、小沢官房長官、支持率危険水域でも、支持をしてる人達の為に鳩山総理と反小沢分子の大幅改造を断行して新発進し直せ

マイナス思考げ危機感ゼロ党内でケンカしてる暇あるかそんなバカ閣僚は即解任し仕事する若手と交代させ、一致団結選挙に突進。

小沢一郎のすべて 民主党へ合流

2010-04-15 15:50:24 | 新人にも仕事与えて後任育成

民主党へ合流

2002年、第19回参議院選挙での結果もあって、小沢は鳩山由紀夫(当時民主党代表)からの民主・自由両党の合併に向けた協議提案を受け入れた。しかし、民主党内の調整が不十分であったこと及び民主党内の小沢に対する拒否反応の為に頓挫した(なお、鳩山は代表辞任に追い込まれた)。鳩山辞任後に民主党代表に選出された菅直人によって、いったん合併構想は白紙に戻ったが、小沢は党名・綱領・役員は民主党の現体制維持を受入れることを打診し、両党間で合併に合意した[13]

自由党と民主党の合併の直前に、自由党から13億6816万円の寄付が改革国民会議に対して行われた。改革国民会議は小沢一郎が代表を務めており小沢の関連団体である。13億6816万円のうち5億6096万円が税金を原資とする政党助成金であった。後にこの行為は問題視され、政党助成金法改正案として議論された[14]

2003年9月26日、自由党は民主党と正式に合併し、小沢は民主党では一兵卒として無役になった。11月9日第43回衆院選で民主党は、公示前議席よりも40議席増の177議席を獲得、11月27日に代表代行に就任した。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の横路孝弘だった。小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。経済政策では、それまでの新自由主義から「地方経済」と「雇用」の重視の方針へ転換した。

当初、小沢派になると見られていた新自由主義的な「小さな政府研究会」には参加せず、東北地方出身議員だけをあつめて「東北議員団連盟」を結成し、地域主義への転向の姿勢を見せた。

2004年5月年金未納問題による混乱の責任を取り党代表を辞任した菅の後継代表に小沢が内定したが、直後に小沢自身も国民年金が強制加入制度になる1986年以前に未加入だったとして代表就任を辞退した(結局、岡田克也が後任代表となった)。2004年7月11日に行われた第20回参院選の後、岡田の要請により党副代表に就任した。

2005年9月11日第44回衆院選で民主党は現有議席を60近く減らす惨敗を喫し、岡田は代表を引責辞任し、小沢も党副代表の職を辞任した。岡田の後任代表となった前原誠司は、小沢に党代表代行への就任を依頼したが、これを固辞した。

民主党代表

代表就任

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2006年3月31日に前原が、「堀江メール問題」の責任を取って党代表を辞任、4月7日の民主党代表選で小沢は119票を獲得し菅直人を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『山猫』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた[15]

代表選後、小沢は菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にするトロイカ体制を敷いた。また、前執行部と次の内閣メンバー全員を残留させた。小沢は政令指定都市都道府県首長選挙に関しては原則として相乗り禁止の方針を打ち出した。

4月23日、メール問題での逆風下にあった衆議院千葉7区補欠選挙で、僅差ながら勝利。半年後の9月12日の民主党代表選に無投票で再選。

9月25日臨時党大会で正式に代表に再選。その後、狭心症の発作の兆候を感じたため、都内の病院に検査入院した。10月5日に退院し、自身の動脈硬化が進んでいることを明らかにした


辞めないなら小沢幹事長は「闘う政治家」に戻るべき - 10/03/01 | 13:53

2010-04-07 00:32:35 | 新人にも仕事与えて後任育成
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  • 辞めないなら小沢幹事長は「闘う政治家」に戻るべき - 10/03/01 | 13:53

    塩田潮

     40年余の政治歴、七転び八起きの不死身人生、強力パワーの小沢幹事長が政治生命の危機に直面している。

     「幹事長辞任」を求める世論は依然強い。だが、中央突破の方針を変える気配はない。昨年、代表辞任を決めたときは、首相就任の夢は破れるものの、総選挙後の幹事長就任による再起・復権のシナリオを描くことができた。今回は、幹事長を降りると、世論の風当たり、政権交代後という政治状況、それに本人の年齢や健康状態もあって、「小沢時代の終わり」となりかねない。
     小沢氏にすれば、強気に出ると、世論の反発が高まって逆効果という判断から、反撃せず、表舞台に出るのも控えて、低姿勢で嵐の通過をじっと待つ作戦と映る。その戦法で「小沢時代の終わり」阻止の勝算はあるのか。

