、小沢官房長官、支持率危険水域でも、支持をしてる人達の為に鳩山総理と反小沢分子の大幅改造を断行して新発進し直せ

マイナス思考げ危機感ゼロ党内でケンカしてる暇あるかそんなバカ閣僚は即解任し仕事する若手と交代させ、一致団結選挙に突進。

虚構のなかの冷たい幻想

2009-12-02 21:05:55 | 連立はマニフェスト合意条件で連立組む

 虚構のなかの冷たい幻想 レメディオス・バロの異界

 たとえば、「笛吹き」と題された絵をみてみよう。
 若い笛吹きが奏でる調べに合わせて化石の断片が地上から舞い上がり、後景の塔の壁材として飛翔していく光景。それとも、塔から一枚一枚はぎ取られ、音色に誘われて笛吹きの足元に舞い降りる、とまったく反対の印象も与える不思議な絵だ。笛吹きも朽ちたまま立ち涸れた森から抜け出てきた、不可思議な存在だ。 
 「ハーモニー」と題された絵。厚い壁で囲まれた青白い部屋で、独り悄然と机上に浮かぶ五線譜に昆虫やら葉などを刺し通し旋律を紡ぐ青年を描く。前後の壁に染みのような女の虚像が描かれ、その女の手は五線譜に延び、青年に啓示を与えているような、それと引き替えに青年の精気を奪っているような……青年の頬は痩け、死相さえ漂っている。
 幻視の女流画家である。
 生まれは1908年、スペインはカタルニアの小さな町、その名もアンヘル、「天使の町」である。両親はバスク人であった。生後、暫くして両親とともに北アフリカのモロッコに移り、7歳でマドリッドの学校に入学するまで生活する。幼少期のアフリカ体験が描かれているわけではないが、レメディオスの絵が徹底的に無国籍を志向している事情と何処かで通底するものがあるように思う。
 レメディオスの代表作をもう一点、紹介しておこう。「太陽の音楽」。草が生えた毛布のようなものを裸体に纏った若い女。たぶん、ミューズ。そして、顔はたぶん自画像。化石の森のような褐色の地に射し込んで来る光の束を大きな弦楽器と見立て、その光の束から自在に音色を弾きだす。光輪となって地上に浸透する小さな円のなかだけ、花々が繁る。 そうレメディオスは繰り返し「音楽」を象徴化している。その「音楽」は無論、交響楽ではありえず、独奏曲、しかも自己慰安のための旋律に満ちたものだ。私生活を反映、象徴するものでもあろう。さまざまな解釈が成り立つが、それは余りにも極私的であって、批評を頑なに拒んでいるように思う。レメディオスが描く自画像はそんなふうに表象される。
 グリムやアンデルセン、あるいはウォルト・ディズニーのアニメに登場してくるようなメルヘン的な楽しさと薄気味の悪さが同居、というより錯綜する。独特のユーモアと、毒気の含んだ風刺性。ネーデルランドのボッシュの影響もあれば、シュールレアリストのエルンストの陰もみられる。童画そのものとしか思えない絵もある。童話には、よく残忍さが隠されているというが、その二律離反するものがレメディオスのなかに共存する。
 作品はいずれもが細心の筆使いで丹念に描かれている。衝動はなく、緻密に計算された絵なのだ。薄く溶かした絵の具を幾度も塗り重ねて微妙な肌触りを作っている。その意味ではレメディオスとほぼ同世代の画家フリーダ・カーロとは対極的な位置にある。フリーダの絵は、幾ら非日常の世界を描いても、そこには地上に根を下ろした生身の女の熱き体温が感じられるものだが、レメディオスの絵にはひんやりとした人工的な冷気がこぼれ落ちそうな気配しかない。この怜悧さはどこかから来るのか? 
 レメディオスは1942年以来、メキシコに定住することになる。その2年前に、彼女の作品はシュールレアリスト絵画展の出品作としてメキシコ市に渡り、二度目の夫シュールレアリストの詩人ベンジャミン・ペレと新生活を開始する。その42年には、メキシコ文部省が「絵画彫刻学校」を設立し、夫ペレはここの教授に迎え入れられた。同僚にはディエゴ・リベラやその妻フリーダがいた。
 レメディオスは絵を生活の足しにするために売る必要はなかった。だから、心ゆくまで絵を愛撫していられたし、幻想に浸ってもいられた。彼女の代表作はもとより大半の作品がメキシコで描かれ、故にカタルニアではなくメキシコの画家として認知されているが、この地のコントラストの激しい光と陰に育まれはしなかった。明度はせいぜい絵筆の先を照らすものがあれば良かった。
 レメディオスの本格的な展覧会は1982年のことである。それまで、ほんの少数の者しかその潤沢な個性的な美の世界を知らなかった。幻視を紡いだ画家の日常とはどのようなものであったのか? 画家は多くを語っていない。1963年、55歳で死去。早すぎる死だと思う。
 現在、レメディオスの主要作品はメキシコ近代美術館に収蔵されている。因みに、同美術館にはフリーダの代表作、リベラ、シケイロス、オロスコなど壁画運動を担った巨匠たちの代表的なタブローが常設展示されている。その一角に、昨秋からレメィデオスに捧げられたコーナーが設けられた。
 「私は語りたくない。作品こそが重要だ」とはレメディオスの生前の弁。しかし、その幻想に魅せられた者は、その意味性を自己流に解釈したくなるものだ。そうした作業を通じて、孤高の画家も否応なく美術史に定着させられてゆく。

