「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

実沢・原田下のみちしるべ

2015年03月26日 | 日記
古内の「去田のみちしるべ」から500メートルほど根白石方向に進んだ所のY字路右側(天理教前)に「原田下」と表示された市の史跡めぐり案内版があり、傍に数基の石碑が並んでいる。



その中の一番大きな「廻国六十六部宿供養」碑に「みちしるべ」が刻まれていた。



右側に小さく、微かに 「左ハはやさかミち」

              「安永二葵巳年」※市の説明書きによる  



左側には   「三月二十二日」

    「右ハ志ろいしミち」  と彫られている。
              


方角と書かれている内容を照らして考えると、この碑はY字路の中に設置されていたのではないかと考える。


◇古内の去田方面から碑を右にして実沢・根白石の方向を見たもの

ただし、どちらを向いていたのか腑に落ちないところがある。

去田の方(Y次の足の方角)を向いていたとすれば、早坂道は左であることから案内の方向と合致するが、碑の面の右側に彫られていること、また、根白石は右方向で案内のとおりであるが碑の面の左側に彫られていることがよく理解できない。

また、Y字路の方を向いていたとすれば道と碑の表示位置は合致するが、去田の方から来た人には碑の案内面が裏側になってしまって、みちしるべの用をなさないような気もする。

それとも・・・・やっぱり今の位置にあったのかも知れないなとも思うようになった。