、小沢官房長官、支持率危険水域でも、支持をしてる人達の為に鳩山総理と反小沢分子の大幅改造を断行して新発進し直せ

マイナス思考げ危機感ゼロ党内でケンカしてる暇あるかそんなバカ閣僚は即解任し仕事する若手と交代させ、一致団結選挙に突進。

実家父・佐重喜(弁護士、政治家•母・みち(元千葉県会議員荒木儀助の四女

2010-04-18 22:57:57 | 参院選楽勝を信じ団結して天明を待て
家族・親族
実家
•父・佐重喜(弁護士、政治家)
•母・みち(元千葉県会議員荒木儀助の四女)
奥野修司の著書『小沢一郎 覇者の履歴書』50頁には「みちは明治三十四年二月十五日に千葉県の元庄屋の娘として生まれている。実家はかなりの豪農で生まれたときからお嬢様として育てられたという。九段の精華高等女学校では、のちの鹿島建設会長夫人になる鹿島卯女も同窓だった。」、85頁には「このみちは明治三十四年に荒木儀助と妻かのの四女として千葉県東葛飾郡風早村で生まれているが生家は“駅からよその土地を踏まずに家まで帰ることができた”といわれるほどの大地主だったようだ。父親の儀助も千葉県の県会議員になっているほどだからかなり裕福だったことは推測できる。両親はともに教育熱心だった。のちに医者や弁護士になっている家族もたくさんいて、みち自身も東京九段の精華高等女学校を卒業しているほどである。」とある
•姉(2人)
自家
•妻・和子(新潟県の建設会社福田組会長・福田正の長女)
•三男あり
他家
•親戚
竹下亘(政治家、元首相竹下登の異母弟、妻は福田正の二女)
金丸信(政治家、金丸の長男の妻は、元首相竹下登の長女)など
系譜
小沢家[170]
小沢一郎は自身の家系について、古代東北の英雄として知られた蝦夷・アテルイ[171]の末裔であるため“反骨精神が旺盛だ”と述べている[172]。父小沢佐重喜は岩手県胆沢郡水沢町(水沢市を経て、現奥州市)の農家に生まれ、1923年(大正12年)、日本大学法学部を卒業するとその年の12月に25歳の若さで弁護士試験に合格し翌年弁護士事務所を開業する。東京市会議員、東京府会議員を経て、1946年(昭和21年)、衆議院議員に当選する。第2次吉田茂内閣の運輸大臣、第3次吉田茂内閣の逓信大臣、初代郵政大臣兼初代電気通信大臣、第5次吉田茂内閣の建設大臣、第2次池田内閣で行政管理庁長官、北海道開発庁長官等を歴任する。父・佐重喜について一郎は「親父は、じいさまが酒に溺れて身上をつぶして水飲み百姓の小作人のせがれとして食うや食わずで育ったんだ。それで、ものすごく貧乏だったせいかどちらかというと反体制的な考え方だった。戦後の経済万能主義の社会や政治を嫌悪していたし、エスタプリッシュメントというものに対する反発を非常に強くもっている男でした」と述べている[173]。
  (14代)
   竹中藤右衛門━━┳寿美
           ┃
           ┣竹中宏平━━竹中祐二
           ┃       ┃
           ┗竹中錬一   ┃
             ┃     ┃
    米内光政━━━━和子     ┃
     (元首相)         ┃
            (元首相)  ┃
   ┏竹下勇造━━━━┳竹下登━━┳公子
   ┃        ┃     ┃
   ┗武永貞一    ┣竹下三郎 ┣まる子
            ┃     ┃
            ┃     ┗一子
            ┃       ┃
            ┃金丸信━━━金丸康信
            ┃
            ┗竹下亘
              ┃
              ┃
    福田正━━━━━┳雅子
            ┣福田実
            ┗和子
              ┃    ┏男
    小沢佐重喜     ┣━━━━╋男
      ┃       ┃    ┗男
      ┣━━━━━小沢一郎
      ┃
荒木儀助━━みち
エピソード
田中角栄
•田中角栄の長男である正法(1947年、5歳で夭折)と小沢が同じ1942年生まれであったため、角栄は小沢を息子のように可愛がったとされた。それに対して小沢も角栄を慕い、田中派から独立した経世会に所属した国会議員で唯一、田中の裁判をすべて欠かさず傍聴した。同時に角栄の娘、田中真紀子との関係もよく(真紀子も、小沢を兄のような存在だと認識している)、旧竹下派の中では唯一田中家から許されているため、命日には田中家を訪問した。そのため親交が深く、真紀子の自民党離党、民主党会派入りに小沢は尽力した。また、「政治の父は田中角栄」と公言した。
