県道55号線を赤坂方面に向かって進むと右側に小川商店の建物が目につくが、その筋向いにある町内の広報板(下川前広報板)のところに8基ほどの石碑が並んでいる。

(来た道を振返り落合方面を見る)

その中の2つの碑に「道しるべ」が表示されている。
1つは向って左から3番目の大きな「馬頭観音像」に刻されている。

右側に「右ハ大くら上下道」と「寛政12年」(※1800年)と読み取れる年号が彫られている。

左側に「左ハ大かそう?」の案内と「8月吉日」の大きな文字が見える。

もう一つは、その右隣の小さ目の「南無阿弥陀仏」の碑に示されている。

右側に「右ハ大くら道」と、微かに「天明二年」(※1782年)の文字が見て取れる。

左側には、風化しているが「左ハをかつ草道?」と読める文字がある。

いずれも定義を案内するものであるが、示す方向からみて、当時は道の左側に沿って建てられていたものと思われる。
なお、反対方向を示す「左ハ大かそう」、「左ハをかつ草道?」はすぐ南西に広がる「大勝草」地区を指すものと思うが、そう考えるとこれらの碑は別の場所(より北西側)にあったのではないかと推測される。

(来た道を振返り落合方面を見る)

その中の2つの碑に「道しるべ」が表示されている。
1つは向って左から3番目の大きな「馬頭観音像」に刻されている。

右側に「右ハ大くら上下道」と「寛政12年」(※1800年)と読み取れる年号が彫られている。

左側に「左ハ大かそう?」の案内と「8月吉日」の大きな文字が見える。

もう一つは、その右隣の小さ目の「南無阿弥陀仏」の碑に示されている。

右側に「右ハ大くら道」と、微かに「天明二年」(※1782年)の文字が見て取れる。

左側には、風化しているが「左ハをかつ草道?」と読める文字がある。

いずれも定義を案内するものであるが、示す方向からみて、当時は道の左側に沿って建てられていたものと思われる。
なお、反対方向を示す「左ハ大かそう」、「左ハをかつ草道?」はすぐ南西に広がる「大勝草」地区を指すものと思うが、そう考えるとこれらの碑は別の場所(より北西側)にあったのではないかと推測される。