 レメディオス・バロの「笛吹き」


初出掲載紙 : 『ラティーナ』2002年4月号
後日談 :  おそらく、日本で女性の画家たちの系譜が普及書として出されたのは1985年、イタリア美術専攻の若桑みどりさんが岩波新書『女性画家列伝』であったと思う。いま思えば、すこぶる物足りないものだが、当時として、ともかく類書がなかったから、これを読んで感化された人も多かったはずだ。もの足りないというのは、わがフリーダ・カーロさえ一語半句も言及されていなかった。米国のジョージア・オキーフもなし、アルゼンチンのフィニは取り上げれていたけれど南米の風土はそこになかった。おそらく、今回紹介するレメディオス・バロを知る読者は少ないかも知れないがメキシコ及び欧米では良くしられた女性画家だ。これから、ここでも画家に限らず彫刻家や写真家など女性芸術家を積極的に紹介していきたいと思う。


「昔の遊び 今の遊び」 

2009-11-24 19:57:52 | 連立はマニフェスト合意条件で連立組む
「昔の遊び 今の遊び」    
小5 O.K

 わたしは、今の子と昔の子の遊びについて調べました。なぜこれを調べたかと言うと、今の子と昔の子の遊びで、変わったものとあまり変わってないものを知りたかったからです。

 まず桐生分校の先生方には、子どものころ遊んでいた遊び、児童生徒には、今遊んでいる遊びについてアンケートを取ってみました。そして、右の表にまとめてみました。すると、昔の子の方が遊びの種類が多くて、特に、道具を使う遊びの外・中が多いと言うことがわかりました。
今の子の遊びの種類が少ないのは、テレビゲームがあるからだと思いました。テレビゲームの中には、四人で遊べたり、いろいろなゲームがあるからです。でも、少しだけなら昔の遊びをやったことがあると言う人はいました。

<CAPTION>遊びの種類</CAPTION>
遊びの種類 昔の子
今の子
   今している   やったことがある
おにごっこ・かくれんぼ類 15人
  3人   1人
道具を使う遊び(外) 26人
2人   9人
道具を使う遊び(中) 25人
  5人   7人
自然で遊ぶ 15人
  2人   0人
ボール遊び 5人
   3人   1人
TVゲーム 0人
  8人   0人
その他 3人
  1人   0人

 次に、遊ぶ場所についてのアンケートを、下のグラフにまとめてみました。その結果、昔の子は、ほとんど外と答えていました。今の子は、中で遊ぶという人の方がたくさんいました。これを見て、わたしは、今の子はテレビゲームをやっているから、外で遊んでないと思いました。昔の子はテレビゲームが無かったから、他の遊びをしたり、外で遊ぶことが多かったと思いました。

 その次に、昔の子が今の子の遊びを見て、どう思っているか聞いてみました。すると、ほとんどが、テレゲームばっかりやっているので、少しは外で遊んだ方が良いと言う答えと、もっと大勢で遊んだ方が良いと言う答えがありました。今度は、それについて今の子の考えを聞いてみました。その答えは、別にいいじゃんという意見です。しかし、今、桐生分校では、コマまわしでよく遊んでいるから、たまには昔の遊びもいいんじゃないかと思います。あと、外で遊ぶのも、昔の子と今の子の遊ぶ場所遊び始めれば、楽しいと思います。