•かつて田中角栄の懐刀だった小沢と福田の因縁の戦いは、「第二の角福戦争」と呼ばれた。しかし当人たちにはそのつもりが全く無く、福田を舌鋒鋭く批判する角栄の娘の田中真紀子元外相の方が注目され、これが真の「第二の角福戦争」だと見る向きもあった。
愛犬
2006年4月の衆議院千葉7区補欠選挙で党の広告に柴犬の「もも」を起用。補選で「もも」は小沢や候補者たちの応援に出向き話題をさらった。小沢によれば当時の小沢の飼い犬であった柴犬「ちび」と似ているという。2007年10月、その「チビ」を失うが、2008年、新たに柴犬の子犬2匹を飼い始め、毛並みの色から「クロ」、「チャイ」と名付けた[174]。
ニートについて
2005年3月の夕刊フジのコラムにて、ニートについて以下のような見解を示した[175]。
「本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。」
「政府は「少子高齢化の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑(犯罪も含む)もかけず、公共的サービスも受けないことだ。無人島でも行って自給自足の生活でもすればいい。」
またニートの親については、「僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」と評し、その責任を激しく糾弾した。
韓国をめぐるエピソード
•1999年4月に韓国を訪問した際、同月18日に日本の党幹部・閣僚クラスの政治家としては初めて(当時)となる、ソウルにある金九[176]、尹奉吉、李奉昌、白貞基といった、抗日テロリスト(独立運動家)の墓地を参拝した。この事に関して、東亜日報は「新しい韓日関係のため韓国に近づこうとする努力の一環として評価している」と報じ、文化日報は「極右保守的なカラーを薄めるための高度の計算だとの指摘もある」と述べた。
•小沢は日本の政治家としてはじめて韓国人秘書を正式に受け入れた[177]。2000年に登用された韓国人女性である金淑賢は国際担当秘書を務めており、海外の要人との会談時には通訳をしていた[177]。公設秘書(公設第1・第2・政策担当)ではなく、私費で雇用している数十人の私設秘書の1人であった[要出典]。また、この女性は日本の政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っていた[177]。この韓国人秘書は2007年7月に韓国政府の女性部主催の「世界韓民族女性ネットワーク」に日本側代表として参加している[178]。この団体は、欧米各国で従軍慰安婦に関する日本政府への抗議デモや集会を700回以上行っている[179]。なおこの女性は小沢の秘書を務める傍ら東京大学の博士号を取得し、2008年5月に秘書を離職した後は大学院の教員に就任している[180]。
•小沢は、韓国人の一部が領有権を主張し、韓国資本に土地が買収されている問題が発生している対馬について、前連合会長の笹森清に「どう思うか?」との質問をし、笹森が「私は対馬のことを心配している。ウォン経済に買い占められそうだ」と答えると、小沢は「今は絶好のチャンスだ。円高だから(韓国領の)済州島を買っちまえ」と山田正彦衆議院議員のパーティーで行ったあいさつで語ったことが報道機関によって伝えられた[181][182]、小沢自身はこの発言の存在を否定している[183]。
米国、中国との国際交流
小沢は、日米、日中の交流が世界の平和と安定に不可欠と考えて、政治家としての公的な仕事とは別に自分のライフワークとして草の根レベルの国際交流活動を続けた。米国とは1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げ、1992年に財団法人ジョン万次郎ホイットフールド記念国際草の根交流センターを設立した。2001年、日本に関心の高いシカゴ市の特定中学校の生徒を毎年20人程度日本に招待した。中国とは、1986年に第1回長城計画が中華全国青年連合会の協力を得て開催され、青年指導者、大学生を毎年数十名を招待した。国際交流活動は、実施団体とともに小沢事務所が担当したため、複数の外国人の大学院留学生が事務所で働いていた。
ニコニコ動画
2007年7月、第21回参議院議員通常選挙の直前にニコニコ動画へ出演し、話題となった。その後も2008年11月や2009年元旦に「1万人ネット会見」を行った。また、2008年9月から公式動画コーナー「小沢一郎チャンネル」を開設した

