「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

満興寺「牛頭天王(ごずてんのう)」の祭礼

2016年07月16日 | 日記
町内の寺「満興寺」の門前で神事らしき行事が行われていたので寄ってみた。

いつも見かける「牛頭天王」の碑の前に祭壇が作られ、竹の葉や「牛頭天王」と書かれた提灯も飾られており、周りに30人ほどの人が集まり厳かな儀式が進められていた。



よく見ると、二人の和尚さんが仏事の時と変わらぬ装束でお経を唱える中、参拝者がひとりづつ祭壇に進み「抹香」を焚きながら静かに手を合わせていた。



祭壇の両側に「キュウリ」が山盛りに供えられているほかは、花や燭台など仏事と変わるところがなかった。



「牛頭天王」は八坂神社や須賀神社など「スサノオを祀る神様」との浅い知識しか持ち合わせていなかった自分にとって、全く意外な光景に映った。

参列の方々から声をかけられ、自分も祭壇に進んで抹香を焚き、手を合わせて詣で、有難い「お札(ふだ)」まで戴いてしまった。
お札は、無病息災・五穀豊穣・福寿長久・家内安全 を祈願するものだった。

以前から、寺の入口に「牛頭天王」の碑があることに少し違和感を覚え「廃社された神社から移設したものだろう」と思っていたが、今日のこの光景を見て、その昔、神道と仏教をともに祀るという「神仏混淆(習合)」の時代があったことが頭をよぎった。

あらためて碑に彫られた文字を調べてみると、正面には「牛頭天王」の力強い大きな文字と左に「村家内安全」



裏に「慶應元龍集(※1865年)・・ 十月十有五日」・・・とある。



明治元年に「神仏分離令」が出され、神社と仏閣が分離されたものと思っていたが、この碑はその3年前に建立されており、この地では分離令が発出された後も「満興寺」によって一体的に祀られて来たのだろうとの思いを強くした。

今日は旧暦の6月13日、碑に彫られた建立月日より2日早いが、この時期に「地域の安全を祈る」例祭が長年にわたって執り行われているのだろう思った。

※午頭天王を祀る京都の八坂神社の例祭は旧暦の6月13日に行われているという。
ここ満興寺の牛頭天王の神事も碑に刻まれた6月15日とかかわりなく、本日(旧暦6月13日)に行われていることについて納得ができた。





馬橋の仮橋開通

2016年07月13日 | 日記
根白石の町内と北西部を結ぶ「馬橋」の仮橋がようやく開通した。
予定より1月ほど遅れての開通である。



昨年秋のゲリラ豪雨により決壊して車両の通行ができなくなってから、実に10カ月振りのことである。

本橋のすぐ上流側に、幅はほぼ同じ規模の鋼鉄製の橋が開通した。

 北西(根白石城)側から町内方向を見る

 町内から北西(根白石城)方向を見る

この道路は、れっきとした国道(457号線)で、市営バスの路線でもある。
橋が不通になってからバスは川の向う側の市道を通っていたため、北西部の利用者は、向こう側の停留所から歩いていたが、ようやく本来の路線を走ることになり、この不便さも解消されることになる。

また、何よりも一般車両の通行も可能となったことが大きい。
これまでの間、町内や仙台市内に出掛けるためには約3キロほどの迂回が必要で、一日何往復かすることから10カ月の燃費ロスは大きいものがあった。 
 ※ ex. 3キロ×2×3(1日3往復)×30(日)×10(月)= 5,400キロ
仮橋には歩行者帯は設けられているが、本橋の時と同様車道との分離柵はなく、通学には危険を感じる状態に変わりはない。



これから、本橋の復旧が始まると思われるが、それまでの間は暫定の歩行者道路は利用できるようで、今朝も小学校に向う子供たちが通って行った。



当面の交通課題は解消されたが、数十年来の課題となっている本格的な橋の設置については見通しは立っていない。

今回の仮橋の設置関して何回か「住民説明会」が開かれたが、その際、本格的な橋の設置については住民から強い要望が出され、行政側から「検討委員会を立ち上げて抜本策の検討を始める」との見解が出されてはいるが、具体化までには相当長期の時間が必要となるものと推測される。

南の方では、連日豪雨被害のニュースが流されている。

馬橋の仮橋は出来たが、今回の災害の抜本的な防止対策は図られたわけではない。

一日も早い新橋の方針決定と、豪雨災害が繰り返されることがないことを天に祈りたい。