2018年1月30日(火曜日)晴れ時々曇り。20℃~6℃。降水確率7%。湿度50%。
30号20号にプルシャン・ブルーを塗る。
工事は8時過ぎから始まったが、騒音は9時半から、騒音から逃れるために今日はサンチアゴ・デ・カセムに行く。セトゥーバル出口、ジュンボのGSで満タンに。22,14L=32,30€。アルカサール・ド・サルを過ぎたアルベルガリアのレストラン「KM10」でコーヒー、トイレ休憩。コーヒーx2=1,40€。松の実の砂糖菓子x1=1,80€。合計=3,20€。無料の高速を行くが今日はクルマが多い。サンチアゴ・ド・カセムに着き、ツーリスモが目に付いたのでクルマを止め歩いて行ったが開いている筈の時間なのに閉まっていた。側に居た人に鉄道駅を尋ねたが行き当らず。サンチアゴ・デ・カセムのお城の側のツーリスモで鉄道駅の場所を聞く。お城を1周。お城の側で初見花。でも同定が出来るだろうか?お城から下り、最初にクルマを止めたすぐ先に鉄道駅があった。アズレージョが美しい駅だが、線路側に行くことは出来ない。線路は光っていたので貨物列車は通過する様だ。ローマ遺跡の側まで行ったが、お腹が空いてきたのでバスターミナル近くまで引き返し駐車、側のレストラン「Perola de Santiago」で昼食。パン=1€。オリーブ=0,80€。ノンアルコールビールx1=1,10€。コップ赤ワイン=1€。フェジョアーダ=6€。黒太刀魚塩焼き=8,50€。デスカフェイナードx2=1,20€。合計=19,60€。再びローマ遺跡に行き入場。シニア料金x2=3€。駐車場に大型バスが停まっていて、小学生の団体が課外授業に来ていた。他に入場者は居ない。ゆっくりと見学したが新たな花は確認されず。家に帰りついたのが17:30。行き帰り共クルマが多い。
昨夜の映画は、
『Ray/レイ』(Ray)2004年。アメリカ。152分。監督:テイラー・ハックフォード。2004年に亡くなったミュージシャン、レイ・チャールズの伝記映画。レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスがアカデミー主演男優賞を受賞した。1948年、17歳のレイ・チャールズ・ロビンソン(ジェイミー・フォックス)はバスでシアトルに移り、しがない酒場Rocking Chairでナット・キング・コールの曲などを歌うが、同時にヘロインも教えられる。マクソン・トリオとして人気が出る。翌年、レコードの話が出て悪徳マネージャーと別れる。「ウソつきは泥棒のはじまり」は母の教えだった。1950年、ボクサーのレイ・ロビンソンと同じなのでミドルネームからレイ・チャールズと改名。 バンドとツアーに出るようにもなる。ジョージア州で生まれ、フロリダ州のセントオーガスティンで育ったレイは黒人にピアノを教えられる。水に浸かる感覚に捕われるが、弟を熱湯で溺死させたトラウマが残る。9カ月後、7歳のときに緑内障で視力を失う。ソロの“Baby,Let Me Hold Your Hand”でデビュー。アトランティックと契約するが、ナットやチャールズ・ブラウン の二番煎じといわれ、“Mess Around”がヒット。 1954年 にはR&Bとゴスペルの融合を目指した“I Got a Woman”がゴスペルでセックスを歌ったと非難されるもヒット。ゴスペル歌手のデラ・ビー(ケリー・ワシントン)と結婚、長男も生まれる。メアリー・アン(アーンジャニュー・エリス)と愛人関係になる。1957年、女性ボーカルのレイレッツ(Raelettes)のマージー(レジーナ・キング)を新しい愛人にする。1959年、契約時間に足りないと言われて歌った「ホワッド・アイ・セイ」が大ヒット。次男も連れてロスに移住もマージーも移る。家族同様のアトランティックから75%とマスターの保有権を獲得してABCレコードに移籍。1960年、カバーした「我が心のジョージア」でグラミー賞を初受賞。ニューポート・ジャズフェスティバルでクインシー・ジョーンズが差別の南部はこりごりだと語る。「旅立てジャック」(Hit the Road Jack)ができ、盲学校入学での母との別れを思い出す。ジョージア州での公演を差別を理由にキャンセル。「アンチェイン・マイ・ハート」(Unchain My Heart)を歌った後、警察が来るが会社が違法逮捕に持ち込む。カントリー・ミュージックもやると「愛さずにはいられない」(I Can't Stop Loving You)を歌う。欧州ツアーも成功。3歳の男児を生んだマージーはヘロインで死亡。兄弟同然のジェフを解雇。1965年、モントリオール帰りのボストンの空港で麻薬密輸で逮捕。ビーの説得で聖フランシス更生クリニックに入り、禁断症状に悩む。麻薬から足を洗い、溺死事故のトラウマも克服。1979年、ジョージア州はコンサートの契約違反で20年前に永久追放したレイの名誉を回復し、「我が心のジョージア」を州歌に制定。(Wikipediaより)