人物評

2010-04-18 22:55:28 | 参院選楽勝を信じ団結して天明を待て
人物評
身長:173cm、体重:73kg、血液型:B

小沢と同じ田中派であった鳩山邦夫の元秘書である上杉隆によると、マスメディア等でプロパガンダが行われる「剛腕」「壊し屋」といったイメージは実際の小沢とは正反対のもので、よく地方へ選挙演説に行くと、その腰の低さ、人懐っこさが驚かれるという。このギャップこそが小沢一郎の政治界での強さを物語っていると評した[156]。長男は倍率20の難関、海上自衛隊幹部候補生学校に合格したが3年で辞任して現在会社員に転職した。次男は2010年の参院選に出馬予定である。三男は派遣社員。

2009年から国民新党で連立を組み、日本郵政社長に斎藤次郎を登用させる要因にもなった亀井静香は「あの人とは2度喧嘩して2度握手したけど、家臣が止めても桶狭間の戦いに行くような人間。政治手腕は織田信長以上。」と評した[157]。

この節には「独自研究」に基づいた記述が含まれているおそれがあります。信頼可能な解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

かつては「剛腕」「壊し屋」、と称され、「政治とは権力闘争である」という政治観の持ち主であった。金丸信は小沢、羽田孜、梶山静六の3人を「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。

民主党内外では小沢アレルギーの存在が指摘され、これは若手議員よりも自民党当時を知る議員により強いとされた。「独断専行、側近政治、顔が見えない」との批判や、自民党分裂とその後の分裂工作、新進党分裂・解党等がその原因とされる。

周囲からは東北人気質も相まって朴訥な人物と評された。そのことから説明する努力に欠け、側近が離れる一因となっているとも指摘された。本人曰く「去るもの追わず。来るもの拒まず」。また、強面のイメージであるが私生活では恐妻家として知られた。

健康問題
初当選直後に甲状腺癌を患ったことを明らかにしているが、手術で完治した。しかし竹下派会長代行として海部政権の実質的な実力者であった1991年夏に狭心症で入院して以来、心臓を巡る健康不安が絶えない。本人は健康管理に余念がなく、早朝に30分ほどの散歩をすることを日課とし、アルコールは日本酒を3合までに控えるよう心がけ、昼食後約2時間の休息を欠かさない[158]。ただ、こうした制限が政治活動に影響を及ぼすこともあり、批判や憶測を呼ぶこともしばしばである。2008年10月6日から13日まで風邪で入院、同月23日に予定されていたインドのシン首相との会談を含む党役員会などの公務も体調不良ということでキャンセルし、シン首相との会談は鳩山幹事長が代理を務めた[159]。第171回国会(会期2009年1月5日 - 6月3日)では、2月末までに11回開かれた衆院本会議のうち4回欠席している。[158]。

信条
田中角榮を「オヤジ」として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、人口密度の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、福澤諭吉を日本文明の祖として尊敬し、勝海舟や坂本龍馬にも一定の理解を寄せ、西郷隆盛を尊敬するものの、政治家・人物としては大久保利通を目指していると述べた[160]。戦前歴代内閣総理大臣で尊敬する人物は原敬である。また、司馬遼太郎を愛読している。

自民党離党
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、イギリスやアメリカのような二大政党制に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が自由党を民主党に合流させることで成就するのだが、小選挙区制を導入すれば同じ選挙区から自民党と社会党の政治家が選ばれるということが無くなるためであった。小沢は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた。

宗教観・文明観
自民党幹事長時代、与野党逆転国会を乗り切るために公明党と協力関係を築いた。細川連立政権でも市川雄一と一・一ラインを敷き、政権運営の主導権を握ろうとした。しかし新進党時代は党に参加していた公明と対立し同党解党の原因の一つとなった。

