今車いすを押して、帰ってきたところです。
いえね、前にあるコンビニまで行った帰りに、信号の手前で一人の方が手を伸ばして何かを取ろうとしている。見ていると車いすが横倒しになりそう。
さらによく見ると、多分財布でもはいったバックだろうか、脇に落ちている。
「危ないです!そのままで、私が拾いますから~」って、声をかけて走り寄ろうとする私のすぐ脇を、こんどはフルスピードの自転車が通りすぎて行った。
「危ない!、なんてことでしょう!」、車いすのご婦人が怒り声で叫ぶ。
一人で車いすを押して、どこまで行くのでしょう?・・・。
行先は、信号を渡って目の前にある「ジョナサン」までとか。
「はいはい、私が押させていただきますね」と、ハンドルに手をかけて押そうとしても、ビクともしない。
あら、私介護から二年近くも現場を離れていたら、車いすさえ動かせなくなちゃったのかしら・・・。
「ブレーキ、かけてます?いない・・・」、やっぱり私の力がたりないのか・・・。
重い、重い。ようやく動いた。車も動きが悪い上に、ご婦人の体重が一段とごりっぱとみた。
あの時は簡単に動かせた「車いす」。時間とともに、私のうでも錆びついたというのか・・・。
信号を渡りながら思う。われ先に渡る自転車の危ないこと。人はそれでも遠慮がちによけながら歩いてくれる。
視点を代えれば、見えていなかったいろんなことが見えてくる。
信号を渡り終えての段差に、またつまずく。重くて車が乗っからない。(施設の車は、もっと楽だったのに)
ジョナサンの玄関までは坂(スロープ)があり、いまどきの心配りがあった。
しかし、扉を指で一端押してから開くという「ドアー」である。
普通の人には便利なものが、車いすだと体を前に乗り出して、手をドアーに着ける行為が難儀になる。
スロープは車いすの幅でいっぱいだから、付き添いが脇に入って、手を貸すことも出来ない。
一端車を後ろへ移動し、あとの一人が開錠して、さらに後ろへ回って車を押すようになる。
次の扉は、引いて開くつくりだ。車いすの人一人では、絶対無理だろう。
すかさず店の人が気が付いて、駆けてきてドアーを押して開けてくれた。
これでやっとそのご婦人は、目的地「ジョナサン」の店内へと入れた、という事になる。
一日一善!なんて事ではない。
これから老後を迎える人が、わんさと後に連なってお待ちだ。
日本の将来が、老人の国と化すことは周知のことなのに、街の一角で起こっていることを見るにつけ、まだまだ「彼ら」老人たちが「住みよいところ」に行き着くまでにはほど遠い。
せめて、手を差し伸べてくれる行為に溢れてさえいれば、救われるし住みよくも思えるだろうに・・・。
ここで思い出すのは、かつてアメリカの何州か忘れたが、聴導犬を連れて留学した女性の話を書いた。
彼女は耳が聞こえないのに、何不自由なく暮らせたという。もちろん犬と一緒ということもある。
が、その州のほとんどの人たちが手話を話せたという。
安心して道を聞き、喫茶店に入って楽しくお茶を飲むことも出来た。
道行くどの人を呼び止めても、彼らには手話が通じるという、そういう人達に囲まれていることの安心感があった。
そうなのだ、この安心感が何よりも住みやすくする条件になる。
私が「介護職」をめざし、教室へ通って思ったことは・・・。
いずれ来る高齢者社会。これからの日本の取り組みとして、私は総国民の介護の心得の徹底ではないかと直感したものだ。
聴導犬を連れた彼女のように、安心に囲まれて勉学にはげめたのは、州の人達の「手話の心得」だった。
ならばこれからの日本は、介護の心得を国民が持つことくらい、必須のことである。
職につくかどうかではなく、道をゆく高齢者の「車いす」くらいは、「まかせて!」といえる国民になって、
今を、そして将来を支えたいとは思わないか・・・。
私の知っている「おじいさん」は、電動式車いすで二回横倒しになり、骨折して入院沙汰になった。
この方は高齢なのにもかかわらず、誰かさんのように文字通り『暴走老人』だったこともあり、周りの人には気がかりな御仁ではあったが・・・。
今はタクシーの運転手さんが、介護の資格を取っている人も多くなった。
しかし、私が高齢者の方とタクシーに同乗したときは、「介護の手助けは、出来ない事になっているもので」
と、ただ見ているだけでしたねぇ。
万が一ケガをさせたら、運転手の責任になるとかで・・・。
仕方のないことであるが、ちょとだけ押さえていて、と言ってもダメだったことは、私としてはショックでしたねぇ。
寝たきりの方の介護は、身内の人や専門家に任せて、道行く人には手を差し伸べることがあたりまえに出来る日本の街々を夢見ながら、高齢者の仲間入りをし、その目線で世の中をみるようになった私でもあります。
先日TVでやっていました。
『笑年隊』が生んだ「おじいちゃんのアイドル」だって~。
「しょうねんたい」というから、あの「少年隊」かと思うじゃないですかぁ。
それに続く言葉がおじいちゃんのアイドル、とくればなるほどなるほど。
元気いっぱい、長生きして住みよい日本を満喫しましょうね~、と、言いたくもなります。
