「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

朴沢・久保のみちしるべ

2015年03月09日 | 日記
「狩集のみちしるべ」から左折して50メートルほどのところを再度左折して久保地区の狭い田圃道を300~400メートル進んだ曲がり角に「みちしるべ」があった。



30~40センチの丸い石で、ガードレールの脇で見落としそうになるような位置だった。お参りの後の幣束がヒラヒラと閃いていた。

 

文字は鮮明でよく読み取ることができた。

上部に 右ハ 定ギ
    左ハ 川さき阿みた八丁

下には  新沼屋庄兵衛  佐々木屋今吉  佐々木屋栄吉  
      松木屋義兵衛  阿部金右衛門
      願主 沼田節行 とあった。

願主は「狩集のしるべ」と同じ名前であった。

こちらも設置時期の表示はなかったが、狩集と同様それほど古いものではないだろうと思われる。




位置は田圃道の道端にあり、左方向の道は舗装されているが、右方向は杉林へと続いた農道で更に先は「けものみち」風であった。
鷲倉山の方向に向いており「みちしるべ」に従えば、長谷倉川沿いに進んで「酒屋前」に至る・・・・・・今、「定義道」の中に佇んでいるようなそんな気持ちにさせられた。