 わたしは、この「昔の遊び、今の遊び」を調べて、今でも昔の遊びが少しは残っているんだなと思いました。でも、外で遊ぶ子が少なくなるのは残念だなあと思いました。これからも、昔の遊びが残っていてほしいと思います。






  5年生の国語の時間に、毎日の生活をふり返る中で気づいたことをもとに、いろいろな角度から調査し、考えをまとめて作文に書くという学習をしました。Oさんは、クラスに1人だけだったので、グループでの話し合いができず、一人でアンケートを取ったりインタビューをしたりして作文にまとめました。そして自立活動の「昔の遊びを楽しもう」の時間に、全校の友達の前で発表しました。 


第2節 昭和40年代の日本経済の課題

2009-11-06 15:16:06 | 連立はマニフェスト合意条件で連立組む

第2節 昭和40年代の日本経済の課題


1. 昭和40年代の日本経済
昭和40年代の日本経済は,30年代後半の岩戸景気以降の体質を受継いで需要面ではなおかなりの成長要因を有していると判断される。ポスト岩戸景気の経験は,企業家に慎重さを教えたであろうが,今次の大型景気により過度の悲観人気は払拭されたと判断される。なお,このように40年代の日本経済の成長が,国内需要要因としては,依然としてかなり高目であると考えられるとき,これに対する問題点は,輸出伸長の必要性の問題および労働力,設備能力等のキャパシティー拡大の問題である。
まず輸出の伸長は,増加する輸入をまかない,貿易外収支および資本収支の赤字を打消すために必要であるのみならず,さらに今後の貿易量の拡大に伴って外貨の積み増しがなお必要と判断されるので,その重要性はきわめて高い。
将来の輸出の伸び率であるが,55年~67年の平均伸び率が15.1%であるから,少なくとも同程度を維持することが望ましい。またわが国の現在の外貨準備状況等から判断して,輸出はコンスタントにこれを伸ばす必要がある。年々の経済見通しとの関連から輸出目標を定めることのほかに,輸出目標に関してはかなりの長期間にわたる計画を策定することが必要と考えられる。
かかる目標の作成は,商品別,地域別目標の作成を通じてわが国企業の輸出目標,生産目標設定を容易ならしめるばかりでなく,政府の輸出促進諸施策の効率化に資するものがあろう。
また輸入についても長期的に見通しを樹てるべきであろう。
次に労働力,設備能力等のキャパシティーの拡大の問題であるが,昭和42年には学卒者を除く一般の求職倍率(月間有効求職者数÷月間有効求人数)が低下して遂に1に達したことにも示されているように労働力需給はますますひっ迫している。労働力需給の逼迫は,経済成長にとって悪材料であることは間違いない。
しかし,現在の日本の生産性水準がまだ欧米諸国よりかなり低いことをみると,この生産性の改善により1人当りの生産性はかなりの上昇を示すことも可能と考えられる。なお労働力不足と経済の停滞については,最近の西ドイツのケースが例として考えられるが,しかし西ドイツの場合は,まず企業家の合理化の努力が果して十分であったかどうか疑問である。つまり企業家が合理化投資を敢行するバイタリティーに欠けていたのではないだろうか。また経済の停滞については,財政金融政策が不適切であったといわれており,これは必ずしも労働力不足とは関係がないと判断される。現段階におけるわが国の労働力不足は,労働需給の変化に対する産業あるいは社会の適応体制の遅れに起因するものと考えられるので,対策よろしきを得れば40年代における労働力増加率の低下を克服することも可能であり,諸外国にひとつの貴重な実例を提供しうることとなろう。なお,わが国製造業において資本,労働力および社会進歩の3要因が,それぞれ実質成長率のどれだけの部分を説明するかを試算すると,第 Ⅰ-2-7表のごとくである。この計算は,資本および労働について,非体化仮説(disembodied hypothesis)をとるものであり,技術進歩および外部経済要因を社会進歩要因として一括して把握する考え方をとっている。
ところで,この計算からいえることは,かりに過去のわが国にみられたような投資態様および労働の熟練度の向上等が将来も続くと仮定するならば,労働力の供給余力の減少は,成長率全体のうち10%弱の部分にのみ影響するに過ぎないということである。もちろん「他の条件にして等しければ」という仮定をこの際用いるととは危険かもしれない。しかしこの計算は,一応の参考にはなるはずである。なお,当省の行なった合理化最重点項目の推移に関するアンケート調査の結果によれば,労働節約を目的とする生産設備および工程の改善に対する企業家の努力は,当然のことながら最近に至るほど大きくなっている。(第Ⅰ-2-8表参照)
また設備能力拡充の問題であるが,40年代においても民間企業における競争マインドは30年代に比べてさほど衰えずに持続すると期待されるので,能力の拡充が不十分になることはまずあるまいと思われる。公正取引委員会の集中度調査によると,集中度は昭和30年代初期まで低下し,以後上昇に転じたようにみえる。いま30年代以降に限ってみるならば,食料品工業,機械工業において若干の集中度の上昇があり,金属工業,化学・石油・窯業,繊維・紙パルプ工
業等において集中度はわずかに低下している。そして全体としてみると集中度はわずかな上昇を示している。しかしかかる集中度の上昇が競争阻害的寡占の形成を意味するということはいえない。食料品工業の場合は合理化近代化がその上昇の主たる原因であったし,機械工業の場合もなお激しい競争が続けられている。集中度が低下している業種についてはいうまでもない。40年代においても,有効競争はなお十分に維持し続けられ,能力の拡充は支障なく行なわれるであろう。
