SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

塊、魂

2005-05-23 04:19:55 | 
自分のいつも乗る一本前の電車で、人身事故があった。

自動改札は閉鎖され、駅前でしばらく待たされた。

慌しく走る駅員、警察官、救急隊員。

アルコールの残った頭でフィッシュマンズを聴きながらぼんやりする私。

20分もしないうちに電車は動き出した。

とりあえず一本だけ動かしたようだ。

ホームの端には担架が。

私は、吸いこまれるように近くまで歩いていった。

線路には、何かの破片が所々に散らばっていた。

あの破片は、なんだったか。

鮮やかな色の、あれはなんだったのか。

確認できるほど近くまで寄ることはしなかった。



車にはねられる猫

潰れたカエル



同じだ。

何も違うところは、ない。


違うところは、人は進んで轢かれるというところだろうか。




死にやがった・・・。

私の、知らない、誰か

お会いできなくて、残念です。

いや、その人とはいつも同じ電車に乗っていたかもしれないね。

さようなら

君の分まで、生きよう。

しあわせを掴む瞬間

2005-05-23 03:59:48 | 
あれこれ考える

あの人のこと、あなたのこと

珍しく入っている予定のことなんかも考えたりする

ふと、

明日がくる

ということが、なんとも有り難い気持ちで

いっぱいになって、幸せな感じが湧きあがってくる

明日が、ある

と思えることは、なんて幸せなんだろう

明日が来る

明日が来る

あなたには、どんな明日が?





パンドラの華

2005-05-23 03:46:27 | 太宰
あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
 さようなら。
                   ~太宰治『パンドラの匣』


『パンドラの匣』は太宰さんの作品の中では異彩を放っている。際立ってキラキラして美しい、可憐な作品。戦後間もない頃の太宰さんの澄んだ気持ちがよく表れている。
そして、この少し前には「献身」について、こう書かれている。極めて素朴なこの思いは、戦争直後の読者の胸をどのように打ったのだろう。天皇への献身を叫ばれていた時代が終わり、「民主主義」を掲げ始めた時代の中で。


献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。しかし献身には、何の身支度も要らない。今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧げたてまつるべきである。鍬とる者は、鍬とった野良姿のままで、献身すべきだ。自分の姿を、いつわってはいけない。献身には猶予がゆるされない。人間の時々刻々が、献身でなければならぬ。


戦後、太宰さんは「美しく、慎ましく日本は変わるのだ」と信じていたのだろうと思う。この作品は終戦前に書かれているけれども、テンションは解放感に溢れている。
信じていた分、裏切られたときの落胆は激しい。
このあと、太宰さんは一気に下降してゆく。最後にもうひとつ、美しいやりとりを・・・。


何事も無かったように寝巻に着換えて、僕は食事に取りかかり、竹さんは傍で僕の絣の着物を畳んでいる。お互いに一ことも、ものを言わなかった。しばらくして竹さんが、極めて小さい声で、
「かんにんね。」と囁いた。
 その一言に、竹さんの、いっさいの思いがこめられてあるような気がした。
「ひどいやつや。」と僕は、食事をしながら竹さんの言葉の訛りを真似てそっと呟いた。
 そうしてこの一言にも、僕のいっさいの思いがこもっているような気がした。
 竹さんはくすくす笑い出して、
「おおきに。」と言った。
 和解が出来たのである。僕は竹さんの幸福を、しんから祈りたい気持になった。


『パンドラ』は、太宰さんが最後に咲かせた、真っ白な花だったのだろうか。