そして民主党代表となり、2006年4月に創価学会の秋谷栄之助会長と会談したが公明党を政権交代後の連立政権には含めない方針を打ち出すと共にしばしば強い公明党批判を行って自公政権をけん制した。民主党は「宗教と民主主義研究会」を石井一、池田元久、一川保夫らが設立するにあたってこれを了承。政教分離を定めた日本国憲法第20条に違反する行為を考えるとした[161]。

2009年の民主党政権誕生後は、公明党・創価学会との連携を伺わせる言動をしばしばとっている。2010年2月26日に小沢が輿石東参議院議員会長と共に創価学会幹部と会談したことが報じられたが3月3日記者会見でそれを否定した[162] [163]。 このようなことからリアリストである小沢は公明党の実在する政治権力を情勢に応じて活用することも辞さない政治姿勢であると言える。但し政教分離の観点から好ましくないとするのが本音であろう。

2009年11月10日、高野山・金剛峰寺を訪問し、当時の全日本仏教会会長で高野山真言宗の松長有慶管長と会談した際、キリスト教とイスラム教が共に排他的と断じ、「(排他的な)キリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのもの」と批判すると同時に、「仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという、非常に心の広い度量の大きい宗教・哲学」と述べた[164][165][166]。

この発言に対し、日本キリスト教連合会(山北宣久委員長)は翌11月11日、発言撤回を求めて小沢宛の抗議文を民主党本部に送付した[167]。小沢は11月16日の記者会見で「宗教論と文明論を言った」「(仏教は他の宗教と)基本的な考え方が違うということを言っている」と説明した[168]。

囲碁
囲碁の腕前はアマ六段で、政界最強とも評されている。2007年10月に同じく囲碁の実力者、自民党元官房長官の与謝野馨と囲碁で対決した。二人は政界きっての囲碁の実力者で2時間半の激戦の末、小沢が勝負を制した。小沢は「こっち(与謝野氏)は正統派だしね」、与謝野も「(小沢氏との)最後の一局は、4、5年前、私が負けたんですよ」と互いに勝負の感想を述べた。また、12月には作家の渡辺淳一と囲碁で対決し、小差ながらも勝利した。 2009年11月24日、台湾出身の女流本因坊、謝依旻氏(20)と囲碁の公開対局に臨んだが敗北した[169]。また2009年12月12日韓国囲碁界の実力者、チョ薫鉉九段と対局し、小沢氏が先に四つの碁石を置く「置き碁」で対局し勝利した。

家族・親族

検察・マスコミへの批判 「特別捜査部#捜査への論評」

2010-04-18 22:51:04 | 参院選楽勝を信じ団結して天明を待て
検察・マスコミへの批判
「特別捜査部#捜査への論評」も参照

事件についてのマスコミ報道については、枝野幸男衆議院議員が、2009年1月10日の民放番組で、「捜査途中の供述が起訴、公判の前に報道されるのはおかしい。検察官には守秘義務がありリークだとしたら国家公務員法違反だ」と検察を批判した[131][145]。

鈴木宗男衆議院議員は、2010年1月12日、自らのブログに、石川に「あなたの方で情報提供しているのか。サービスしているのか」と聞き、石川が「そんなことはしていません。ただ検事に供述した話が、そのまま新聞の『 』(カギ括弧)で使われています。検察がリーク(漏洩)したとしか思えません。ひどい話です」と答えたと書いている。その上で、鈴木は、『新聞では「関係者」となっている。その関係者は、石川代議士か検察官のどちらかである。石川代議士は明確に否定している。だとするなら、もう一方の当事者である検察に行き着くことになる。』とし、『私自身の8年前のメディアバッシングを想い出しながら、権力側のリーク、世論誘導、国策捜査は、私の時でやめてもらいたい、私で最後にしてほしいとつくづく思う。』と検察及びマスコミを批判した[146]。1月15日に東京地検特捜部が石川を逮捕したことについては、「証拠隠滅の恐れもないのになぜ身柄をとる必要があるのか。異常としか言えない」「このまま民主党政権が続けば自分たちがどうなるかわからないから暴走したのだろう。鳩山政権つぶしだと受け止めている」と検察の行為を批判した[147]。