なお,中小企業の設備投資は第Ⅰ-2-4図にみるように伸び率では大企業とほぼ同様であり,また金融機関の貸出残高における比率も高まる傾向を示しているが,資本装備率,労働生産性等に関する大企業との格差は漸次縮少しているものの依然として大きい。今後とも,労働力不足の進展に伴い,合理化投資を中心に中小企業の設備投資の必要性はますます高まってくるものと考えられる。
2.昭和40年代の経済政策わが国経済は昭和40年代においても,生産性の向上に努力を集中することにより,なお,かなりの高成長を持続しうるものと考えられるが,しかし,そのためには輸出の安定的拡大が必要である。
輸出の安定的拡大のためには,個々の企業家の輸出努力,政府の有効な直接的輸出促進政策に加えてわが国経済政策全般のあり方が輸出促進的に作用することが必要である。個々の産業がいかに輸出努力をし,いかに適切な直接的輸出促進策が講ぜられようとも,経済全体が過熱気味に推移するときには,輸出の安定的拡大は保証せられないからである。
産業別輸出努力の問題,直接的輸出促進政策等の検討および産業構造政策,国際競争力強化政策等の吟味は第2部で行なうこととし,以下においては経済政策全般のあり方を考えることとする。
まず財政であるが,財政制度審議会の報告等が述べるように,全体としての財政支出の伸びは,経済の成長率をやや上回る程度に維持することが妥当であろう。しかし,ポスト岩戸景気後,公債発行を常態とするようになってからは,財政と景気調整との関連に大きな注意が払われなければならない。
その場合の視点は2つある。第1は需要調整に際して民間投資と政府支出との負担区分をどのようにするかという問題であり,第2は景気調整と公債発行量との関連である。
まず需要調整に際して,民間投資と財政とが,それぞれどれだけの調整を行なうかという問題であるが,民間に対して節度ある投資態度を期待するとともに,財政も従来にも増してより効果的に景気調整機能を発揮できるよう弾力的な体質を備えていることが強く要請される。財政も伸縮自由ではなく量的調整に限度があるのは当然であり,かつ通常効果の発現にかなりタイム・ラグを伴うが,このような性格を十分に織り込んで機動的運営に努めなければならない。
次に景気調整と公債発行量との関連であるが,これについては,公債の市中消化,発行量伸縮の原則を堅持すべきであり,そのために公社債市場を育成し,自由適正な金利が形成されることに努める必要がある。このようになれば,市場機能を通じて起債の自律的調整が図られることとなり,民間企業の役資活動の行過ぎもある程度自動的に調整されるに至るであろう。
なお,このような機構は徐々にしか実現されないであろう。したがって当分の間は不完全な市場機能を補う趣旨から起債について人為的な調整を行なうこともまたやむをえないものと思われるが,その場合にも調整にあたっては市場の状況を十分勘案し,これを反映したものとすることが必要であろう。
次に金融であるが,金融政策は,40年代においては,30年代におけるよりも,さらに機動的,弾力的に運用されるべきである。このためには,適確な景気見通しが前提となるが,この点政府において一層の研究が必要とされよう。見通しは,わが国についてはいうまでもなく,海外主要諸国の景気動向についても,適確な把握が必要である。
なお,金融については,財政について述べたときに触れたようないわゆる金融正常化の問題がある。また産業の再編成とともに金融機関の再変成を行ない,金融の効率化を推進することを通じて,資金コストの低減,貸出金利の引下げを図るべきである。外資の取入れおよび金利低下のために弾力的に外債を活用することも考える必要があろう。
以上の財政金融政策によって,総需要を適度にコントロールし,また,産業政策の分野では,需要の所得弾力性が高く技術進歩等による生産性向上の余地の大きい部門を積極的に伸ばすこと,および遅れた部門に対し果敢に構造政策を実施することが必要である。わが国産業は,40年代においても技術革新などに即応して競争マインドが衰えるとは思われないので,競争政策の実施は比較的容易であろう。同時に体制整備の進展により企業の資本力が増強され,技術革新に即応した近代化投資が継続されるならば,設備能力の増強を通じて輸出能力の拡大が図られ輸出の安定的拡大が保証される。
労働力面では,わが国は,選択的雇用税を立案したカルドアの英国ほどまだひっ迫してはいないが,しかし,三次産業のサービスに対する需要の強調に支えられた消費者物価の上昇による三次産業の待遇改善は労働力の二次産業への流入を阻害するおそれがある。製造業に関しては,すでにみたように(第Ⅰ-2-7表)雇用面のネックは,企業家の努力工夫次第では,今後の成長をさほど阻害しないとも判断されるが,しかし,三次産業への雇用の流入よりは,二次産業への雇用の流入が多い方が,わが国産業の輸出競争力の維持向上に寄与することは明らかである。二次産業は,激しい国際競争を通じて,合理化を迫られているが,しかし三次産業においては,競争を通ずる合理化の圧力は,必ずしも二次産業に及ばない面があるのではないだろうか。もし合理化,近代化努力が不十分のままに物価上昇を通じての三次産業への雇用吸引が行なわれるとしたら,これは,国民生活の向上のために憂うべき事柄である。昭和40年代においては,第三次産業など製造業以外の部門における競争政策の励行と,その合理化,近代化による構造改善が国民生活の実質的向上と,輸出の安定的拡大のために必要と判断される

