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新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

信越4380レの名優たち(その12) タキ57769

2011-08-28 20:57:46 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 軽快なフォルムの7750初期型とは打って変って重厚な保安対策車です。日本曹達が所有するタキ7750では珍しい他社からの移籍車で、やはりこれまた同社では珍しい富士重製です。新製時は鶴見曹達の所有で、61-11で一旦除籍となり、民営化後に東亜合成化学所有で復籍の後、日曹に移籍してきました。社名板が何となく間抜けなのもそのせいでしょうか。この車、日曹で用済み後は再び東亜合成に戻り、我が国における苛性タキ運用の最後を飾りました。タキ400形タンク車積による液体苛性輸送を初めて行ったのは、東亜合成の前身であるレーヨン曹達であったというのも、歴史的な奇遇でしょうか。

(2001年10月15日 信越本線 二本木駅)


信越4380レの名優たち(その11) タキ27763

2011-08-27 21:54:17 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 カマボコ型キセと側梁省略台枠なのは7771と同じですが、はしごの位置が変わったり、受台の形態が変わったりで、受ける印象はちょっと変った気がします。この車もそうですが、カセイソーダ専用のまま、カセイカリ仮専用の白札をぶら下げて永らく使われて来たのが、最末期になって正式に「カセイカリ液専用」に書き換えられていました。

 それにしても、二本木駅はバックの高原らしいさわやかな風景が良いですね。

(2004年3月26日 信越本線 二本木駅)


信越4380レの名優たち(その10) タキ7771

2011-08-24 23:51:34 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 極限まで贅肉を削ぎ落としたと言う感じの軽快なフォルムを持つタキ7750初期型。このロットはぞろ目のタキ7777が有名ですね。確か安治川口とかで数回見たことがありましたっけ。この車を始め、二本木常備の苛性タキ車は全てカセイカリ液仮専用で、新井、西名港、岳南原田等へ運用されていました。

(2004年3月26日 信越本線 二本木駅)


信越4380レの名優たち(その9) タキ57753

2011-08-21 21:12:09 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 豊富な水力電源を背景として立地した電解ソーダ工場と言う印象が強い日本曹達二本木工場ですが、ソーダ工業の主力産品たる苛性ソーダの製造はかなり前に中止されており、能町の同社工場の他、外部から購入した苛性ソーダがタキ車積で、青海や酒田港等から到着していました。特に目立っていたのは近所の青海から到着する電気化学工業所有車でしょうか。珍車や変形車が多い東北東ソーに比べると、数の割には平凡な陣容の同社所有苛性タキ車ですが、シンボルの軍配マークでファンも少なくないようです。タキ2600・4200・7750何れもやってきましたが、多いのは7750、次に2600で、少数の4200が来ればラッキー、と言ったところでしょうか。

 今となっては、この様な近距離、小ロットでの鉄道輸送自体成り立たなくなってしまいましたが…

(2004年3月26日 信越本線 二本木駅)


信越4380レの名優たち(その8) タキ32640

2011-08-19 00:28:21 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 私有貨車趣味を始めた時は、とかく珍しい形式や変形車に目が行きがちですが、そのうちにその運用自体にも興味を持つようになります。勿論ある形式を好条件で捕捉する為には、レギュラーの運用を知る必要がありますが、編成調査をするうちに、時々現れる意外な運用、イレギュラーな運用を発見するのも楽しみで。何でこの所有者のこの形式がこんな駅にいるの?と言うのを発見した時の嬉しさはまた格別で。ありふれた形式だからとスルーせず、イレギュラーな運用に入っているのを発見した時は、一応記録に残しておくとあと後貴重な記録になることでしょう。

 関東電化が所有するタキ2600の末期の運用、恥ずかしながら最後までほとんど把握出来ず終いなのですが、二本木で見たのはこれ一回きり、他にここでの目撃情報も私の知る限りは皆無なので、スポット的な運用だったのかも知れません。あとこれまた何故か、遥々安治川口まで遠征している記録もありました。ありふれたカセイソーダのタキ車も、意外と運用範囲は広いものですね。

(2003年3月29日 信越本線 二本木駅)


信越4380レの名優たち(その7) タキ10121

2011-08-15 23:35:23 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 昭和57年に日車で製作されたタキ10121-23の3輌は、タキ10100形の最終ロット、と言うか我が国の二硫化炭素専用タンク車の最後を飾るロットです。この時代に製作された他のタンク車は全てドームレス構造を採用していた中でのドーム付きですが、積荷の特性から、タンク空容積を確保しつつも、液面が外気に触れる表面積を抑えたい意図があったのでしょうか? 近代的でスッキリした形態に大きめなドームの組み合わせは個人的には好みですが。

