goo blog サービス終了のお知らせ 

武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

昭和を生きて 菅谷四区・松本茂子 1989年

2010-06-25 13:43:00 | 『しらうめ』10号(1989)

 昭和天皇の大喪の礼も無事に終わり昭和から平成に変わった事をひしひしと胸に感じている日々です。
 昭和元年に生まれた私は、激動の昭和と共に生きて来たのです。私の青春時代は戦争の真っ只中でした。その頃は「女にこそあれ我れも行くべき道を行き大和心は劣らぬものを」とただただ大君の為、国の為と幾多の苦しみ、食糧難にも負けず頑張って参りました。苦しくも若かったあの頃、私は村役場に職をおき、税務、戸籍、兵事と忙しい毎日でした。学童疎開の子供達も村でお世話しました。出征兵士の見送り、戦死者の帰還の出迎え、職場も女性と老人ばかりで目まぐるしい日々、その中で北方、南方の兵隊さん宛に慰問文を書いて送りました。眼前の忙しさ、戦死者の悲しいしらせ、悲しい心は書くこともできず、
   流れの岸の一本(ひともと)は
   み空の色のみずあさぎ
   なみことごとくくちづけし
   はたことごとく忘れ行く
 という詩を添えて書いたのを想い出しました。慰問文のお返事も最初の頃は頂きましたが、だんだんそれどころではなくなり熊谷の空襲を目のあたりに見た恐ろしさ等……。
 今では信じられない物資不足、想い出したくない戦時中、戦後のどさくさの色々な事等……。
 昭和天皇のお車が皇居を後にして二重橋をお渡りになる時のテレビを見ながら、戦時中の事、戦後の陛下のご苦労がぐっと想い出され、私達家族も涙がとめどなく流れました。
 どんなに大変だった事でしょう。でも戦後四十年余の平和な日本、世界各国の方々、日本中の人々に見送られ、さぞ安らかにお眠りになられた事でしょう。
 衣食住、何も不足ない今の時代に生きられる私達はなんと倖せなことでしょう。平和を愛し、国民の幸福を思ってくださった昭和天皇の御霊にお答えすべく、皆で時間を大切にして共に学び、共に話し合い、平和で明るい社会を歩んで行くように努力していきましょう。

   菅谷婦人会『しらうめ』第10号 1989年4月


台所 嵐山町教育委員会教育長 飯島留一 1989年

2010-06-24 13:45:35 | 『しらうめ』10号(1989)

 台所といえば母を想い出す。朝、暗いうちから起き出して、家族のために朝食をつくる。不平不満をいうでもなく、ただ、ひたすらありあわせのもので準備をする。時代のせいだったのだろうかと、今では不思議な感じさえする。
 今日、台所も大きくさまがわりしている、水道もあり、ガス台もあり、温湯も出る。でも、そこで働く母の姿は、我々が思っている母の姿と、今、子供達が見る母の姿とは重なるのであろうか。重ならないとすれば、どこがいちばん重ならないのであろうかと考えたりする。
 現代は心の豊かさが求められている。心の豊かさとはどういうことをいうのであろうか。それは、相手を思う思いやりの心であるように思う。家族のために、心をこめて温かい手料理をつくる。そこには、たとえ貧しくても心のあたたかみがこめられていたように思う。
 嵐山町教育委員会では、ここ数年「手づくり教育」をお願いしている。これは、先生方が、手間、ひまをかけて、自らの汗と涙を結集して、いわゆる手塩にかけて、子供達を育てていこうという先生方の姿勢をお願いしているわけである。
 明治維新とともに、台所も洋風化が始まった。早くから、寒い北側にあった台所を働きやすい南側に移すことが主張され、さらに、水道、ガス、電気の普及が変化に拍車をかけることになった。それまで座って行っていた調理や流しでの作業が立って行われるようになった。台所で使う電気冷蔵庫、換気扇、ステンレス流しなどの機器やシステムキッチンの開発によって、戦後の台所の改革は目覚ましく発展し、家族の団らんの場としても機能的になり大きく変わってきたのである。しかし、いかに改良され、快適な空間となっても、変わってほしくないのは、そこで働く母の姿であり、家族のためを思うあたたかい心である。

   菅谷婦人会『しらうめ』第10号 1989年4月


嵐山町の将来について 嵐山町長・関根昭二 1989年

2010-06-23 17:35:17 | 『しらうめ』10号(1989)

