予想通り週末の政治番組は小沢一郎の「政治とカネ」問題一色に塗りつぶされた。今日召集される通常国会でも、この件をめぐる質疑応答に注目が集中するだろう。だが私は、はっきり言って、自民党議員の追及を聞いたところで、「お前が言うな」としか思えないから、今からうんざりしている。かつて、小泉純一郎が首相に就任した頃、「われわれこそが改革者だ」と自民党議員たちが口にするのを聞いた時に感じた白々しさを、再び感じるだけだ。
民主党における小沢支配は、確かに由々しき問題だし、いずれそう遠くないうちに民主党も国民も小沢一郎を乗り越えなければならないと私は考えている。それには、「政治とカネ」の問題ももちろん含まれるし、小沢一郎や鳩山由紀夫、菅直人をはじめとしてほとんどの民主党議員が主張している、衆議院の比例区定数80削減は、なんとしてでも止めなければならない。
だがそのことと、どう考えても無理筋の、今回の東京地検による石川知裕議員の逮捕劇は話が別だ。一言で言うと、小沢一郎は、今後、民主党にとっても国民にとっても乗り越えなければならない存在だが、乗り越えるべきは民主党員あるいは国民なのであって、東京地検特捜部というか検察権力では断じてない。ましてや、自らの既得権益を守ることに汲々としているマスコミなどでは絶対にない。
今回の件は、検察による政党政治への挑戦である。前回のエントリ「岸信介一派は追及されず、角栄系列ばかりが追及される怪」は、石川議員逮捕の前に書いたものだが、当ブログとしてはおそらく過去最多の、300件を超える「ブログ拍手」をいただいた。これは、記事中で前々回のエントリ「産経新聞と自民党は潰れてもらった方が世のため人のため」にいただいた「ブログ拍手」の数に言及した影響もあったのだろうけれども、今回の石川議員逮捕や、それに至るまでに東京地検特捜部の捜査、それに「検察リーク」を垂れ流すだけのマスコミ報道に納得しない読者の方々から、記事の内容にご賛同をいただいたものだと思っている。
前回のエントリでも書いたように、1989年に小沢一郎が自民党幹事長に就任した時以来、私は一貫してアンチ小沢だったし、1994年に反小沢の自社さ連立政権が成立した時にはこれを支持した。そして、昨年の西松事件の際には、早々に小沢一郎代表の辞任を求める記事を書いて、これに反発した「自エンド」主流の方々と袂を分かった。そのおかげで「裏切り者」と言われ、「自公の工作員」呼ばわりまでされたものである。しかし、そんな私でさえ、今回の石川代議士逮捕には抗議の声を上げるしかないし、16日に開かれた民主党大会で小沢一郎への批判の声が上がらなかったことを、異常とも何とも思わない。異常なのは東京地検特捜部の方である。
そもそも、石川議員が逮捕されるのなら、昨年の西松事件捜査の時に可能だったはずだし、それなのに、通常国会召集を翌週月曜日に控えた週末、金曜日の深夜になって、虚偽記載による政治資金規正法違反で国会議員を逮捕するとは、どう考えてもおかしい。現在は自民党政権から民主党政権に代わっているから、「国策逮捕」という表現は当たらないかもしれないが、思い出せば2006年のライブドア事件だって、前年の総選挙に自民党が候補に立てた堀江貴文が逮捕されたのであり、あの捜査は小泉純一郎、竹中平蔵、武部勤ら政権首脳の利益に反するものだった。あの当時私は、ライブドア事件を「旧保守による新保守への挑戦」という権力闘争だととらえ、大谷昭宏の「これは良い国策捜査だ」という言葉にうかつにも共感してしまった上、そのことを昨年にもブログに書いて批判を受けたが、これは批判者の方が正しくて私が間違っていた。そもそも、小泉政権にダメージを与えたライブドア事件の捜査を「国策捜査」だととらえること自体矛盾している。小泉純一郎や竹中平蔵とは異なるベクトルを持った勢力が政権に挑んだ権力闘争として、もっと突き放したとらえ方をしなければならなかった。あの時、東京地検特捜部に期待する発言をした大谷昭宏自身も、昨日放送のテレビ朝日『サンデープロジェクト』では検察を批判していた。
