根白石から国道457号線を大衡方面に向かうと左側に石材店が点在している。
「興禅寺」を過ぎてから3つ目の石材店の脇にある松の木の下に雑草に隠れるように頭の円い石碑がある。
「馬頭観世音」碑である。
側に竹に挟んだお札が立てられており、今も節々のお参りをされているようだ。
刻字は風化が進んで見えにくくなっているが
「馬頭観世音」の右側に慶応二□□歳(注1866年)、その外側に「右ハどう所」と見ることが出来る
左側は、さらに薄いが「九月□□日」と微かに「左ハミやと古」と読むことができる。
碑の周りはイノシシ避けの金網が張られているが、奥の方へ古い道らしき窪みが続いているように見える。
左の窪みの道は現在のトンネルを避けて宮床方面に続いていたのではないか、また、右の道(457号線)はトンネルの手前を右に進むと「銅所」に繋がっていることから、根白石方面からの道路が、ここで左右に分岐していたのではないかと勝手な想像を巡らせた。
「興禅寺」を過ぎてから3つ目の石材店の脇にある松の木の下に雑草に隠れるように頭の円い石碑がある。
「馬頭観世音」碑である。
側に竹に挟んだお札が立てられており、今も節々のお参りをされているようだ。
刻字は風化が進んで見えにくくなっているが
「馬頭観世音」の右側に慶応二□□歳(注1866年)、その外側に「右ハどう所」と見ることが出来る
左側は、さらに薄いが「九月□□日」と微かに「左ハミやと古」と読むことができる。
碑の周りはイノシシ避けの金網が張られているが、奥の方へ古い道らしき窪みが続いているように見える。
左の窪みの道は現在のトンネルを避けて宮床方面に続いていたのではないか、また、右の道(457号線)はトンネルの手前を右に進むと「銅所」に繋がっていることから、根白石方面からの道路が、ここで左右に分岐していたのではないかと勝手な想像を巡らせた。