生きる目的(2022.1.15日作)
人間が地球上に生きる
究極の目的
人間 一人一人が その国 その地域の文化の下
如何に幸福に生きられるか その点に有り
政治も 思想も 科学も 化学も
その為に 奉仕されるべきもの
思想の為の思想 科学の為の科学 化学の為の化学 政治の為の政治
思想至上主義 科学至上主義 化学至上主義 政治至上主義 総て
邪道
人の心 人の幸せ
その原点を忘れた思想や科学 化学や政治
やがて
人類の破滅 滅亡という道を
辿るだろう
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<青い館>の女(2)
わたしが社長の時代にも義父は会長職にいた。
その点では義父の死に伴う今度の人事にも何らの不自然さは無く、わたしが現在の立場を不満に思わなければならない理由は何も無かった。
わたしが社長を補佐して要所要所を押さえ、社長の経験不足による失敗を補つてゆく。
だが、<スーパー・マキモト>創業者として、店頭市場に株式を公開してからも、なお七十パーセントに近い自社株を保有して絶大な権力の下、ワンマンと言われた義父とわたしとでは同じ会長と言っても雲泥の差があった。
現在、わたしには株式総数の六十数パーセントを二人で持つ妻と妻の母親が居た。義父の様に絶対的権力を行使する事は出来なかった。
総ての事が妻と妻の母親の意向によって決定される。
その上、わたしには義父の様な豪胆さも無い。以前から、細心、細やかな心配りをする社長と言うのが、現場で働く社員達のわたしに対する評価だった。
「厭ならやめろよ」
義父の口癖だった。
札束で頬を張る。
倒産企業の買い叩きは義父の最も得意とする手法だった。
「血も涙も無いね、あの社長は !」
それでいて他人の恨みを買う事が無かったのは何故だったのだろう ?
頑固一徹でありながら、何処か大雑把なところの透けて見える人柄が多くの人々の気持ちを和らげていたのかも知れなかった。
そんな義父の仕事ぶりに対して、社長のわたしが口を挟む余地は殆ど無かった。第一、わたしが口を挟んだとしても義父は端(はな)から受け付けない事は眼に見えて明らかだった。
わたしの役目はただ、義父が強引なまでの手法で切り開いた荒れ地を均して後から付いて行く、それだけのものと言ってよかった。
殊更、わたしが意識してした事では無かった。わたしが生まれた環境ーー家の貧しさ、妻との結婚に至るまでの過程、様々な条件が重なり合った結果に依るものに外ならなかった。
義父が死んだ時、専務であったわたしの妻はわたしに言った。
「孝臣を社長にして、あなたは会長の立場からあの子を見てやって下さい」
わたしに異存はなかった。
異存を言っても始まらなかった。
株式の絶対多数を妻とその母親に握られている以上、わたしの意見は通らないのだ。
それに、息子が社長になる事に父親のわたしが敢えて反対をしなければならない理由も無かった。赤の他人に権力が移る訳ではない。
心筋梗塞で倒れた経験を持つわたしには、体力的にもまた自信が持てなかった。
日常の生活には格別の不自由は無かったが、激務に耐えられるか ?
