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快気分析

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仕組みとアプローチ -   信長が征夷大将軍になろうとしなかったのは何故か

2020-11-14 01:05:11 | 明智光秀
 信長の三職推任問題についてはその見解が様々なようなのではっきりした事はわかっていません。
 ただ確実に言える事は当時の朝廷の意向から考えると「信長が征夷大将軍になろうとする気があれば簡単になれた」と言う事ではないでしょうか。
 なのに何故その名誉職を受け入れなかったのか?
 その一つは征夷大将軍がと言う官位が朝廷のトップ、つまりに正親町天皇に従う名称であるわけで、信長がそれを好まなかった為とは言えると思えます。
 ただもう一つの信長の目的はもしかするとですが「当時の征夷大将軍である足利義昭が在位のまま、信長によって処刑される形を信長は演出したかった」と言う事ではなかったのかとも考えています。
 これは当時に於いては朝廷に対するマウンティングみたいなもので、信長が朝廷をも支配する存在で有る事を世間に知らしめようとしたものであった可能性は高いと考えています。
 と言う事位は足利義昭も薄々感付いていたはずで、だとすると死にたくはないからあらゆる手段を講じて信長襲撃を考えていた事になります。
 そして仮に征夷大将軍である足利義昭が信長によて討取られてしまった場合、旧室町幕府奉公衆の武将が多い明智勢は「信長を討つ正当な理由を失ってしまう」事になるわけで、「そうなる前に信長を襲撃して討取ってしっても、それは征夷大将軍である信長に追放された足利義昭を守る為であり、仮に逆臣に近い形になっても逆賊にはならない、何故なら信長そのものも足利義昭を追放した逆臣でかつ逆賊だから、と言うラストチャンスと考えた」のではないでしょうか。
 だとすると信長は征夷大将軍の任官を拒否した事がアダとなったわけで、信長自身が最後に残した言葉である「余は自ら死を招いたな」とはその意味も有ったと思えます。
 そして信長が征夷大将軍の任官を拒否して当時の朝廷を凌駕する存在であろうとした事で、結局それで落命したと言う点が仮に有るのならば、それは「信長は高転びに転ぶ」旨を予言した安国寺恵瓊の言葉通りになった、と言う事になるのかも知れません。


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