自民党の新自由主義勢力に敵対的と推察される検察権力だが、昨年の西松事件や今回の石川議員逮捕などを見ていると、民主党というか小沢一郎に対しても敵対的だとみなせる。そして、検察は過去、ロッキード事件で田中角栄を逮捕したが、田中よりはるかに薄汚れた、否、どす黒く汚れ切った岸信介を逮捕することはついになかった。そう考えると、彼らは岸信介系列の旧保守タカ派勢力と高い親和性を持っているといえるのではないか。私は彼らがアメリカの意を受けているとは思わないし、清和会の中にだってリクルート事件に関係したために総理大臣になり損ねた安倍晋太郎のような人物もいて、逆に経世会の野中広務が検察の網にかからなかった例があるから、全部が全部とはいえないけれども、少なくとも傾向としては、検察権力が清和会系の旧保守タカ派勢力と高い親和性を持っているとはいえると思う。
こう書くと、すぐに陰謀論だと言われるし、一昨日に『kojitakenの日記』に書いた記事「中西輝政に教えられる時代がくるとは」は一部からそのように評価されているが、政治に陰謀がつきものなのは当然である。実際、岸信介や佐藤栄作がCIAから資金援助を受けていたことは、アメリカにおける文書公開によって公知の事実となっているし、前記『kojitakenの日記』の記事で孫引きした右翼学者・中西輝政の論文(『文藝春秋』2009年5月号掲載の「子供の政治が国を滅ぼす」)が指摘しているように、1934年に検察がでっち上げた「帝人事件」によって斎藤実政権が総辞職に追い込まれ、その背後には司法官僚出身で当時枢密院副議長を務めていた平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)がいたとされる歴史的事実もある。そもそも陰謀を仮定すること自体は陰謀論ではない。それを陰謀論だと言うなら、たとえば、デヴィッド・ハーヴェイは、新自由主義を「富裕層が格差を拡大して階級を固定するためのプロジェクト」だとする仮説を立てているのだが、それだって陰謀論になってしまう。いや、右側の論者はハーヴェイこそ陰謀論者だと言うに違いないけれども、陰謀を行うのは権力を持った者に限られるのである。もちろん力のない者も陰謀を企むけれども、そんなものは何の効果もないので論じるに値しないのだ。そして、岸信介や佐藤栄作がCIAから資金援助を受けていた件のように、証拠が現れれば陰謀の事実が確定するし、陰謀仮説を否定する材料が現れれば仮説を修正するか、または棄却するだけの話だ。それでは、何をもって「陰謀論」だとか「陰謀論者」などと批判するかというと、それは仮説がドグマと化してしまって批判を許さず、批判者を「裏切り者」とか「工作員」呼ばわりするような輩のことをいう。実際、私自身も「アメリカから金をもらっているに違いない」と書かれたことがある(笑)。
「陰謀論」論はこのくらいにしておいて、ここらで昨年の西松事件の公判について眺めてみよう。当ブログ管理人は大ざっぱな人間なので、いつも細かく政治のニュースを追いかけている『日本がアブナイ!』の記事に助けられているのだが(当ブログが大騒ぎしてネットで広めた城内実の国籍法反対に絡んだ差別エントリも、同ブログ経由で知ったものだった)、昨日(1月17日)付の「検察が焦ったのは、小沢&石川への不信と、大久保公判の失敗ゆえか?」も良い記事だ。エントリ後半で、昨年12月に始まった小沢一郎秘書・大久保隆規被告の後半について新聞報道がまとめられているのだが、これが全く検察の思うように進んでいないのだ。詳しくは同ブログをご参照いただきたいが、エントリ中で紹介されているのと同じ読売新聞記事について、当ブログにも「負け組みの矜持」さんからコメントをいただいているので、これを紹介する。
またまた、お邪魔します。以下の記事は全く面白いですね。
「2政治団体「ダミーと思わず」西松元幹部が証言」という見出しの記事です。読売の記事だから、皮肉を込めてですが、間違いないでしょう。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20100113-567-OYT1T01250.html
この記事によると、東京地検は窮地に立っているようです。だからこそ、またまた大久保元秘書を逮捕せざるを得なくなったようですね。実際、逃亡の恐れもないし、証拠書類も検察に取られてしまったわけだから、証拠隠滅の恐れもないし、本当に何故に今更再逮捕、と思っていたのですが、読売にさえこんな記事が出てしまうのだから、東京地検、地に落ちたと言えます。