幼い頃は何かと母親の言いなりに成りがちだった息子もこの頃には、少しずつでも自分の考えを持つ様になっていて今度の、一見、辺鄙とも言える北の小さな漁港街への進出を決めたのもその一つの例だった。
息子は大手スーパーの間隙を埋める様に小まめに地方へ足を運んでいた。
そして、わたしは今度もまた、義父の跡を均して歩いた様に息子の開いた跡を均して歩いている。
何事もわたしの提案には素直に頷かない妻も、義父に性格の良く似た息子の大胆な提案にはよく耳を傾けた。
妻はわたしとの出会いの当初から、あらゆる面でわたしなど念頭に置いていなかったのだ。
妻の腰巾着の様に何事も彼女の言いなりだったわたしなら御し易いと考えて、数多く居た彼女に言い寄る男達の中からわたしを選んだのに違いないのだ。
妻は学生時代から誰の眼も引かずには措かない評判の美貌の持ち主で、裕福な家の気位の高い一人娘だった。
「会長、お帰りになられるんですか」
店長がわたしの傍へ来て言った。
三十八歳の高木という店長とわたしは今日、初めて会った。
息子が隣り町にある大手スーパーから引き抜いて来た男だったが、息子の眼に狂いは無さそうだった。
切れの良い彼の言動には好感が持てたし、他人への接し方一つ採ってみても自然に滲み出る柔らかさがあって、この男なら、まず、間違い無いだろう、わたしは秘かな満足感の裡に合格点を付けいた。
「うん。ちよっと疲れたから先に帰るよ。皆さんには宜しく伝えておいてくれ」
パーティーの主要な行事も済んで会場が乱れて来た時、わたしは若い社員を捕まえて、
「そろそろ帰るから、店長には後でそう言っておいてくれ」
と告げて会場を後にしようとすると、店長は早速、その言葉を聞き駆け付けて来たのだった。
「はい、分かりました。じゃあ、ちょっとお待ち戴けますか、すぐにタクシーを呼びますから」
店長は気を利かせて言った。
「いや、タクシーは要らないよ。歩いて帰ろう。ホテルまでは近いし、此処は初めてなんで街の様子を見ながら海岸通りを行ってみよう」
「そうですか。では、お気を付けてお帰り下さい。わたしはもう少し、皆さんのお相手をしていますので」
「うん、そうしてくれ」
「明日はホテルから直接、お帰りになられますか。それとも一度、お店の方へ来て戴けるのでしょうか。多分、開店セールで混雑すると思うのですが」
「一度、顔を出すよ。東京へ帰るのは多少、遅くなっても構わない」
「帰りの航空券は ?」
「いや、未だだ。ホテルで聞いたら何時でも取れるだろうという事だった」
「わたし共の方で手配致しましょうか」
「いいよ。忙しい中で、そんな心配は要らない。それより、みんなも早く切り上げて明日に備えた方がいい」
「はい。分かりました」
パーティー会場のある建物を出ると外は深い霧だった。わたし自身も霧に包まれて見知らぬ街を歩いて来ると、突然、霧の中から現れた男がわたしを誘ったのだった。
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taheziisan様
懐かしい映画音楽の数々 音楽に限らず
映画自体も昔のものは良く作られている様に思います
最近の映画は日本映画に限らず ハリウッドの物でも
何かつまらない様に感じます 映像自体が軽くなっている様な気がして
なりません
ハリウッドには昔は綺羅星の如くスターが存在して居ましたが
今はどうなのでしょう かつての様にスターが並び立ってはいない様な気がしますが
哀愁 愛情物語 ベンハーのスケールの大きさ
哀愁 は日本の 君の名は の原型ですね
ウォータールーブリッジが数寄屋橋
ヴィヴィアン リーの被っていた帽子が真知子巻き
後はドラマの好評の結果 次々と物語が独自に展開してゆく
一世を風靡した ドラマでした
懐かしいですね
愛情物語も良い映画でした
亡くなった永六輔さんがよく タイロン パワーが終戦直後の
銀座の四丁目十字路で交通整理をしていた と言っていましたが
わたくしが東京へ出た頃は既に進駐軍はいませんでした
みんな遠い思い出です
遠い思い出と言えばかつての山小屋で勉強をしていた次男さんでしょうか
アメリカから一時帰国されたとの事 時は過ぎ行くですね
お疲れ様でした ちよっとした環境の変化が身体に応える
お互い そのような年齢を生きているのですね
川柳
呑み助は あれやこれやと 口達者
と言うところでしょうか
春になれば花が咲き 老木は枯れてゆく
人生ですね
自然に溢れる音楽 電線の五線譜 鵜は
歌っている様に見え 花は踊っている
今回も様々 楽しませて戴きました
有難う御座いました
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