「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

12月23日田母神氏をお招きした集会大成功す!

2009-01-12 11:24:00 | 日々の出会い・感動
12月23日の集会は「村山談話の撤回を求める県民集会」として、崇城大学市民ホール(熊本市民会館)大会議室(300席・予備椅子を出して350席)で行いました。

当日は、何と800名弱の方々が集まられ、ロビーまで溢れ出ました。

集会開催を決定して会場を押さえたのは11月中旬で、11月27日に正式に講師からの承諾がありました。そこで、約1ヶ月弱の準備期間でした。参加促進は次の3つを行いました。
1、会員・シンパへの案内
   12・23午前の奉祝式典案内ハガキに午後の集会についても案内する
   日本会議熊本会員への通達
   憲法シンポジウム参加者(会員以外)への案内送付
2、関係諸団体への案内
   防衛関係団体の会合でチラシ配布
   宗教団体を訪問してのチラシ配布
3、一般広報活動
   讀賣新聞(熊本で5万部)テレビ面(8センチ×22.5センチ)での広報(テレビ面が1回・他の面が2回)
   熊日新聞夕刊(熊本で15万部)(6.5センチ×10センチ)での4回の広報
   産経新聞にチラシを2回折り込み(残念ながら熊本では少ない)
   広報車を回す(12月16日・20日・21日)

反響は凄まじく、讀賣新聞に広告が掲載された12月11日以来22日まで、日本会議熊本事務局には毎日20件前後の問い合わせや賛同の声が殺到し、事務局が仕事にならないとぼやくほどでした。

会場が満杯になる事が事前に予測されたので、椅子席は前に詰めて、後ろに広く空間を空けて立ち見に対応出来るようにしました。又、講師が通る通路のみ空けて、講師他の登壇後はそこにも人を入れました。壇上にも観客を上げ様かとも思いましたが、セキュリティの関係上、出来ませんでした。尚、会場には私服警官4名に入ってもらいました。

ロビーに溢れた人には会場の扉を開けてもききづらかったので、途中で救う会熊本で情宣をしているハンドマイクを持ってきて、田母神氏にそのマイクも持ってもらって飛ばして、ロビーに音を流しました。

集会時間は2時間半(午後2時~4時半)、立ち見が多かったにも拘らず、その殆んどが最後迄参加されました。

プログラムは
 講師・主催者入場
 国歌斉唱(反対派を見分けるため必ずやります)
 主催者挨拶(5分) 山内会長
 基調報告(15分) 多久理事長(村山談話・今回の更迭事件の問題点とわれらが課題について)
 来賓紹介(木村参議院議員夫人・女性の新人県議が開会直前に来ていたのですが会場が一杯だったので登壇を遠慮されたそうです)
 講師紹介
 田母神氏講演(1時間45分)
 意見表明 岡田氏(自衛隊父兄会会長)
      市原さん(日本女性の会熊本県支部副会長
      国友君(青年代表・福祉施設職員・神職として靖国神社にも奉仕経験)

 決議文朗読
 閉会の挨拶 花吉副会長

私の基調報告で決議文の内容について詳しくアピールしたので、参加者には集会趣旨は徹底できました。田母神氏の講演は中々面白く、1時間45分(予定では1時間30分)観衆を魅了しました。前半の、今回の更迭に及んだ経過は、体験であり良く解りました。時間が長かったので歴史認識問題まで詳しく触れられました。解り易かったので、女性の参加者にも好評でした。

講演後、質疑応答も考えましたが、熊本の人は質疑をせずに自分の意見をとうとうと述べる人が居るので、それはやめて、集会らしく「応援演説」の意味で「激励と感謝」の「意見表明」にしました。1人5分程度でしたが、実感のこもった話で感動的な内容でした。集会は更に盛り上がりました。決議文は、前日に東京に居た私と熊本で準備に当っている事務局長とでメールでやりとりをして、前日の夜11時に確定しました。長い文章になってしまいましたが、今回の集会の意味を総て盛り込みました。閉会の挨拶では、日本会議の紹介も行い、入会も勧めて戴きました。当日、その場で正会員に7名の方が入会されました。 
2時間半という長い集会でしたが、立ち見が多かったにも拘らず、参加者は大変満足して帰られました。

その後、ホテルキャッスルで、田母神氏を囲む会(午後5時~7時)を日本会議熊本役員・事務局・防衛団体代表者など約30名で和やかに行いました。(参加費1人6000円)

今回の来熊に当っては、報道関係者を中に入れないとの条件が日本会議本部から付きましたので、講演に先立って午後1時から記者会見を行い、テレビ局2局、新聞社5社が来ました。記者の質問に田母神氏が応える形で、40分かかりました。

日本会議熊本からは、決議文と資料(終戦50年の際、日本を守る国民会議が出した「アジアと日本の大東亜戦争」の中からのコピー・産経新聞「正論」欄の百地章氏・大原康男氏文章)を配って私から説明しました。翌日の鹿児島では平日だったので、事前に県庁の記者クラブで記者会見を行いました。その場で記者から集会場での報道を求める声が上がったので、田母神氏と相談して了承しました。それ故、鹿児島では報道関係者も急遽入場を許可しました。熊本でも、ロビーにハンドマイクで講演を飛ばして流したので、結局は報道関係者も総て聞いていましたので、共同通信からの要請で記事掲載を許可しました。

