中山街道の早坂橋の袂に「道祖神」と書かれた案内板がある。
少し階段を下りると鳥居と市の史跡案内書きがある。
それによると、道祖神は、賽の神、幸の神、道陸神ともいわれている。
もともとは悪疫、悪霊が外から入らぬように村の入り口で塞ぐ神様とされていたが、後に幸の神とか、行路安全の神、さては安産の神へと変化したと言われる。
萱場川の断崖に沿って階段を上ると
小さなお堂が建っていた。
中に、男根を模した石や木製の大小、新古の沢山のご神体が鎮座していた。
この道祖神は、もとは川向の「二の関」にあって、地区の氏神だったが現在は個人の家でお守りしていると言う。
泉区内では、ここのほか朴沢八幡神社の崖下・古内道祖神・鷲倉神社参道脇の石祠・賀茂神社にも祀られている。
少し階段を下りると鳥居と市の史跡案内書きがある。
それによると、道祖神は、賽の神、幸の神、道陸神ともいわれている。
もともとは悪疫、悪霊が外から入らぬように村の入り口で塞ぐ神様とされていたが、後に幸の神とか、行路安全の神、さては安産の神へと変化したと言われる。
萱場川の断崖に沿って階段を上ると
小さなお堂が建っていた。
中に、男根を模した石や木製の大小、新古の沢山のご神体が鎮座していた。
この道祖神は、もとは川向の「二の関」にあって、地区の氏神だったが現在は個人の家でお守りしていると言う。
泉区内では、ここのほか朴沢八幡神社の崖下・古内道祖神・鷲倉神社参道脇の石祠・賀茂神社にも祀られている。