特集:日仏交流150周年記念 フランス映画の秘宝2009 最終上映
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ジャック・ベッケルと‘反メロドラマ’
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
フランスの映画監督であるジャック・ベッケルは死後50年近く経つにもかかわらずいまだに評価が定まっていないようで、実際映画館でなかなか作品が上映されないのだから評価のしようがない訳だが、今回幸運にも1942年のジャック・ベッケルの長編デビュー作品である『最後の切り札(Dernier Atout)』を観る機会を得られたので感想を記しておきたい。
今ではジャック・ベッケルの作品がいかに素晴しいのか語る人が増えたようだが、逆にジャック・ベッケルの作品を高く評価しない人は無視を決め込み、何故ダメなのかを語る人がいなくなってしまった。私は今回上映されている『最後の切り札』を題材に、敢えてその任を引き受けることでジャック・ベッケルの作品の面白さを記してみる。
全ては『最後の切り札』の冒頭をどのように観るかで評価が分かれるような気がする。オープニングは警察学校で主席を争うクラランスとモンテスの射撃練習の銃声から始まる。最初にモンテスが練習してからクラランスが次に的に向けて銃を撃つ。しかし不思議なことに彼らが撃った的は一度も画面に映されることはなく、どちらが射撃が上手いのかは画面を通しては分からない。それでもクラランスの成績の方がモンテスの成績よりも良いと想像できる理由はクラランスが撃った時に周りにいた彼らの同僚たちが静まり返ったからである。ベッケルは的を映す代わりに‘音’で成績を表すために観客に強烈なイメージを残さない。特定のショットを突出させることなく全てのショットを‘均一’に保つ。つまり観客の目に焼き付けるようなイメージを残さないことでベッケルの作品は観ている間はただ流れるだけの映像の連なりの躍動感を楽しめるのであるが、記憶に残るイメージがないために観終わった後に作品について語りようがない観客には不満だけが残ることになる。
例えば同時上映されているサッシャ・ギトリ監督の1943年の作品『あなたの目になりたい(Donne-moi Tes Yeux)』と比べてみればよく分かる。この典型的なメロドラマにおいて私たちは多くの美しい記憶に残るショットを観ることができる。主人公の彫刻家のフランソワがモデルのカトリーヌを見ながら彫像している時に、フランソワが彫像とカトリーヌを同じ方向に向かせるシーン。フランソワが視力を失う時の歌手のジルダの顔がぼやけていくシーン。フランソワとカトリーヌが暗闇の中で帰途につく時に光に照らされる並んで歩く2人の足のシーン。白黒の画面に次々と映し出される印象派の作品群。この作品を観終わった後に観客は記憶に鮮烈に残るイメージで感動を楽しく語り合えるだろう。
好みはともかく映像の表現方法に優劣などつけようがない。しかしジャック・ベッケルの作品は明らかに語り難いことは間違いなく、それが今日まで続いているジャック・ベッケル(あるいはハワード・ホークス)作品の評価の難しさにつながっているように思われる。
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