「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

近くにも熊が出没

2016年10月28日 | 日記
秋も深まり、今年も全国的に熊の出没情報が多く流れている。

特に自然一杯のここ「泉区根白石地区」は最近、毎日のようにその情報が流されている。


10月に入ってから
〇「判在家地区の七北田川左岸」で早朝に散歩中の老人が襲われて頭や足を負傷したとのニュース
〇つい2日ほど前には今度は「判在家地区右岸の田圃の中」を歩いていたとの情報
〇旧町内である「町頭」でも民家の敷地内に爪痕があった  etc
などである。
いずれも「七北田川沿い」であることから、食べ物を探して泉ケ岳方面の山奥から川縁を下ってきているのではないかと思われる。

そんな中、ついに根白石城跡の北西側である「館蔭」でも目撃されたという。
「館蔭」は、まさに目の前の一角である。


前の林が根白石城址(自称館蔭の杜)、手前側が館蔭


見える範囲の田圃と家並一帯が「館蔭」

昨日、夜8時頃、家から100メートル程の道路を歩いて藪の中に消えたという情報がもたらされた。
交番のパトカーが赤色灯を付けて注意喚起をしながら巡回していた。
このあたりにパトカーが来ることは滅多にないことである。

今朝の河北新報「熊目撃情報」にも青葉区と並んで報じられていた。



今回通報したという近く方の話では「数日前にも田んぼの中を3頭歩いていた」ということである。

余りにも身近で怖いことである。

出没は早朝か夜に限られているようであるが、通学路でもあり孫たちは普段から「熊避けの鈴」をつけている。
最近は登校の際には大人たちが街の通りまで一緒に行くようにしている。

冬眠するまでの事ではあろうが気が気ではない。








兎口神社の秋祭り

2016年10月16日 | 日記
今日は「兎口神社」の秋祭で神輿行列があった。
「兎口神社」は館蔭の杜にあるの神社の一つで、秋に祭礼が行われ神輿が半日がかりで町内を練り歩く。
もう一つの神社は「宇佐八幡神社」といい、こちらは春に例祭が執り行われる。

毎年、神社まで行って写真を撮っているが、今年は足の怪我で歩けないので通り道まで車に乗せてもらって待つことにした。

11時過ぎに神輿行列がやってきた。



この神社の神輿は、古くは青葉神社から譲り受けた1トンもある大神輿だったといわれる。
※青葉神社の神輿の担ぎ手は根白石の若者達がになったことから神輿更改の際譲り受けたといわれている。

現在のものは何代目からしいが見るからに豪華絢爛なものである。

各家の戸口にさしかかると神主さんがお祓いをし皆さんがご祝儀を差し出してお礼をする。

本神輿の後に子供神輿も続いて練り歩く。町内の子供会で作成した手製の神輿である。
小さい孫娘二人も友達と誘い合って参加している。



小さな地区で子供は多くないが、元気な声を出して引いているのが頼もしく思われる。
子供達は、この後集会所で食事会があるということでそれを楽しみにしているようだ。

今年は、昨年のゲリラ豪雨で壊れた街につながる「馬橋」の仮橋が7月になって10月ぶりにようやく完成した。

秋になって、近くに熊が出没したとのニュースが連日報じられているが、平穏な毎日が続くことを祈りたいものである。






27日振りの退院

2016年10月13日 | 日記
今日、妻が退院することになった。
9月17日以来27日間の長期の入院生活であった。

入院のきっかけが腹痛でそれほど重篤な状態ではなかったので「腸重積」で即日手術入院となったのは驚きであったが、経過も良く、1月足らずで退院できたのは幸いである。
勿論、本人からしてみれば不安で長い病院生活であっただろうが、今日は割と晴れやかな様子であることが家族にとっても安心なことである。

これからは週1回程度の通院をすることを指示されている。

入院の事実は、子供達にだけ知らせおり、その間、同居の娘が仕事をしながら、何から何まで世話してくれた。また、下の娘達も駆け付けて来て手伝いやら見舞いをして呉れ、嫁ぎ先からもお見舞いなど頂いてしまった。

家に帰ると、遠方にいる娘家族から退院祝いの花が届いていた。


近くに嫁いでいる娘も早速駆けつけてくれた。

妻も「やっぱり家はいいな・・・」と言っている。

一日も早い回復を願うばかりである。

入院後に、妻の兄弟達からは、季節の手紙や電話もいただいているが、病気の事実は伏せているので、元気になってから自分で連絡してほしいと思っている。

それにしても、自分自身は、ギプスが取れたばかりで動きがとれず、逆に皆から心配される状態で、秋の季節が足早に過ぎて行ってしまいそうで残念無念である。






会員作品展への写真投稿

2016年10月11日 | 日記
今日、足首を覆っていたギプスが外れた。
レントゲン撮影の結果、骨の亀裂が残っているが「ギプスを付けつけなくてもいいだろう」ということになった。
まだ、黒くうっ血し、腫れも残っているが、9月10日来、実に32日振りの解放感である。
ただ、姿はゾウの足のように皮膚が剥がれて見られたものではなかった。

医療の処置は何もなく、「余り荷重をかけないように少しずつ慣らしてください」というものだった。
歩行はギプス中とほとんど変わらず、悪い方の足には力を掛けないように斜めになってそろりと進むしかない。
それでも気持ちは晴れやかになってきたのは間違いない。

14日からサークルの作品展が始まる。
以前から写真の出展を申し込んでいて、足の怪我以来、13日の会場掲示をどうしようかと悩ましく思っていたが、ゴルフ仲間から電話があり会場に届けてくれるということになった。
有難いものである。
結局は、彼から別の人へと何人もの手を煩わして掲示をお願いすることになった。

19日までの開催だが、自分で会場に行くことはまだ無理がある。
作品は大して傑作ではない。
昨晩秋の朝、朝日を浴びて浮き立つ泉ケ岳を自宅近くから撮ったものである。


心の中では滅多にないシャッターチャンスだったと思っている作品である。

会場では、どんな批評が囁かれるだろうか。








冬の使者の飛来

2016年10月08日 | 日記
稲刈りが終った田んぼの切り株の列を眺めていると、



突然、「クワーッ」と甲高い声がして空を見上げると、数十羽の白鳥の群れが目に飛び込んできた。



冬の使者の飛来である。

岩手山の初冠雪や北海道の初雪のニュースを聞いて「白鳥はそろそろかな、まだ早いだろうな」と思っていた矢先の光景であった。

50羽余りが、東の方から何となしの形を作りながら、次第に直線になって北の空に飛んで行った。



まだ、列に入れないものもいるが、伊豆沼でも目指して行くのだろうか。


朝晩は、日増しに冷え込んでくるだろう。

足首を骨折してほぼ1月、まだギプスはとれていないし、妻の入院から3週間経つが退院まではもう少しかかりそう。