本能寺の変が起きた時に、弥助は信長の下で本能寺に宿泊していました。
この変が起きると、弥助は無事に本能寺を脱出でき、そして二条新御所に行って本能寺で信長が襲撃された事を信忠ら知らせ、そのまま明智軍と戦った末に投降して捕縛されました。
その後は明智光秀の判断で処刑を免れ、その後の行方はよくわかっていません。
一見、特に矛盾の無い史実のようですが、よく考えるとおかしな点が有ります。
それは「本能寺から何故か弥助が脱出できた事」です。
本能寺襲撃当時は光秀がまだ到着しておらず、弥助を助命する判断など出来ない状況だったはずなのです。
つまり、本能寺で信長を襲撃した部隊が弥助を助命するどころか、捕縛もせずに二条新御所に行かせてやっているのです。
これって当時が蟻も這い出る隙も無い位であった上、弥助がアフリカ系の人だったので目立つわけで、通常では考えられない事のように思えませんか。
そしてこれが何を意味するのか?と言う事になるのですが、それは「本能寺の信長を襲撃した部隊はイエズス会系の将兵が主導していた」と言うロジックになって来ます。
そしてその主導的部隊とは高山右近と、多分その近縁の中川清秀の部隊だったのではないでしょうか。
信忠らのいた二条新御所を攻撃したのは斎藤利三、伊勢貞興らの明智軍ですが、もしかしてこれは斎藤利三らが「高山右近らの部隊が信長襲撃に成功した場合にだけそれに加勢して信忠らも討とう」としていた、と言う考え方ができなくも有りません。
その証拠になるのかどうかは定かではありませんが、山崎の戦いの前には明智光秀が高山右近本人が不在であったにもかかわらず右近の親族や家臣らから加勢すると言う返事を信じたのか、人質も取らずにいたのが明智軍大敗の要因(高山右近らが秀吉方へ加勢した為)となった経緯(ルイス・フロイスの日本史でこの旨を記載)で裏付けできるような気もします。
本能寺の信長襲撃の主導グループが実は高山右近らの部隊だったので、明智光秀は山崎の戦い前の約束で当然のように高山右近が味方すると思い込んでしまっていたのではないでしょうか。
また京極高次と言う実質キリシタン武将(名目上は洗礼を受けたのはかなり後ですが)が明智方に加勢した事も含めて、イエズス会が信長・信忠襲撃を誘導し、その直後に突然豹変して光秀のハシゴを外し、全ての罪を明智光秀ら明智勢に被せて証拠隠滅をした、と言う仮説に基付くと多くの謎だった事象が辻褄の合う話となって来るのも事実です。
以前にも記事の中で書きましたが、本能寺の変から山崎の戦いでは、高山右近、京極高次とその母、弥助、大友氏の下で活動する博多商人2名(島井宗室、神屋宗湛)と言うイエズス会と関連の深い人物全てが誰も死傷していないのです。
こんな偶然は普通あまり無い事のように思えますがどうでしょう。
この変が起きると、弥助は無事に本能寺を脱出でき、そして二条新御所に行って本能寺で信長が襲撃された事を信忠ら知らせ、そのまま明智軍と戦った末に投降して捕縛されました。
その後は明智光秀の判断で処刑を免れ、その後の行方はよくわかっていません。
一見、特に矛盾の無い史実のようですが、よく考えるとおかしな点が有ります。
それは「本能寺から何故か弥助が脱出できた事」です。
本能寺襲撃当時は光秀がまだ到着しておらず、弥助を助命する判断など出来ない状況だったはずなのです。
つまり、本能寺で信長を襲撃した部隊が弥助を助命するどころか、捕縛もせずに二条新御所に行かせてやっているのです。
これって当時が蟻も這い出る隙も無い位であった上、弥助がアフリカ系の人だったので目立つわけで、通常では考えられない事のように思えませんか。
そしてこれが何を意味するのか?と言う事になるのですが、それは「本能寺の信長を襲撃した部隊はイエズス会系の将兵が主導していた」と言うロジックになって来ます。
そしてその主導的部隊とは高山右近と、多分その近縁の中川清秀の部隊だったのではないでしょうか。
信忠らのいた二条新御所を攻撃したのは斎藤利三、伊勢貞興らの明智軍ですが、もしかしてこれは斎藤利三らが「高山右近らの部隊が信長襲撃に成功した場合にだけそれに加勢して信忠らも討とう」としていた、と言う考え方ができなくも有りません。
その証拠になるのかどうかは定かではありませんが、山崎の戦いの前には明智光秀が高山右近本人が不在であったにもかかわらず右近の親族や家臣らから加勢すると言う返事を信じたのか、人質も取らずにいたのが明智軍大敗の要因(高山右近らが秀吉方へ加勢した為)となった経緯(ルイス・フロイスの日本史でこの旨を記載)で裏付けできるような気もします。
本能寺の信長襲撃の主導グループが実は高山右近らの部隊だったので、明智光秀は山崎の戦い前の約束で当然のように高山右近が味方すると思い込んでしまっていたのではないでしょうか。
また京極高次と言う実質キリシタン武将(名目上は洗礼を受けたのはかなり後ですが)が明智方に加勢した事も含めて、イエズス会が信長・信忠襲撃を誘導し、その直後に突然豹変して光秀のハシゴを外し、全ての罪を明智光秀ら明智勢に被せて証拠隠滅をした、と言う仮説に基付くと多くの謎だった事象が辻褄の合う話となって来るのも事実です。
以前にも記事の中で書きましたが、本能寺の変から山崎の戦いでは、高山右近、京極高次とその母、弥助、大友氏の下で活動する博多商人2名(島井宗室、神屋宗湛)と言うイエズス会と関連の深い人物全てが誰も死傷していないのです。
こんな偶然は普通あまり無い事のように思えますがどうでしょう。