     逆風は強いが、一方で国民の間には長年、強く支持し続けてきた小沢ファンも少なくない。独自の構想とプランを追う剛腕の改革派リーダーという点に期待を寄せてきたが、もう一つ隠れた人気の秘密は「闘う政治家」という顔であった。
     ところが、現在は風当たりを避けるためとはいえ、塹壕に身を隠して天候が変わるのを待つ「逃げ」の戦法である。これは「闘う政治家」の取る道ではない。1月に「徹底して闘う」と検察との全面対決を表明しながら、自身の不起訴決定後、一転して「検察の公平・公正な捜査の結果」と述べたのを見て、「闘う政治家」らしからぬご都合主義と失望した人もいたはずだ。

     辞めずに第一線でという決意なら、いますぐ「闘う政治家」に戻るべきだ。「闘う政治家」が真っ先に取り組むべきは、進んで国会の場に出て「政治とカネ」をめぐるさまざまな疑問に答えて説明責任を果たすことだろう。
     その結果、政治がどう動くかは見通せないが、起死回生の一手となる可能性もある。もしかすると、小沢氏は「辞任カード」とともに、いま密かに「説明責任カード」の使い方と使い時を模索しているのかもしれないが。
    (写真:尾形文繁)
    塩田潮 塩田潮(しおた・うしお)
    ノンフィクション作家・評論家。
    1946(昭和21)年、高知県生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科を卒業。
    処女作『霞が関が震えた日』で第5回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書は他に『大いなる影法師―代議士秘書の野望と挫折』『「昭和の教祖」安岡正篤の真実』『日本国憲法をつくった男―宰相幣原喜重郎』『「昭和の怪物」岸信介の真実』『金融崩壊―昭和経済恐慌からのメッセージ』『郵政最終戦争』『田中角栄失脚』『出処進退の研究―政治家の本質は退き際に表れる』『安倍晋三の力量』『昭和30年代―「奇跡」と呼ばれた時代の開拓者たち』『危機の政権』など多数

    「剛腕以上の手腕」原口総務相をべた褒め

    2010-03-27 02:10:24 | 新人にも仕事与えて後任育成

    「剛腕以上の手腕」原口総務相をべた褒め

    衆院予算委員会で答える原口総務相 

    記事本文

     民主党小沢一郎幹事長は28日、佐賀市で開かれた党佐賀県連の大会で「私も剛腕と言われているが、原口一博総務相は、私以上の手腕を発揮し、地方交付税を復活させた」と同県連代表の原口氏を持ち上げ、会場を沸かせた。ただ、肝心の原口氏はチリ大地震への対応で、急遽帰京しており、“お褒めの言葉”を聞くことはできなかった。

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    記事本文の続き 夏の参院選については「社民党国民新党との協力は維持しながら、自らも過半数を持ち、思い切った政策を実行するための政治態勢を整えないといけない」と単独過半数確保の必要性を重ねて強調した。


    民主“利益誘導”選挙通じず 「小沢的なるもの」排除を

    2010-03-27 01:46:47 | 新人にも仕事与えて後任育成

    民主“利益誘導”選挙通じず 「小沢的なるもの」排除を

    記事本文

     長崎県知事選と東京都町田市長選で民主党など与党3党が推薦した候補が敗北したことは、小沢一郎民主党幹事長鳩山由紀夫首相に絡む「政治とカネ」の事件と北海道教職員組合の違法献金事件の「3大資金疑惑」が逆風となって直撃したのは明らかだ。民主党内では「『政治とカネ』で攻められて前向きな政策的な話ができない。このままでは参院選は戦えない」(中堅)との危機感が高まっており、小沢氏の進退問題が再浮上しそうだ。

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    記事本文の続き 鳩山政権が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題で混乱したり、衆院選マニフェスト政権公約)をめぐって迷走を重ねていることも民主党への期待感をしぼませ、逆風をはね返せない要因となった。