 長い昭和の時代が終わりを告げて、平成という新しい時代がやってきました。時代が変わっても人の心が急に変わるものではなく、また町の行政が直ちに変わるものでもありません。
 しかしながら新しい時代には新しい意気込みをもって立ち向かってゆきたいと思っております。
 嵐山町は今、来たるべき二十一世紀に向けて、嵐山町のヴィジョンを策定すべく第三次嵐山町総合振興計画を策定中であります。この策定にはできるだけ町民の方々の考え方を反映させたいと思いまして、成人者二千五百名を対象としたアンケート調査を実施いたしました。また小中学生にも作文、図画の募集をいたしまして関心を持っていただきました。
 さらに『二十一世紀をめざすまちづくり委員会』を組織いたしました。これは町民の各界各層各地域の方々百名の参加によりまして、町政全般にわたり研究討議をしていただいたものであります。即ち全体を三部門に分けまして、第一部会は「生活基盤を整え、産業を振興して活力ある豊かなまちづくりを考える」部門、第二部会は「福祉を充実し、健康で明るいまちづくりを考える」部門、第三部会は「教育を伸展し、文化の香り高いまちづくりを考える」部門となっております。これら三部門の提言が出されまして参考資料となっております。
 アンケート調査によりますと、嵐山町のイメージは「自然が残されているまち」に四十五・八%の人が印象を持っています。町で自慢できるものについては、「国立婦人教育会館」が四十一・九%、「豊かで美しい自然」が三十八%、「嵐山渓谷」二十四・五%、「国蝶オオムラサキ」十六・二%の順になっています。そして、嵐山町の将来像については「自然環境に恵まれたまち」を望む者が一位で四十九・四%になっております。二位は、「社会福祉・医療・保健の充実したまち」四十五・八%、三位は「産業が発展し、経済活動が盛んなまち」三十五・四%になっております。
 つぎに町政への要望事項ですが、一位は「下水道などの排水整備」が突出して多く四十三・一%で、二位の「身近な道路整備」二十一・六%を大きく引き離しております。
 これらの点から考えてみますと、嵐山町の将来について、多くの町民の方々は、豊かな自然環境に恵まれた地域を保全しながら、一方におきましては、下水道などの整備により、快適な居住環境を求めていることがわかります。
 私たちの住む嵐山町が二十一世紀をめざして、このような嵐山町ならしむべくお互いに努力してゆきたいと思います。

   菅谷婦人会『しらうめ』第10号 1989年4月


心 いろいろ 菅谷婦人会長・中村きみ 1989年

2010-06-22 17:33:00 | 『しらうめ』10号(1989)

 或る日、用事で出かけた車中で、大変すばらしい青年を見ました。先輩らしい方との会話が非常に礼儀正しく、「はい」「はい」との小気味よい返事が何度も聞こえて来るのです。その言葉使いは、青年の育った家庭環境が如何にすばらしいかを、想像するのに充分でした。『はい、と云う素敵な心』と云いますが、まさにぴったりなのです。素直な心はすべてに通じると申しますから、この青年は必ず、幸せへの道、成功の道を歩んでゆく事でしょう。
 このように子供の心を育むのは家庭であり人生最初の教師は両親、そして周囲の人達でしょう。中でも母親の役割は大きく影響をあたえる訳です。町で開講しております『三ちゃん母親学級』がありますが、これは「子供の教育は三才までが肝心」である事や、最近子育てに自信のない母親が多くなっている事等を重視して、若い母親の学習の場として開設しておりますが、その折の保育(0才~5才)を婦人会からも協力させて頂いて五年になります。子供達のそれぞれの個性から家庭環境の重大さをみせられる一時ですが大家族か核家族かによっても大きく左右されるようです。
 核家族が多くなった最近は、当然一人暮らしの老人が増加しております。こうした方達に給食サービス(社会福祉協議会主催)を行っておりますが、この場合も婦人会からも協力させて頂いております。この様に奉仕の心で参加する事業も何回かあります。学習をし乍ら社会参加も出来るのが婦人会の特色ではないでしょうか。
 女性の社会参加が叫ばれて久しくたちますが、各分野で活躍しておられる方達を見ると大変たのもしく、又教えられる事も多々あります。昨年ある会社の女社長さんにお逢いする機会がありました。結婚して十年程は主婦業に専念しておりましたが、ふとした出逢いから仕事を始める事になり、僅か八年目にして年商百億円以上の実績を上げるようになったそうです。女性の潜在能力を充分に発揮しながら社会のために貢献し、経済的にも立派に自立している彼女はまだ四十才の若さです。自信と希望に充ちた顔はキラキラとまぶしい程に輝いておりました。「ものすごいエネルギーですね」の問いに笑みをうかべ乍ら「皆さんのお蔭様なのです、私の力ではありません。」と何の高慢な所もなく好感のもてる謙虚な心の持ち主の女社長さんでした。
 この様なビジネスをはじめ日常生活において一寸したミスや誤解から摩擦や争いが生じる場合もあります。お互いが反省の心をもつゆとりがあれば、自然に優しさが生まれ和が生まれてくるでしょう。
 さて激動の昭和が終わり新しい平成の時代となりました。内にも外にも『平らに成る』事を願っての元号といいますが、リクルート事件、消費税等、生活環境は目まぐるしく急変しております。高齢化時代、情報化時代、国際化時代といわれる社会背景の中で、私達主婦はどのように対処すべきか、大きな生活課題です。やがてむかえようとしている21世紀は、女性の時代といわれており、日本の女性が世界をリードするのではないかとアメリカのライシャワー博士は予言しております。
 人生80年を生き生きと生きるためには、常に学ぶ心を忘れず、時代のニーズに合った学習や研修を重ねつつ、自立しなければならない時代です。何時れにしても戦争のない平和な国、日本に生きられる事に感謝の心を忘れず、地域の和と世界の平和を願いつつ、嵐山町に住む女性として、心の輪をつなぎ共に歩んで参りましょう。

   菅谷婦人会『しらうめ』第10号 1989年4月