霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

日本は侵略国家であったのか・・・(田母神俊雄氏メモから)

2013年05月24日 | 心霊現象
これからご紹介する「メモ」は、元防衛省航空幕僚長 空将であった「田母神(たもがみ)俊雄氏」から出たものである。
いま巷ならず、世界にまで波及した「歴史認識」の大いなる「差違」は、はたしてどこかで終止符がうたれ得るものなのだろうか・・・。
なによりも歴史の生き証人がだんだんいなくなる現状で、はたして「真実」なるものがいったいどこから出てくるというのか?。
歴史の真実は、勝利者あるいは為政者によって勝手に塗り替えられ、間違った歴史観にたってことが進められてきたことは周知のとおりである。
ましてや日本においては、第二次大戦から現在に至るまでの「近代史」といわれる部分は、学校でも教えていないと聞く。
電車の中で聞く中学生の会話に、痛く傷ついた「老兵」は、一人涙を流し「あれは、自分は、友はいったい何のために戦ったのだろう・・・」と、人生の最も大切な青春を失ったことを二重の苦痛で耐えたという。
その会話はこうだ。
『おい、日本がアメリカと戦争したって、本当かよ?
 まさかな。そんなこと聞いてないよな。もしやったとしたらバカだよ・・・』


結果、私をも含めて日本人はほとんど、第二次大戦の真実を知らず、その無知に忍び込むようにどこからか与えられた「自虐史観」の中で、日本とこれからの自分を組み立てていくようになった。
他国とりわけ日本の隣国である国々は、「日本は悪」とばかりの「歴史認識」で迫ってくる。
それに対し「異」を唱えようものならば、「右翼的」とか「軍国主義再来」などとかまびすしく叫びまくる。

本当に、あの時何があったんですか?!


私も知らない「事」を、今日は元幕僚長の「たもがみ氏」のメモからたどります。
その前に2、3の言葉を、あなたは聞いたことがおありだろうか。そしてそれは「何」の事ですか?・・・。
知らない方は、歴史を語り、歴史を認識する以前の問題、つまり無知でありそれを語る資格すらない、ということになります。(まず、私がそうです)

一、「ハル・ノート」って何?

二、「侵略」って何をすること?

三、日本が植民地化したという国をあげ、その国は前と後で、何がどう変わったの?

まだまだありますが、この三つが説明出来なければ「歴史を知らない」事になる。
ましてや、日本を取り巻く戦争のさ中、何が真実かを知るなど、ほど遠い・・・、となる。


では、次の文が「氏」のメモです。(長いのでところどころ略します)

『日本は侵略国家であったのか』

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。
二国間で合意された条約に基づいているからである。
我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了解を得ないで一方的に軍を進めたことはない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しょうとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば、極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝国は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。
満州の人口はなぜ爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が、2千5百万人と約2倍に増えている。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には、日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。
その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。(中略)

李王朝の最後の殿下である李垠(イ・ウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。
イ・ウン殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし、日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
このイ・ウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(なしのもとのみやまさこ)妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりなら、このような高貴な方をイ・ウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
ちなみに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると、日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校にいれることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス・アメリカなどの国々でも同じことである。
一方日本は第二次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り混じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。(略)

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、ついに日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しのつかない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、日本と闘う蒋介石を、影で強力に支援していた。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第一撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。(略)

結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは、放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で、支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
もし日本があの時、大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、二百年遅れていたかもしれない。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年(今は68年)を経てもなお日本を惑わせている。
このマインドコントロールから解放されない限り、我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。
今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に堪えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。(略)

私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。 』

以上です。もっと長い文ですが後はまたの時に・・・。


知らないよりは、知ったほうがいい。
誰から、いつ、どんな形で知るのかは分からない。
が、今知るべき時が来ている。
マインド・コントロール・・・、確かにそれは「無知」を狙ってやってる「魔」であり「罠(ワナ)」だ。
これから私も、知るための努力をしょう。
世界中が日本を踏みつけにしても、「真実」は一つであり、それを知る行為も潔(いさぎよ)く行わなければならない。出た結果には、真摯な態度で臨むことは言うまでもない。
かつて私がブログで書き、ご紹介した「パラオ諸島」も、一つの真実である。
学校を建て、勉学を勧め、道路を整備し、空港を造った。その日本兵(日本)を偲んで今の彼らがある。
彼らが常用する日本語も多い。子供の名前も日本名がついた。
心から「日本」を慕い、残してくれた文化を今も大事にする彼らに、「怨み」や「敵意」はない。
行ってみて始めて分かるもの。案外わたしたちは戦後の「デスカバリー・ジャパン(日本発見)」を怠ってきたのかもしれない。
日本はどうせ悪よ・・・、という邪念に侵されてしまった魂で先を見ようとしなかったようだ。

少しの暇とお金があったら、あなたにお勧めしたい。是非パラオを、ペリリュー島を訪ねてくださいと。
日本人は、捨てたもんじゃなかった・・・、と彼らから「逆輸入」して元気になって帰ってくること請け合いです。
戦争のさ中、敵の船が沈むのをみるにみかねて「船員」を助けた話もある。
いまだにその遺族が日本へ来て、感謝の意を表す。
こんなことが、ごっそり抜けて、真実が伏せられてきたとするならば、日本の損だけではない、人類の大損と言わなければならない。

大東亜戦争が、アジア諸国を列強大国から守り救うためにやらざるをえなかった戦争であり、
日本一国を滅ぼしても、アジアを守れたら本望だ、と日本がアジアの母として立つための「聖戦」であったとする『映画』も上映されました。
が、日本の映画館は上映することを拒み、数えるほどでした。そのかわり、「南京虐殺はあった」とする中国の映画は多数の映画館で上映されました。どこの話かって?
日本での話です。
そのくらい何かがおかしく、狂っているといってもいいくらいの有様でしたねぇ~。
あと100年も経てば、真実が真実として大手を振る時がくるでしょう。
私も楽しみにして、あの世から応援団を送ることにいたします。
皆様もこれをいい機会と思って、「真実」探しの旅に出られることをお勧めいたします。

最後に「あなた」にお聞きします。
それでもあなたは、日本が好きですか・・・。