     21日夜、民主党の石井一選挙対策委員長は同知事選について「結果を厳粛に受け止めて今後の糧(かて)」にするとの談話を発表したが、首相と小沢氏という政権のツートップの問題に及ぶためか「政治とカネ」への言及はなかった。

     だが、与党・社民党の渕上貞雄選対委員長は同日夜の談話で敗因の一つに「『政治とカネ』についての国民の批判に十分応えきれていないこと」を挙げた。「政治とカネ」の問題に対する小沢氏や首相の対応への不満から「小沢支配」にほころびが生じる可能性もある。

     民主党は同知事選で、赤松広隆農水相や原口一博総務相、前原誠司国土交通相らを現地入りさせ、市町村長と面談させるなど政権与党の立場をフル活用した。小沢氏自身も1月17日、党長崎県連のパーティーで「(推薦候補の)橋本剛君を知事に選んでいただければ自主財源となる交付金も皆さんの要望通りできます。高速道路をほしいなら造ることもできます」と“利益誘導”をちらつかせたが、勝利できなかった。

     小沢氏は、「大都市部」を象徴する町田市長選も、「地方」の長崎県知事選とともに重視した。もともと民主党が強い地域でもあるためで、小沢氏は、市長選レベルでは異例の候補者事務所訪問によるてこ入れも図ったが実らなかった。

     これは「政治とカネ」の問題に加え、鳩山政権への有権者の失望も混じっている。平成22年度予算案の編成ではガソリン税などの暫定税率を実質的に存続させる「マニフェスト破り」に踏み切った。首相は野党時代には国の借金頼みを批判していたが、新規国債の発行額も過去最高となった。

     マニフェストの目玉である「子ども手当」の創設法案や「高校授業料無償化」法案の成立もまだだ。子ども手当にはこれまで、23年度からの完全実施を困難視する意見が閣僚や副大臣から出て、首相がその都度否定するなど方針が定まらないことを印象付けている。

     小沢氏は21日、松江市内で記者会見し、参院選のための全国行脚の加速を宣言。参院選の第1次公認候補を3月1日にも決めることも明らかにした。「政治とカネ」をめぐる世論の厳しい反応を薄めたい思惑がありそうだ。

     自らの資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件についても「全国行脚の機会に(有権者から)希望があれば答えていきたい」と述べるにとどめ、国会での説明に応じる考えは示さなかった。

     小沢氏に批判的な中堅議員は「まだ来年度予算案成立前で、地方選でもあるから、すぐには『小沢降ろし』は噴出しないが、党内は『小沢的なるもの』を排除しないと参院選に勝てない、という空気になるだろう」と、いずれ「小沢降ろし」の声が表面化すると予言した。(榊原智)


    新政権は私の危惧したとおりに動き始めました!

    2010-01-22 00:01:25 | 新人にも仕事与えて後任育成

    « 鳩山内閣の真の姿が問われている? |»

    新政権は私の危惧したとおりに動き始めました!

     鳩山新政権の動きがどうもおかしいです。これから平成22年度本予算の本格的策定が始まるようですが、その主導権を握ったのは財務省のようです。本来の鳩山政権の政治主導はどこかへ行きそうです。

     今度の政権交代で、一番得をしたのは財務省ではないか、と見えてきました。まさに漁夫の利を得たもののようです。それは、省利権を確保したからです。鳩山総理の顔はどこにも見えてきません。一体どうしたんでしょうか。

     法整備が間に合わない、というよりも、何だか変です。もっと言えば、すべての省庁が財務省権益に丸め込まれ、してやられた感じが濃厚です。これは、下手をすると、自民党政権よりも厄介な事になったかも知れません。今では、事務次官会議も、各省庁の事務方クラスの記者会見も封じ込まれたからです。国家戦略局すら、手足をもがれたような有様です。

     これは、新しい閣僚が、財務省の事務方に一本取られたからです。これは危険です。他省庁は財務省に手も足も出なくなる可能性があります。これは、ウラで官邸事務方を動かし、真の意味の政治主導の芽を摘もうと目論んだ影の財務省権力が動いた可能性があります。これには巨大なマスメディアの幹部も加担しているはずです。

     皆さん、立ち上がってください。財務省がわがもの顔に日本の政治を左右しそうです。すでにその兆候が表れています。

     私の危惧が杞憂に終わればいいのですが…。