郷原信郎名城大学教授は、2010年1月13日、日経ビジネスオンラインで、「検察はまだ強制捜査も何もやっていないし、公式なアクションやコメントは何もないのに一方的にマスコミの側が報じている。その中には、検察の捜査情報がわからないと知り得ないのではないかと思えるようなことが多く含まれている。当時の陸山会の担当者の石川衆議院議員が立件・起訴されると報じられているが、一体何の犯罪事実で起訴されるのか、さっぱりわからない」と指摘し、「05年に土地を買ったということになっていたが実際には04年に買っている、04年に土地を買った原資のことが収支報告書に出ていない、だからその点が不記載の違反に問われる、というのが私の理解だったが、実際には04年の陸山会の収支報告書には小沢氏からの4億円の借入金の記載はある。その借入金の記載が小沢氏名義で銀行から借りたお金のことか、個人から直接現金で出てきたものなのか、ということが問題にされているのかもしれないが、その辺の話は公開された情報ではわからない。捜査機関側から直接説明でもしてもらわないとわからないはずだ」とマスコミを批判した上で、「2004年の収支報告書に小沢氏からの借入金の記載があるのに、それでも違反だというのは、マスコミの側が検察の側からよほど詳しい説明を受けているからではないか」と今回の一連の報道の在り方の問題を指摘した[148]。

2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催で、緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」が開催され、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男、田原総一朗、平野貞夫、宮崎学が参加した[149][150]。

二見伸明元衆議院議員は、2010年1月19日、THE JOURNALで、「逮捕の条件である証拠隠滅と逃亡の恐れはまったく考えられないのに、特捜部があえて逮捕に踏みきった」と批判した[151]。

2010年2月26日、月刊『創』主催で、シンポジウム「『小沢vs検察』にみる検察と報道のあり方」が開催され、鈴木宗男、三井環、上杉隆、青木理、元木昌彦、安田好弘、篠田博之が参加した[152][153]。

労働保険未加入問題
この節は現在進行中の事象を扱っています。記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。

2009年3月3日、小沢の事務所が雇用しているアルバイトや私設秘書について、労働保険に未加入だったことが分かった。同事務所は「少なくとも3、4年は未加入になっており、かなりの人数分の未納保険料を納付することになる」と説明、今後、過去の雇用状況を調べた上で労働局に届け出る予定としているが、労働保険未加入発覚時のペナルティは、発覚時の前年度と前々年度分の保険料と、10%の追徴金のみであり、未加入分の多くは問責されないこととなる。 同事務所では、小沢の初当選以来、「正規の秘書」以外は届け出ていない可能性もあり、対象者は数百人規模になるという[154]。

2009年9月25日、未納保険料を支払う際に必要な「算定基礎調査書」が、7月末現在で「不存在」だったことから、平成18、19年度分の保険料の納付がいまだに済んでいないことが産経新聞の調査で判明した。平成18年度の未納分と課徴金の納付については、7月中旬で時効となった。小沢事務所側は「(西松建設の違法献金事件の)捜査で経理書類をすべて押収され、未納分の調査や手続きに必要な書類がなく、総選挙の日程が重なったこともあり、手続きに時間がかかっている」と釈明した。検察に押収された書類については、返還やコピーを求めることができるが、同事務所は申請の有無については回答しなかった[155]。