★『性教育ってどこまで進んでいるの?』 by 岩井志麻子

2009-11-03 03:02:49 | 連立はマニフェスト合意条件で連立組む
 例によって、livedoorニュースが転載している記事で、ちょっと気になるものがあったので、元記事の 「R25.jp」 の方へと跳んでみました。

 『性教育ってどこまで進んでいるの?』

 …というこの記事(一応、新米パパ向けのコーナーの連載の一部)、前編はイラストが笑わせてくれる以外は、いたって真面目な(お堅い)内容だったのですが…

 (↓R25.jp 「性教育ってどこまで進んでいるの?前編」 より一部キャプチャして引用)
 2時間もするか~?

 後編の 「岩井志麻子が性教育について物申した!」 になったとたんに、これが 「前編」 の続きか?! という内容に…。

 ↓以下、その後編より引用いたします。

>「そうですね…私が幼少期を過ごした昭和40年代の岡山の田舎では、地域に何人も“エロばあさん”というのがおりまして、その人が何でも教えてくれたんです。また、毎晩地元の“若者宿(集会所や寄り合い)”に老若男女が集まるんですが、たいてい一番盛り上がる話は下ネタ。当時、私の地元では子どもをいわゆる小さな無垢な存在として扱わず、“小さな大人”として扱っていたので、大人の話に子どもも普通に参加してたんです。その結果がこれですわ、フフフ… (笑)」

>こんな性教育エリート街道(?)を進んできた岩井さん。その流れは息子さんにもしっかり受け継がれているのだとか。

>「私の息子に対する接し方も、当然生まれた時から“小さな大人”。彼は就学前から私のエロ小説を読むくらいの“エリート”でしたから、自然と親子でエロ話はするようになりましたね。そんな彼も、私が食卓で『最近、陰毛に白髪が生えてきてな…』という話をしたら、『かあちゃん、さすがにオレもグレるぞ…』とあきれてましたけどね(笑)」

>子どもがいる場で性的な話題が出ると、たいていの大人はその場を何とか取りつくろうもの。しかし、その逆を行く
“岡山式”で、岩井さんの息子さんは健全に育っているようです。

 …ちょっと待て!

