先日、泉中央行のバスの中から石碑がないかと見渡していたら、須賀神社を過ぎたあたり、「野村小学校」向いの車の修理工場の敷地脇にそれらしきものを1つみつけた。
翌朝、早くに現地へ行ってみた。
「みちしるべ」が刻まれた「馬頭観世音」だった。
向って右側に「右ハせんたい」と鮮明に文字が浮かんで見えた。
左側は 風化して彫りが浅く読みにくかったが、
何とか「左ハなゝきた」と読みとることが出来た。
「寛政八年(1796年) 十一月吉日 施主 傳四良」とあり、時期は220年ほど前のものだった。
方角から野村小学校側にあったのではないかと推測されるが、土台がコンクリートで固められて比較的新しいことから、後にこの場所に移転したものと思われる。
翌朝、早くに現地へ行ってみた。
「みちしるべ」が刻まれた「馬頭観世音」だった。
向って右側に「右ハせんたい」と鮮明に文字が浮かんで見えた。
左側は 風化して彫りが浅く読みにくかったが、
何とか「左ハなゝきた」と読みとることが出来た。
「寛政八年(1796年) 十一月吉日 施主 傳四良」とあり、時期は220年ほど前のものだった。
方角から野村小学校側にあったのではないかと推測されるが、土台がコンクリートで固められて比較的新しいことから、後にこの場所に移転したものと思われる。