霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「平和・余韻の鐘」

2013年05月31日 | 心霊現象
最初に先ず、御礼を申し上げます。
「真夜中の子守歌」の歌詞と出所を教えて頂いて、感謝でございます。
「ヒデとロザンナ」それだけでも時代がわかるというものですが、私にはあの「小川真由美」のTVドラマ
『女ねずみ小僧』のテーマソングだったと聞いて、納得しました。
古いといえば古いドラマですが、それを知っている「あなたさま」があればこそ、ようやく私も腑に落ちました。私がよく見たドラマであり、きっとそのテーマソングにいたく心を奪われたのでしょうね。
「ヒデとロザンナ」が歌ったというだけでは、きっと分からなかったでしょうね。
だから、歌えますよ。(おかげさまで二番まで歌っちゃいました)
謹んで、御礼を申し上げる次第です。


さて「打てば響く」という言葉があります。
早速反応が返ってくる、ということの意味でしょうか・・・。
それならばなお、今日のような皆様からの「御心遣い」は、本日の「題」のような余韻を残す「鐘」のようなものをいうのでしょうねぇ~。
私の時代では「梵鐘(ぼんしょう)」といって、どこまでも鳴り響く、余韻の聞こえるお寺の鐘が気になるものでした。(昔田舎では、時刻を知らせるのがお寺の鐘だったのですよ~、昭和の話です)
だから、年の瀬つまり大晦日に突かれる寺の鐘は、京都知恩院の鐘が有名であり、その梵鐘の余韻を聞いて、
NHKのTV「ゆく年、くる年」を見ながら新年を迎えたものです。

もう少しお年を召した方にとっては「長崎の鐘」。歌にもなり戦後の思い出や祈りの対象になった有名な「鐘」でもありました。
この鐘が戦争時、ほとんどが国によって取り上げられ、軍需品に変わっていきました。
渋谷駅前のあの「忠犬ハチ公」の銅像でさえ、お国のために消えて行ったのですから、もう大変というか、とんでもない時代だったことが、伺い知れます。
今日はその「鐘」について、しばし偲んでくださいませ・・・。


 『 今わが組立はこわされ
   その目的は成就された、出来上がった鐘の姿に
   心も目も楽しむだろう。
   この鐘のつきぞめの音こそは
   町の歓びなれよ、平和なれよ  (大野敏英、石中象治訳)

  十九日に八十九歳で逝った梵鐘(ぼんしょう)制作の重要無形文化財保持者<人間国宝>香取
  正彦氏は、このシラー(ドイツ)の長編詩「鐘の歌」をいつも「心の糧」としていたという。
  香取さんは、生涯に百五十を超す鐘をつくっている。
  父・秀真(ほつま)は、日本鋳金(ちゅうきん)界の第一人者だった。戦後の二十五年、父と子は
  共銘の「喜びの鐘」七十七をつくると発願する。その年、喜寿を迎えた秀真の記念にちなむ数である
  のはいうまでもないが、平和日本再建のためにという熱い思いもこめた。
  
  全国にあった釣り鐘六万のうち五万口が戦災や金属回収で失われている。復元された鐘も、質が悪
  かった。何としても後世に残る鐘を、と呼びかけた。せっせと各地の寺院を訪ね歩いた。
  作品が二十三を数えた時に父が他界するが、遺志をつぐ。以後、「平和・余韻の鐘」と名づけた。
  香取さんにとって鐘は「和と信心のたまもの」だった。「鋳込みに入る時家内は水垢離(みずごり)
  をとって仏さまに祈る。家内が病気の時は子供が代わる」と「私の履歴書」にある。
  地金を鋳型に注ぎ込む一瞬が真剣勝負だ。図面の作成には、三か月から半年もかけた。
  <広島の鐘>をはじめ海外に贈られた作も数多い。
  さやかなる鐘の音きけばやすらけく きよき心になりにけるかも
  歌人でもあった亡父の一首だ  』

                      (昭和63年11月21日 読売新聞・編集手帳)


これは「鐘つくり」のお話です。
その響きが、人の心にこそ深くしみいる音(ね)であるためには、「造り方」はいうにおよばず「目に見えない祈り」つまり「みずごり」という条件をたてて一家で心を合わせて全うした「作品」であったと教えられます。
同じように、「刀」をつくる「刀鍛冶」は、祈り断食し、水をかぶり滝に打たれて「作業」にとりかかった。
神がかりでなければ、決して「いいもの」は出来なかったといわれています。
「霊」つまり人の魂の限界まで極めたものが投入されてこその「品物」、それはもう単なる物ではない。
鐘も刀も人形も、造り人の魂を吸い尽くして、この世に現れて出たものである。
とするならば、「平和を祈った鐘」の音は、聞く人には「平和の祈り」が聞こえてくるはずである。
江戸時代、徳川を滅ぼすための「呪い」で造られたというあの「妖刀・村正(むらまさ?)」は、刀に込められたごとくに「その使命」を果たすべく、人から人へと渡り使われていったのだろう。
同じ「人に造られた物」として、どちらが彼ら「作品」にとって幸せなことであろうか?・・・。と、ついつい考えてしまいます。
人形もそうなのです。人形作り師「ジュサブロー」氏の人形を見たことがありますか?
私はいろんな意味で「ゾーッ」とします。(念が移るんでしょうねぇ)


そして最後に「お金」。現代で一番気になるこのお金の出発は、誰が何処で、何を祈って(思って)造っているんでしょうかねぇ~。
考えすぎだとでも?、いえ一番大事な事だと思いますが・・・。
一度「造幣局」の人に聞いてみなくちゃ~。(機械に聞けと? まさかぁ・・・)