おっぱいバレー
2009年/日本
想い出はいつも‘野蛮’
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
この作品を観て改めて考えさせられた。思い返してみれば、学生時代の楽しい想い出というものは(勿論楽しくない想い出も)、学校の中で生まれるにもかかわらずしばしば学校という制度からはみ出たところで生まれるものだ。だから良い想い出を作るためには絶対に表沙汰になってはいけない。‘学校’に知られてしまった時点で、例えば寺嶋美香子先生が生徒たちとロックコンサートに行くという、そしてバレーボールの試合に勝ったらおっぱいを見せるという想い出は消えてしまうのである。
想い出を作るためには秘密を保ったまま物事を成し遂げなければならない。美香子の恩師は秘密を保ったまま美香子を導いたからこそ感動が生まれた。6人のバレーボール部の生徒たちはみんなで先輩に立ち向かっていって殴られたことも、一緒に『11PM』を見たことも黙っていて‘学校’に知られなかったからこそ良い想い出になった。
だから本当はこの作品のタイトルは‘おっぱい’とはっきり示さない方が‘良い想い出’になったと思う。『××バレー』という伏字のタイトルだとプロモーションは難しくなるだろうが、やはり良い想い出は暗黙にしてでも‘秘密’でなければならない。
いずれにしても『GOEMON』よりもこちらの方が圧倒的に面白く‘野蛮’である。
GOEMON
2009年/日本
やっぱり私にはダメでした
総合 0点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
まずは紀里谷和明監督の前作『CASSHERN』の話から始めたいと思う。私は『CASSHERN』を全く評価しないが、あの物語の内容の無さが戦争の無意味さを暗示しているというレビューを読んで、あの意味の分からないストーリーには実はそういう計算が施されていたのかどうか『GOEMON』を見れば分かるだろうと思って期待して観に行った。
確かに驚きはあった。この作品は『CASSHERN』の主人公が石川五右衛門に代わっただけで同じような戦争のイメージの連なりだったからである。いくら映像美が素晴しくても殺し合いのイメージだけをばら撒くだけで核となるストーリーがなければ退屈なだけである。クライマックスであれだけ敏捷に動けた石川五右衛門が何故霧隠才蔵を救えなかったのか、何故あっけなく猿飛佐助に刺されてしまったのか、全くわけが分からない。豊臣秀吉と千利休の対決シーンという‘美味しいネタ’が描けないのであるのならば、映画を撮らない方がいいと思う。
しかしその唯一の売りとなる映像美にしてもジョン・ウー監督の『レッドクリフ』に張り合えているのか疑問である。CGを駆使することで却って映像を薄っぺらくしてしまっているのではないだろうか?
「他者に関わることに対しての落とし前のつけ方」という物語のメインテーマに関してもクリント・イーストウッド監督が手慰みで撮ったような傑作『グラン・トリノ』に完敗している。
はっきり言うならば映画『GOEMON』よりも4月21日放送のテレビ朝日の『アドレな!ガレッジ』での映画宣伝の番組企画の方が断然に面白かった。
わいせつ逮捕の小笠原まさや、無期限謹慎(サンケイスポーツ) - goo ニュース
占い師が何故自分のことが分からないんだという批判は気の毒であろう。誰でも
自分の事になるとどこからともなく願望が忍び込んできて、冷静でいたと思っていた
自分が冷静でなかったことが、事を仕損じてしまった後になって気がつくものであり、
それは残念ながら占い師でも避けられないことである。私はその事を『ミスト』という
映画で知った。小笠原まさやは藤井隆の番組でよく当たる占い師として出演して
いたのを見たことがあるが、作り過ぎの笑顔が気持ち悪いという印象しかない。
気持ちの悪いお笑い芸人占い師が確かもう一人いると思うが、彼の手相占いは
余りにもいい加減過ぎではないだろうか バカバカしくて聞いていられない。