザで入国。男性とはすぐに離婚し、交際中の議員に男性を紹介してもらい、偽装結婚するまでが自伝風に書かれていたという。 

 ネットで検索すると、本に掲載されているという金田の写真を見ることができる。天使というタイトルをイメージしたのだろうか。

丸顔で、白いワンピースに白い髪飾りをつけ、男を挑発するようなに豊満な胸を強調し、芝生に寝そべってカメラレンズの方を向いている。周りの人たちに「私は作家ですから」と吹聴し、執筆家きどりだったという。

立件できなかった前夫の突然死

 金田は中国名を余発玉という。事件直後に日本国籍を取得しているため、報道などではすべて金田洋子となっている。余発玉は、四川省江津市出身、高校卒業後は仕事をしながら夜間大学に通っていたが、中退したとされる。

その後は、四川省重慶市で売春婦をしていたのではないかと推測されている。

  重慶で日本企業に勤めていた日本人男性と知り合い、中国で結婚して来日。日本では婚姻届が出されていなかったため、観光ビザで入国。

最初は千葉のアパートに住んでいたが、男性の親と折り合いが悪く、離婚。

  困った金田は、視察旅行で重慶を訪れたある県の市議と知り合い、泣きついて助けを求めた。市議から親戚筋にあたる40代半ばの知的障害を抱える男性を紹介され、結婚。

結婚ビザを取得している。体験小説にも偽装結婚とあるが、おそらく偽装結婚だったと捜査に関わった刑事たちは見ていたという。

  この結婚で、金田は保険金3000万円を手にした。結婚後まもなく、一緒に中国に帰省した夫が中国で突然死したのだ。警察は事件性を疑ったという。 「まず、北京に着いてすぐ、夫が転んで大怪我を負っている。

転んだ原因はわからないが、この時は死なずにすみ、ふたりは金田の故郷重慶へ向かった。ところが夫はそこで突然死してしまう。

中国の病院の死亡診断書には心不全と高血圧とあったが、夫には持病はなく病歴もなかった」(A氏)  金田は夫を中国で荼毘に付し、中国の死亡診断書を日本の生命保険会社に提出。保険金3000万円を手にする。

A氏によると「日本の警察は、殺人事件だと睨んで中国当局に照会したが、裏付けは取れなかった。中国の医師も死亡理由がよくわからないといい、それ以上の死因を調べることができなかった。

日本の保険会社も当時は、中国で起きたこういうケースを調査し、確認するシステムがなかった」。  日本の警察は夫の突然死について、事件として立件することができなかった。  

そして金田は日本に帰国し、死んだ夫の子どもだといって、女の子を出産した。日本人を父親に持つ子どもが生まれたため、金田には定住ビザが与えられた。

保険金3000万円を手にし、母子家庭のため国からの援助も受け、多摩市の団地に優先入居している。

金を吸い上げられた孤独な被害者

 金田は、この団地ですぐに若い日本人男性と同棲を始める。この男が事件当時、金田と同居していた男である。男を取り調べた元刑事B氏によると「この男は気が弱く、金田に手足のように使われていた。

団地の共同作業もこの男だし、娘の面倒をみていたのもこの男。近所の人の証言によると『まるで主従関係のようだった』」。 

 娘は自分の面倒を見てくれる男に、とてもなついていたという。  一方の金田は、連日趣味である競艇場通いをしていたようだ。

お金をすってしまうと、競艇場近くのバス停でバスを待つ60~70代の年配の男性に声をかけ、ホテルに誘っていた。一番上は78歳になる。 

 そこで金を取っていただけでなく、財布から金を盗んでもいる。中には盗まれたとわかっていながら、金田からの連絡がくると、のこのこ出かけて行った男もいたという。 

「高齢男性には、コロコロ体型だろうがハーフだろうが、関係なかったようだ。年配の自分が女性と肌を合わせられるというだけで会いに行ってしまう。

金を渡すのはいいが、財布からお金を抜かれては困ると靴の中に隠して会い行ったら、それまで盗られていたという笑い話のような話もある」(B氏)

  コンクリート詰め殺人事件の被害者と金田の出会いも競艇場だった。孤独な被害者にとって唯一の趣味が競艇だったのだ。 

 金田が逮捕された時、週刊誌はこぞって被害者について書き立てた。被害者の身の上が悲しく可哀想だったこともある。一人息子は優秀だったが、公務員試験の前に高熱を出して失敗。それを悲観し自殺してしまい、1年後には妻が息子の後を追って自殺。

一人になってしまった被害者に残されたのは、退職後、ローンを払い終えた一戸建と退職金など約5000万円だった。 「金田に声をかけられ、二人は男女関係になった。

被害者はそこから金田に金を注ぎ込み始め、持っていた金はあっという間に金田に吸い上げられてしまう。足りなくなるとサラ金から金を借り、サラ金から頻繁に督促がくるようになると家を処分。

多摩市連光寺に家を買った。この時の差益1000万円も金田に取られている」と、B氏は話す。金田はその金を競艇に使っていた。 

 なぜその場所だったのか。その理由をB氏はこう明かす。 「被害者と金田が一緒に家を見に行った時、その場所が四川省の田舎の風景に似ていると金田が言ったので、そこに決めたようだ」  金田と暮らすために購入した一軒家で、被害者は金田に殺されてしまったのだ。