『評決のとき』(A Time to Kill)1996年。アメリカ。149分。監督:ジョエル・シュマッカー。原作はジョン・グリシャムによって1989年に書かれた。ジョン・グリシャムの処女作で出版化に当たっては多くの出版社に拒否された。だがジョン・グリシャム作の『法律事務所』、『ペリカン文書』、『依頼人』が次々とベストセラーになると多くの出版社が処女作『評決のとき』の出版化に興味を示し、ペーパーバック版・ハードカバー版が相次いで出版された。そのため初版本は高いプレミアがついている。舞台はミシシッピ州にある架空の街クラントン。物語は2人の人種差別主義の白人青年ビリーとウィラードが10歳の黒人少女を強姦し暴行を加えたところから始まる。少女の父親カール・リー・ヘイリー(サミュエル・L・ジャクソン)はその日の夜、カールの兄を弁護した事から馴染みの白人弁護士ジェイク・タイラー・ブリガンス(マシュー・マコノヒー)に、娘が強姦された、ここでは黒人を強姦しても白人は有罪にならないのかと相談を持ちかけた。ジェイクはカールのただならぬ雰囲気に危険を感じ、馬鹿な真似は止めろと忠告する。しかし、翌日、裁判所にビリーとウィラードが連行されてくると物陰に隠れていたカールが自動小銃を手に飛び出し、2人を射殺。護衛の警官ルーニーも膝に銃弾を受け、左足を切断する重傷を負った。カールは第一級殺人罪と傷害罪で逮捕され、弁護をジェイクが担当することになった。裁判が始まる前ジェイクの恩師ルシアン(ドナルド・サザーランド)は、この裁判は勝っても負けてもそれは正義になる、と言った。弁護士ジェイクと敵対する検事はルーファス・バックリー(ケビン・スペイシー)が選ばれ、ルーファスは次の州知事の椅子を狙っており、簡単に勝てるこの裁判で名前も顔も売れると喜んだ。町中で黒人対白人の緊張が高まる中裁判は始まった。第一回目の裁判でジェイクは、黒人差別の激しいこの地では公平な裁判は不可能なので裁判地の変更を裁判長のオマー・ヌース(パトリック・マクグーハン)に求めたが、オマー・ヌースはにべもなく却下した。肩を落として弁護人席に戻るとそこには見慣れない紙があり、中を見ると実際に人種差別を理由に裁判地の変更が許可され審議差し戻しの判例が載っていた。ジェイクはすかさずオマー・ヌースにそれを伝えるとオマー・ヌースは審議差し戻しを歓迎する裁判長はいないと言い、裁判地変更の理由を書類に書いて提出するように伝えて第一回目の裁判は終了した。翌日事務所で寝ていると見慣れない女性エレン(サンドラ・ブロック)が訪れ、あの判例は役に立ったかと尋ねた。彼女こそあの判例をジェイクに渡した張本人だったのだ。エレンは死刑反対の姿勢を貫く法学生で、カールに死刑宣告が下されるかもしれないこの事件を手伝わせてほしいとジェイクに申し入れた。エレンの父親はアメリカでも有名な弁護士で、後々の援助を期待したジェイクはエレンからの申し入れを快諾する。その頃、カールに裁判所で射殺された白人青年ビリーの弟フレディ・リー・コブ(キーファー・サザーランド)は兄を殺された怒りから水面下で活動を続けるKKKと連絡を取り、KKKのリーダーであるスタンプ・シスーより、クラントンでもKKKを設立して支部長になるように伝えられる。ジェイクが申し立てた裁判地変更の申し立ては結局却下され、そのうえ州の法務局もオマー・ヌースの判決を支持する、審議差戻しはしないと明言した。ジェイクはカールを心神喪失による無罪を主張したが、やり手の検事ルーファスは巧みな誘導尋問で明確な意志を持ってカールが2人の青年を射殺したことを証言させた。更に、事件後カールがウォールズ保安官(チャールズ・S・ダットン)に付き添われて左膝から下を切断することになったルーニーを見舞いに行ったこともカールにとって不利な証言となった。しかし、証言台に上ったルーニーはカールの犯行動機を支持して無罪だと叫び、裁判所は一時騒然となった。裁判が進むにつれて町の緊張は高まり、遂にはKKKが裁判所前で陣取り、黒人達とKKKが乱闘騒ぎが起こり、ジェイクは家の前に燃える十字架を置かれ時限爆弾を仕掛けられたがそれからは辛うじて難を逃れた。ジェイクの娘は学校で黒人の味方だといじめられた。危機を感じたジェイクは妻と娘を実家に避難させ、空港で妻はジェイクを非難した。ジェイクの秘書も襲撃され夫が殺され、そして遂にはジェイクの家も放火された。非常事態を警戒した州政府は州兵をクラントンに派遣して警戒に当たらせ、街中を銃を持った州兵が闊歩するまでになった。裁判の途中エレンが襲われ、ついには孤軍奮闘となったジェイクだった。裁判の話し合いのためカールに面会に訪れるとカール自身もまたあんたは所詮白人だ、と言い放つ始末。最終弁論前夜、遠い実家に避難させたはずの妻が嵐のなか、車で戻ってきた。街を黒人と白人で二分させた裁判も遂に最終弁論を迎えた。(Wikipediaより)