朴沢の「亀の子石群」から左に入って直進し、上高野原を過ぎた「小屋原」という地区の Y 字道路の分岐点に「みちしるべ」が立っている。
宮城県の山火事防止の看板と並んでいて見にくいが、高さ1メートル余りの白い角柱4面に案内文が彫られていた。
正面には
左 泉ケ岳に至ル 二里半余
光明の瀧不動尊迄 五丁
猿 岩 迄 一里
桑 沼 迄 三里
船形山 迄 六里
右面には
右 黒川郡宮床村字難波ヨリ吉田 約五里
村ヲ經テ加美郡大城寺ニ至ル
瀧ノ原湯迄一里七丁
蛇 石 一里半
大森薬師如来 二里
堂ケ森 二里余半
左面には
根白石村役場ニ至ル 五千三百六十五米
一 里 十 丁
後面には
昭和五年九月二十八日 朴澤小屋原青年建設
本標所在地朴澤小屋原裏ノ原
約85年前に設置されたものであった。
左の道は、途中まで舗装されていたが、すぐに未舗装の山道になり「落石注意」などの表示があったのですぐに引き返した。
また、右の道は、山道そのものであったため進まなかった。
宮城県の山火事防止の看板と並んでいて見にくいが、高さ1メートル余りの白い角柱4面に案内文が彫られていた。
正面には
左 泉ケ岳に至ル 二里半余
光明の瀧不動尊迄 五丁
猿 岩 迄 一里
桑 沼 迄 三里
船形山 迄 六里
右面には
右 黒川郡宮床村字難波ヨリ吉田 約五里
村ヲ經テ加美郡大城寺ニ至ル
瀧ノ原湯迄一里七丁
蛇 石 一里半
大森薬師如来 二里
堂ケ森 二里余半
左面には
根白石村役場ニ至ル 五千三百六十五米
一 里 十 丁
後面には
昭和五年九月二十八日 朴澤小屋原青年建設
本標所在地朴澤小屋原裏ノ原
約85年前に設置されたものであった。
左の道は、途中まで舗装されていたが、すぐに未舗装の山道になり「落石注意」などの表示があったのですぐに引き返した。
また、右の道は、山道そのものであったため進まなかった。