人物

民主党・小沢代表が突然の辞意表明

2010-04-18 22:43:47 | 参院選楽勝を信じ団結して天明を待て
小沢に対する弁護と批判
小沢は事件について自ら説明をおこなった[96][97][98][84][99]が、この中で小沢が捜査について「不公正な国家権力、検察権力の行使」と述べていることについては民主党の内外から批判の声が出ている[100][101]。(ただ、自民党の麻生内閣が官房副長官に漆間巌を起用した理由は漆間巌が警察OBであることから現役警官から情報が得られ、小沢一郎民主党代表の持病である狭心症の状態や、民主党大物議員のマルチ商法スキャンダルを調査させるという目的であることも取りざたされていた[102]。)また報道機関による世論調査では、国民が納得していないとの結果が得られたとしている[103][104][105][106]。3月27日にも民主党の参院議員総会と代議士会で説明しているが、代議士会において小宮山洋子議員からは「法廷闘争と選挙戦略は全く別だ。地元では『新しい体制を作ってほしい』という声が多い」 と小沢の代表続投に異議を唱えられ、近藤洋介議員からは「世論調査では説明に納得していない国民が8割いる。なぜ数千万円の献金をもらい続けたのか」と説明を求められ、一方小沢鋭仁、小宮山泰子両議員には代表の続投を支持され、全体として代表続投が決まった[107]。
達増拓也岩手県知事は小沢の公設第一秘書が逮捕された翌日、その政治資金規正法違反事件について「これほど疑念を持たれている捜査はないんじゃないか。現段階では、よほどのことがないまま政治活動の自由が大きく制限されている」と東京地検特捜部の捜査を批判し、小沢の記者会見における献金の違法性の否定については「非常に分かりやすく、得心できた」と大きな意味があったとしている[108][109]。
民主党の機関誌「プレス民主」09年4月17日号で、ジャーナリスト高野孟と田中康夫新党日本代表がこの捜査や小沢一郎代表交代論を批判した。[110]
民主党の枝野幸男元政調会長は小沢の代表続投の判断について「今後も説明の努力をされ、(世論調査結果に表れる)納得できないとか辞めるべきだというのを大幅に下げる政治責任がある」とコメントし、小沢が多額の企業献金を得ていることについては「政治体質が私と百八十度違う。我が党の党首にはふさわしくないと一貫して思っている」と述べている[111]。民主党員である小宮山洋子議員は公然と小沢の代表辞任を要求していた[112]。なお、民主党の菅直人代表代行も小沢代表の辞任を求めたと伝えられたが後に釈明している[113]。
国民新党の亀井静香代表代行は小沢の代表辞任を求めた[114]。共産党の志位和夫委員長は小沢には「長年多額の企業献金を受けてきたことの総括」と「国民が納得できる説明」が必要とした[115]。
小沢は、この問題における党内の動揺を受け、5月11日に民主党代表を辞任した。
岩井奉信日本大学教授は、「小沢氏は規正法の趣旨について熟知しているため報告書は詳細だが、これに比べると自民党の政治家による報告書の透明度は低いことが多い」と述べている[116]。『SAPIO』は、陸山会が提出した政治資金収支報告書について、「公表義務の無い5万円以下の個人献金から西松の政治団体からの献金まで詳細に記載されており、透明性が高い」と指摘した上で、二階俊博による政治資金収支報告書では献金のほとんどが公表義務の無い5万円以下の個人献金であるかのように処理されている点を挙げて、検察による捜査の公平性について疑問を呈している[116]。
報道における問題
「情報操作」および「記者クラブ」も参照
公設第一秘書の起訴直後、各報道機関によって「秘書が起訴内容を大筋認める」との報道がなされたが、秘書の弁護人は「大筋を認めたとする報道と弁護人らの認識は全く異なっている」とするコメントを発表した[117]。秘書の初公判において、「法律の網の目をくぐったダミー団体で、形式上あるだけ。政治活動の実体がない『トンネル(団体)』に過ぎないと思ったのです」、「西松建設からの献金は、金額が多く目立つので、あれこれせんさくされるのを避けたかった」と秘書は一端自白した後に否認に転じたことがわかった。なお、秘書は一端自白したのは「政治的な影響を最小限にとどめたかったから」としている。[118][119]
また、報道が検察や自民党の意を汲んだマスメディアによる情報操作であるとの指摘もある[120][121]。『東京新聞』が西松から献金を受け取った自民党政治家(二階俊博)の件について記事にしたところ、検察側はそれが望ましくない内容であるという理由で、『東京新聞』に対して、取材拒否および東京地方検察庁への3週間の出入り禁止措置を取った[122][121]。この一件以後、記者クラブに加盟している報道機関は検察および自民党に有利な報道をおこなうようになったといわれる[121]。また、東京地検は『ニューヨーク・タイムズ』による取材申し込みについて、「記者クラブに加盟していないこと」を理由に拒否している[122]。
検察の捜査姿勢への賛否