 オレも "昭和40年代の岡山の田舎" で生まれ育ったけど、地域に何人も“エロばあさん” なんておらんかったぞ!! インタビュアーもインタビュアーで、“エロの女王”のエロ話を真に受けて、それを “岡山式” と決め付けてくれるなよ…(泣)

 ハッキリと言っておきます! 岩井志麻子の実家(和気郡和気町)の近所はどうだったか知らんけど、岡山の県民性が疑われるような、“岡山式” なんて表現は、止めていただきたい!

 岡山は、エロ人間の溜まり場じゃないぞ!!(ヲタは多いけど…)

 …ま、その後の発言、

>「子どもは本能的に、性的な話題に関して敏感です。ごまかしてもまずバレますし、彼らは親に止められるとその反動で自ら探求する傾向にあります。昔は子どもが自力でたどり着けるものは限られていましたが、今ではネットなどで過激な映像などを見てしまう可能性があるでしょう。そう考えると、親が性の話題に無理にフタをしない方がいいと思います」

 …というのは、分からんでもないんだけどね…。

今 これを読め

2009-11-03 02:51:34 | 連立はマニフェスト合意条件で連立組む
今 これを読め
2015年の日本
2015年の日本
~新たな開国の時代へ~
野村総合研究所 2015年プロジェクトチーム 共著
東洋経済新報社 1,600円+税

   本書は、2015年頃の日本の未来とそれまでに日本が乗り越えなければならない課題を明らかにすることを狙いとしてまとめられたものである。何故2015年かというと、その頃はいくつかの点で日本にとって大きな転換点になると考えられるからである。
   まず、日本の総人口はすでに減少が始まっているが、内需に依存している業態は今のままでは成長できなくなる。第2はグローバルな市場統合の動きである。アジアは2015年頃までにFTA(自由貿易協定)が成立している可能性が高く、関税という意味での国の境がなくなるため、クロスボーダーのビジネスにおいては大きな発展のチャンスが訪れる。第3は2010年代になると地方の衰退という論点も深刻さを増すということである。これらの課題を乗り越えていくためには、日本をグローバルに開かれたネットワークの中に位置づける、すなわち、「開国」という考え方が必要であるとしている。

   第1章の「成熟化が加速する2015年の日本」では、人口のさらなる減少、大きく変化する家計支出、存在感が失われる日本経済、グローバル化に乗り遅れる日本の非製造業、疲弊する地方と大都市外縁部など、第2章では、「2015年の日本、新しい家族のかたち」ということで大きく変わる家族のあり方、2015年に想定される6つの家族像などがまとめられている。

   第3章の「イギリスの経験に学ぶ2015年の活性化の条件」では、スコットランドの事例を取り上げている。この地域は製造業の衰退とともに1980年代に入って「開国」戦略に着手し、今では、欧州を代表するハイテク産業の集積地として見事に復興している。

   第4章の「第3の開国の必要性」では、グローバル化が進展する中で閉塞する日本、ガラパゴス化現象に陥る日本ということで携帯電話、デジタル放送、建設業、エネルギー・環境分野などの事例を取り上げている。またグローバル化に巻き込まれるドメスティック産業ということで第3の開国の必要性をまとめている。第5章の「第3の開国で脱ガラパゴス化をめざす日本の産業」では、とりわけ、グローバル化に乗り遅れている日本の非製造業はガラパゴス化現象からの脱却が必要であるということで、国内外のグローバル化先進企業のケーススタディを行っている。そして、非製造業がグローバル化するための成功要因ということで、成功事例の中に見出される7つの共通項をまとめている。

   第6章の「第3の開国で閉塞突破をはかる地域社会」では、東京依存型構造から脱却し、地域が諸外国と直接結び付く構造をつくっていくべきであるとの提言をまとめている。いわば、「レイヤーケーキ」型構造から「マーブルケーキ」型の地域構造への転換であるとし、こうした地域構造を構築していくための施策をまとめている。

   本書は野村総合研究所における「プロジェクト2015」の成果を取りまとめたものであるが、地域の活性化、非製造業の活性化に向けた非常に重要な方向性が述べられていると考える。是非一読をお勧めしたい一冊である。