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功名が辻 第44回

2006-11-05 | 功名が辻(小りん)
今日の放送は、「その時歴史が動いた」でしたね。

吉川広家がなんで東軍の味方をするのか、よくわからん?。
家康が勝つことを見越したとしても輝元が西軍の総大将として担がれた時点で西軍側に寝返るべきだったのでは?。
吉川/毛利軍が背後から攻めれば東軍を壊滅できたかもしれないのに…。
ついでに小早川秀秋が西軍から東軍に寝返って西軍も壊滅してから、家康撃退後の吉川/毛利軍と合流したら、西国はほとんど毛利、吉川、小早川のモノになってたかもしれないのに…。

関ヶ原の布陣を見るに…、東軍は笹尾山の西軍本陣に対して背後は南宮山の毛利勢、横から松尾山の小早川秀秋勢と、もの凄く東軍不利にみえるけど、そもそもこの布陣になること自体がヘンですよね?。
もし、内応者が居ないと仮定してオイラが東軍なら、まず最初に南宮山を攻める。東軍本隊を南宮山より前に出すなんて考えられない。しかし、実際にこの布陣になったと言うことは、東軍は吉川広家を完全調略してたと言うことか?。黒田長政の調略ってスゴカッタのね。
小早川秀秋も調略済みだったから、東軍は初めから笹尾山だけ攻めれば良かった!、ということなのかな?…。
しかしなんで、そこまで吉川広家の調略がうまく行ったのか、判らん…。

一豊「わしはこれまで数多くの戦場に立って参ったが、いずれもそのつど涙が出るほど辛かったわ。」

※涙が出るほど辛いなら戦場に出るなよ、弟に行かせれば良いのに。

一豊「われらがここを守っておるからこそ毛利は容易には動けんのじゃ…。」

※オイラも最初この台詞を聞いて納得した。後で六平太に否定されたけど…。…それで考えたらそもそも東軍の背後に毛利勢が居ること事態が変なんじゃないかと思ったしだいで…。

六平太「馬鹿者!、そう思っているならなぜ動かぬ?。徳川勢を勝ちへと導かんでどうする?。行け。前へ出ろ。」
一豊「死ぬも…、生きるも…、戦ってこそか…。」

今日は六平太が大活躍でしたね。先週、千代から頼まれたので千代の手柄ということなのでしょう…。前々から毛利に潜伏してたのは関ヶ原のためか…。

六平太「お言葉ながら治部少様の約束は当てにはなりませぬ。石田治部少は高々20万石の小大名…。関白は毛利輝元様になりましょう…。」

※この台詞を聞いて心が揺らぐ秀秋もようわからん。西軍勝利のあとに要職につける可能性と、徳川勝利の後と、どちらの確率が高いのか…。
 豊臣家の血筋&輝元が西軍の総大将&伏見城を攻めたのに、よく裏切ることが出来たなぁ…。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちはぁ☆ (bluestar1719)
2006-11-07 15:39:57
こんにちはぁ☆
cocktail-lightのbluestar1719です。

>「その時歴史が動いた」でしたね。
「あれ?ドラマだよな、これって?」って
ワタシも思いました(苦笑)

http://tb.plaza.rakuten.co.jp/bluestar1719/diary/200611050001/dc043/
返信する
bluestar1719さんへ (トールギス)
2006-11-09 00:59:53
「堂々日本史」って番組もあったんですね。
来年の川中島の合戦でも、またヤッタリして(汗)。
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