 運用は終始二本木拠点だったようで、晩年の着駅は美濃赤坂が多かったようです。このロットも意外と捕捉が難しかった記憶があります。写真は急行「能登」退避の為、芦原温泉駅で運転停車中の3560レで捕捉したものです。

(1999年9月25日 北陸本線 芦原温泉駅)

 


信越4380レの名優たち(その6) タキ19705

2011-08-13 22:23:55 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 これも前回紹介した事がありますが、2輌しかいない事や運用頻度の低さ故、なかなか巡り会えない形式のひとつがこのタキ19700でした。タキ5083や55097と共に二本木→能町の日曹工場間での副生硫酸輸送に従事していましたが、運用が無い時は二本木駅奥の引き上げ線末端に留置され、大抵は手前に覆い被さる様に他の貨車が留置され手出し出来ないケースが多かったです。これを撮ったのは運用廃止直前、日本曹達高岡工場で催された専用線さよなら撮影会でのカットです。列車指定票には勿論「4381」の数字が記されていました。

 この撮影会終了後、二本木への最後の帰路に就き、静かにその生涯を終えました。

(2004年3月25日 撮影協力:日本曹達㈱高岡工場様)


信越4380レの名優たち(その5) タキ26005

2011-08-13 21:59:43 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 次も青化ソーダ液専用車への転用車タキ26000です。亜硫酸ソーダ液に始まり、ニトロベンゼンを経て2度も専用種別変更された事になりますね。ニトロベンゼン時代はアセトアルデヒドシアンヒドリン(=ラクトニトリル)仮専用でタキ6900やタキ20350等に混じり2輌ペアで東水島→宮下の運用に入り、東海道筋3363/3362の常連でもありました。

 改造後はタキ22900や11800と共に、倉敷タ・藤寄・千鳥町→二本木で運用されていました。

(2004年3月26日 信越本線 二本木駅)


信越4380レの名優たち(その4) タキ11802

2011-08-09 00:41:51 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 4380/4381もう一つの主役?の青化ソーダ液専用車、勿論新製車のタキ22900形が圧倒的多数を占めますが、平成5年に22928-30の3輌1ロットが久々に製作されたのを最後に、増備は他形式からの転用改造で賄われる事となりました。転用車は3形式ありましたが、アニリン専用車から転用されたタキ25800形は、保温キセが無かった為か、冬季の二本木運用では使い難かったと見られ、この列車で見る機会は滅多にありませんでした。

 このタキ11800形は物性の全く異なる石油製品(潤滑油添加剤)専用車からの転用で、最初これが出現した話を聞いた時は驚いたものですが、大きさが適当で、保温性能に優れていた事が抜擢された理由でしょうか。転用される前、東海道線島田の神戸方山側にある引き込み線にタキ8650形と共に数輌屯していたのが懐かしいです。

(2004年3月26日 信越本線 二本木駅)


信越4380レの名優たち(その3) タキ3728

2011-08-07 23:02:22 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 タキ22900形と共に、この列車を代表する形式がこのタキ3700でしょう。新井まで5~6輌程度連なる酢酸タキの列は、他では見られない壮観なものでした。ダイセル新井ケミカルへの酢酸輸送は、ダイセル分が安治川口から自社所有或いはJOTのタキ3700とタキ18700で、クラレ分が中条から自社(電気化学工業から移籍)と内外輸送のタキ3700で、それぞれ日本海縦貫線3561/3560で黒井解結、4380にまとめて組成されて新井に向かいました。

 大型受台を持つ純アルミ車や銀色無塗装キセ、キセ無しの無水酢酸専用車など個性的な仲間が多いタキ3700形の中でも、タキ3728は比較的おとなしいスタイルのステンレスタンク体を持つグループです。元は日本合成化学工業の所有で、一時は酢酸ビニル専用に変更されていましたが、更に後には郡山~吉原間の塩素酸ソーダ液輸送に転用されていたのも思い出、以前別項で紹介の、ほぼ同じ履歴を辿ったタキ3732の時にも述べましたが、最後になって本来の用途に返り咲いた事になりますね。

(2003年3月29日 信越本線 黒井駅)