上の宿から福岡小学校方向に300メートル位の「堂林」バス停を右に入った所に「泉薬師堂」がある。
泉薬師堂
入口の右側に大きな「子安観世音供養塔」が、左の三角地に10基ほどの様々な石碑が立っている。
「子安観音供養」の下の方に文字が刻まれていたので、「みちしるべ」かと思いじっくり観たが残念ながら判読できなかった。
そのうちに、付近の年配の方が「石碑ならお堂の奥にあるよ」と教えてくれたので行って見ることにした。
お堂から100メートルほど奥の田圃の畔道にこんもりと石積みがあり、上に3基の碑があった。
1基は倒れていていたが、立っている2基の中には「ア」という梵字「種子(しゅじ)」が彫られておりすぐに「板碑」と分かった。
「君が代の弘安の碑」からおよそ500メートルくらいの位置にあるが、年代はそれよりは大分新しいものと思われた。
ただ、板碑は結構年代が古い時期に建てられているので数百年は経過しているのではないだろうか。
※wikipedia「板碑は緑泥片岩で造られ青石塔婆ともいう」・・・ここの板碑もそのもの
また、その下の石積みは殆どが石碑と思われるもので50個は下らない数であった。
後々の田圃の整備等で沢山の石碑がここに集積されたのであろう・・・・・・・。
泉薬師堂
入口の右側に大きな「子安観世音供養塔」が、左の三角地に10基ほどの様々な石碑が立っている。
「子安観音供養」の下の方に文字が刻まれていたので、「みちしるべ」かと思いじっくり観たが残念ながら判読できなかった。
そのうちに、付近の年配の方が「石碑ならお堂の奥にあるよ」と教えてくれたので行って見ることにした。
お堂から100メートルほど奥の田圃の畔道にこんもりと石積みがあり、上に3基の碑があった。
1基は倒れていていたが、立っている2基の中には「ア」という梵字「種子(しゅじ)」が彫られておりすぐに「板碑」と分かった。
「君が代の弘安の碑」からおよそ500メートルくらいの位置にあるが、年代はそれよりは大分新しいものと思われた。
ただ、板碑は結構年代が古い時期に建てられているので数百年は経過しているのではないだろうか。
※wikipedia「板碑は緑泥片岩で造られ青石塔婆ともいう」・・・ここの板碑もそのもの
また、その下の石積みは殆どが石碑と思われるもので50個は下らない数であった。
後々の田圃の整備等で沢山の石碑がここに集積されたのであろう・・・・・・・。