がんばれ!じいちゃんアイドル??。
いえね、前にあるコンビニまで行った帰りに、信号の手前で一人の方が手を伸ばして何かを取ろうとしている。見ていると車いすが横倒しになりそう。
さらによく見ると、多分財布でもはいったバックだろうか、脇に落ちている。
「危ないです!そのままで、私が拾いますから~」って、声をかけて走り寄ろうとする私のすぐ脇を、こんどはフルスピードの自転車が通りすぎて行った。
「危ない!、なんてことでしょう!」、車いすのご婦人が怒り声で叫ぶ。
一人で車いすを押して、どこまで行くのでしょう?・・・。
行先は、信号を渡って目の前にある「ジョナサン」までとか。
「はいはい、私が押させていただきますね」と、ハンドルに手をかけて押そうとしても、ビクともしない。
あら、私介護から二年近くも現場を離れていたら、車いすさえ動かせなくなちゃったのかしら・・・。
「ブレーキ、かけてます?いない・・・」、やっぱり私の力がたりないのか・・・。
重い、重い。ようやく動いた。車も動きが悪い上に、ご婦人の体重が一段とごりっぱとみた。
あの時は簡単に動かせた「車いす」。時間とともに、私のうでも錆びついたというのか・・・。
信号を渡りながら思う。われ先に渡る自転車の危ないこと。人はそれでも遠慮がちによけながら歩いてくれる。
視点を代えれば、見えていなかったいろんなことが見えてくる。
信号を渡り終えての段差に、またつまずく。重くて車が乗っからない。(施設の車は、もっと楽だったのに)
ジョナサンの玄関までは坂(スロープ)があり、いまどきの心配りがあった。
しかし、扉を指で一端押してから開くという「ドアー」である。
普通の人には便利なものが、車いすだと体を前に乗り出して、手をドアーに着ける行為が難儀になる。
スロープは車いすの幅でいっぱいだから、付き添いが脇に入って、手を貸すことも出来ない。
一端車を後ろへ移動し、あとの一人が開錠して、さらに後ろへ回って車を押すようになる。
次の扉は、引いて開くつくりだ。車いすの人一人では、絶対無理だろう。
すかさず店の人が気が付いて、駆けてきてドアーを押して開けてくれた。
これでやっとそのご婦人は、目的地「ジョナサン」の店内へと入れた、という事になる。
一日一善!なんて事ではない。
これから老後を迎える人が、わんさと後に連なってお待ちだ。
日本の将来が、老人の国と化すことは周知のことなのに、街の一角で起こっていることを見るにつけ、まだまだ「彼ら」老人たちが「住みよいところ」に行き着くまでにはほど遠い。
せめて、手を差し伸べてくれる行為に溢れてさえいれば、救われるし住みよくも思えるだろうに・・・。
ここで思い出すのは、かつてアメリカの何州か忘れたが、聴導犬を連れて留学した女性の話を書いた。
彼女は耳が聞こえないのに、何不自由なく暮らせたという。もちろん犬と一緒ということもある。
が、その州のほとんどの人たちが手話を話せたという。
安心して道を聞き、喫茶店に入って楽しくお茶を飲むことも出来た。
道行くどの人を呼び止めても、彼らには手話が通じるという、そういう人達に囲まれていることの安心感があった。
そうなのだ、この安心感が何よりも住みやすくする条件になる。
私が「介護職」をめざし、教室へ通って思ったことは・・・。
いずれ来る高齢者社会。これからの日本の取り組みとして、私は総国民の介護の心得の徹底ではないかと直感したものだ。
聴導犬を連れた彼女のように、安心に囲まれて勉学にはげめたのは、州の人達の「手話の心得」だった。
ならばこれからの日本は、介護の心得を国民が持つことくらい、必須のことである。
職につくかどうかではなく、道をゆく高齢者の「車いす」くらいは、「まかせて!」といえる国民になって、
今を、そして将来を支えたいとは思わないか・・・。
私の知っている「おじいさん」は、電動式車いすで二回横倒しになり、骨折して入院沙汰になった。
この方は高齢なのにもかかわらず、誰かさんのように文字通り『暴走老人』だったこともあり、周りの人には気がかりな御仁ではあったが・・・。
今はタクシーの運転手さんが、介護の資格を取っている人も多くなった。
しかし、私が高齢者の方とタクシーに同乗したときは、「介護の手助けは、出来ない事になっているもので」
と、ただ見ているだけでしたねぇ。
万が一ケガをさせたら、運転手の責任になるとかで・・・。
仕方のないことであるが、ちょとだけ押さえていて、と言ってもダメだったことは、私としてはショックでしたねぇ。
寝たきりの方の介護は、身内の人や専門家に任せて、道行く人には手を差し伸べることがあたりまえに出来る日本の街々を夢見ながら、高齢者の仲間入りをし、その目線で世の中をみるようになった私でもあります。
先日TVでやっていました。
『笑年隊』が生んだ「おじいちゃんのアイドル」だって~。
「しょうねんたい」というから、あの「少年隊」かと思うじゃないですかぁ。
それに続く言葉がおじいちゃんのアイドル、とくればなるほどなるほど。
元気いっぱい、長生きして住みよい日本を満喫しましょうね~、と、言いたくもなります。
がんばれ!じいちゃんアイドル??。