美、美しさ、美しいとはどういうことなのか考えてみました。
「美」を分解すると、羊と大に分けられます。
「大きな羊はうつくしい』といわれると、今の感覚では納得しがたいものがありますが、羊は太古の昔、神に捧げる動物で、肥えて健康な大きい羊が「よい」とされていました。
「美と健康」を結びつけると納得いきますね。
しかし、漢語である「美」と和語の「うつくし」ではまた違ってきます。
「うつくし」は中世、幼少の者や小さなものへの慈しみ「かわいい、いとしい」というような意味で使われていました。
漢語とはまた違って、身近なものへの感情ですね。
一方、英語のBEAUTYは「よい、立派な」という意味です。
和、漢、英、それぞれの言語の原義を結びつけると、現代的な意味になりそうです。
私たちは日常、美しいという言葉を使うことはそうありませんが、
ココロの中では常に「美」を願っています。
そんな美への「気付き」のお手伝いをできたらなぁ。
~タイトルは、太宰さんの「晩年について」より
「美」を分解すると、羊と大に分けられます。
「大きな羊はうつくしい』といわれると、今の感覚では納得しがたいものがありますが、羊は太古の昔、神に捧げる動物で、肥えて健康な大きい羊が「よい」とされていました。
「美と健康」を結びつけると納得いきますね。
しかし、漢語である「美」と和語の「うつくし」ではまた違ってきます。
「うつくし」は中世、幼少の者や小さなものへの慈しみ「かわいい、いとしい」というような意味で使われていました。
漢語とはまた違って、身近なものへの感情ですね。
一方、英語のBEAUTYは「よい、立派な」という意味です。
和、漢、英、それぞれの言語の原義を結びつけると、現代的な意味になりそうです。
私たちは日常、美しいという言葉を使うことはそうありませんが、
ココロの中では常に「美」を願っています。
そんな美への「気付き」のお手伝いをできたらなぁ。
~タイトルは、太宰さんの「晩年について」より
なぜか華麗なきらびやかなものには興味をもてません。
街を撮影していると、目につくのは古い廃墟のようなビル、シャッターにこびりついている錆、電柱に貼られ剥がされた広告たちの残骸、などなどです。
どこか不完全な傷だらけのものが好き。
それらを美しいと思います。
だから、「自分ひとりで、ふっと発見するものです」という言葉に共感を覚えます。
それは人間についても言えることですか?
そこに自己を重ね合わせているのでしょうか?
うーん、有難うございます。
考えるいいきっかけになりました。
傷を負ったものはやさしい、そんな気がしますね。
ヒトもモノも・・・。