参加費は日本会議熊本正会員は無料(約150名)で受付を別にしました。一般参加者は参加費1000円で、551人から戴きました。ロビーの人は戴きませんでしたし、運営委員が居るので、700名は確実に超えていました。収入が55万1千円でしたので、講師謝礼・交通宿泊費・広報費・案内状発送費など充分まかなう事が出来ました。

尚、記録に関しては、録音は施設の方で行って戴き、ビデオは固定で撮りましたが、写真係りはあまり動けないので、会場右に1人、左に1人、正面に1人を配置しました。勿論運営委員には緑の日本会議熊本と記した腕章をつけてもらって、参加者と区別しました。

私は、基調報告を行うので舞台に居た為に、司会進行への指示は出せましたが、会場の入口の受付や場内整理係りには指示を出せませんので、一人確りした人にそれらの部署を統轄して戴き、その人の判断で問題点には対応して戴きました。

以上が、熊本での集会で思いつく点です。

【集会決議文】

村山談話の撤回を求める熊本県民集会決議文案

 本日、私達は村山談話の撤回を求めここに集まった。現在の我が国を取り巻く国際情勢は厳しく、ロシアによる北方領土不当占拠は恒久化し、韓国による竹島の実効支配は強化され、数百名に及ぶ日本人拉致を隠蔽し核武装して圧力を加える北朝鮮の脅威は増大し、太平洋への進出を目指す中国の領海侵犯事件の頻発など、我が国を巡る防衛体制は予断を許さない事態となっている。それにも拘らず、我が国政府は、村山談話に反する意見を発表した事を理由に、領空防衛の責任者である航空幕僚長を更迭するという前代未聞の愚挙を行った。

 そもそも村山談話とは、平成七年当時の自社さ連立政権の下で、終戦五十年謝罪決議を巡る混乱と国民の圧倒的な反対にも拘らず、反日政党である社会党の村山富市党首が自らの歴史観を表明した政治的な妥協の産物に他ならない。本来であるならば、自社さ連立政権が解消した段階で否定されるべき談話であった。しかし、五十五年体制崩壊後の政治流動化現象の中で、歴代内閣はこの過てる歴史認識を放置し続けて来たのである。だが平成十八年に成立した安倍内閣は、村山談話の誤謬を是正すべく、十月六日に次の答弁書を閣議決定した。「『侵略戦争』及び『戦争責任』という概念について、国際法上確立されたものとして定義されているとは承知していない。」「お尋ねの『先の大戦』および『あの戦争』については、その時期等をめぐり様々な議論があるところであり、政府として、具体的に断定することは適当でないと考える。」この答弁書により村山談話は、歴史認識を明確に示したものではなく、その内実は極めてあいまいである事が明らかとなっている。又、村山談話が閣議決定している事を理由に様々な攻撃が為されたが、閣議決定に関する政府見解は「閣議決定は法令には当たらず、これに反したとしても法令違反となるわけではない」というものである。しかし、今回の問題では、「懲戒」や「退職金の返納」等の発言が出るなど、まるで違法行為を行ったかのような発言が続いた。何故、この談話だけが他の閣議決定と違い、防衛の要である幕僚長に「懲戒」まで与える権限があるのだろうか。もし発言通りに懲戒処分が行われたならば、違法行為を政府が行うこととなり、極めて異常と言わざるを得ない。

 更に、今回の更迭劇を利用した左翼勢力による、村山談話を「踏み絵」とする自衛隊に対する思想統制の動きに対して、我々は断固拒否しなければならない。田母神氏の論文に対して、政治家やマスコミから、「村山談話に反する歴史観の持主」であることが問題であるかのように述べられたが、これは憲法十九条が保障する思想・信条の自由を踏みにじる暴論である。自由民主主義を標榜する我が国では、個々人が如何なる歴史観を持とうと自由であり、特定の歴史観を強制する事は許されていない。本来言論の自由を守るべき立場にあるマスコミが、田母神氏を始めとする自衛隊員の思想を弾圧し、言論を封殺する全体主義的行為を行なっている事は、自己矛盾に他ならず、マスコミの自殺行為に等しい。

 今回、村山談話を根拠に、我が国の歴史を肯定的に捉え、我が国を良い国だと表明した田母神航空幕僚長を更迭した行為は、祖国に誇りを抱き、日本の為に命がけで防衛の任に当たっている自衛隊員に対する背信行為に他ならない。

 今後、村山談話に基づく自虐史観によって自衛隊員の再教育が強行され、自分の国が侵略国家で、悪い国だという歴史観を強制されるのであれば、その様な悪い国の為に命がけで戦えという事は成り立たず、田母神氏が言われる様に自衛隊員から国防の意欲と情熱とを奪ってしまい、自主独立の精神は失われ、日本はアメリカの属国のみならず中国の属国となってしまうであろう。

 我々は政府に、反日左翼勢力の自衛隊破壊の具に利用され、我が国防衛の根幹を揺るがしかねない、「村山談話」について、一日も早い見直しを行い、早期撤回の決断を行うよう強く求めるものである。

平成二十年十二月二十三日 

               村山談話の撤回を求める熊本県民集会参加者一同


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