北環状線から泉パークタウンに向い、紫山の左の道を400~500メートル入った「銅谷」という所に「みちしるべ」がある。
今まで何回か探したが見つからず、今回、最後の挑戦の積もりで道端をくまなく探した結果ようやく探し当てることができたものだ。
建設中のベガルタ仙台の練習場から200メートルほど手前の左側に赤い鳥居が見える。
みちしるべは鳥居の奥にある祠の脇の竹藪の中に立っている4基ほどの石碑の中の一つに記されていた。
そこには「私有地につき立入禁止」の立札と縄が張られていて、道路から5~6メートル位入った所にあるため文字を判読することは難しかった。
望遠レンズで写真を写しているところに土地の所有者だという方が近づいてきたので「みちしるべ」のことを尋ねてみた。
「みちしるべがある筈だ」というので中に入る了解を得、間近に見ながら写真を撮ることが出来た。
丸くて小さい碑が「馬頭観世音」で、右下に微かに文字が読み取れた。
右側に 南 仙 台
東 吉 岡
明治三三年(注1902年)旧九月十七日
左側には、施主 熊谷 松五郎と読み取れた。
※この土地の先祖は代々名前に五郎の文字を使っているとのお話だった。
銅谷は、根白石の愛宕下「山神」へ繋がり、定義道のルートとなっていたと言われる。
左の碑は 「鉄鋳七福神」と「寛政十二・・・(注1800年)」と読めた。
※この銅谷地区は、昔々は銅の産地で鉄も取れたのでそれを祀ったのではないかというお話や、団地開発の際のお話などいろいろと聞くことができた。
何とも充実した気分になることができた。
今まで何回か探したが見つからず、今回、最後の挑戦の積もりで道端をくまなく探した結果ようやく探し当てることができたものだ。
建設中のベガルタ仙台の練習場から200メートルほど手前の左側に赤い鳥居が見える。
みちしるべは鳥居の奥にある祠の脇の竹藪の中に立っている4基ほどの石碑の中の一つに記されていた。
そこには「私有地につき立入禁止」の立札と縄が張られていて、道路から5~6メートル位入った所にあるため文字を判読することは難しかった。
望遠レンズで写真を写しているところに土地の所有者だという方が近づいてきたので「みちしるべ」のことを尋ねてみた。
「みちしるべがある筈だ」というので中に入る了解を得、間近に見ながら写真を撮ることが出来た。
丸くて小さい碑が「馬頭観世音」で、右下に微かに文字が読み取れた。
右側に 南 仙 台
東 吉 岡
明治三三年(注1902年)旧九月十七日
左側には、施主 熊谷 松五郎と読み取れた。
※この土地の先祖は代々名前に五郎の文字を使っているとのお話だった。
銅谷は、根白石の愛宕下「山神」へ繋がり、定義道のルートとなっていたと言われる。
左の碑は 「鉄鋳七福神」と「寛政十二・・・(注1800年)」と読めた。
※この銅谷地区は、昔々は銅の産地で鉄も取れたのでそれを祀ったのではないかというお話や、団地開発の際のお話などいろいろと聞くことができた。
何とも充実した気分になることができた。