仁木田株式会社 Nikita Co., Ltd.

居宅介護支援事業  トータルサポート太陽
障がい者就労継続支援事業A型B型 太陽工房
有料老人ホーム 太陽

ご挨拶

はじめまして! 当事業所は、「障害を持つ方々や高齢の方の生活をトータルサポート(日常支援)します。を企業理念とし、長崎県大村市を中心に地域と密着した事業を展開していきます。 事業を通じて障害を持つ方々、高齢の方々が主体性を持って生活を続けられるよう最大限の努力をいたします。 また、利用される方々と当事業所は対等な関係であり続けるため、利用される方々の提案を積極的に取り入れていきたいと思います。 地域に親しみ、愛される事業所として頑張っていきたいと思います。皆様のご指導ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。                                                                             代表取締役 林田 真吾

金銭感覚

2020-05-05 10:11:46 | 月と太陽
今回のテーマは、色々思案しましたが金銭感覚、或いはお金の管理について掘り下げていこうと思います。
こういうテーマで書くことに一番恥ずかしいのが私自身で、浪費家でお金にルーズな私です。ですので、
今回自分を省みるためにも考えながらその原因と対策を考えていきたいのです。
障がい者手帳を持っている方は、障害年金を多かれ少なかれ貰っているはずです。
中には生活保護を受給している人も居るでしょう。これは私のケースで恐縮なのですが、
障がいを持つ前はきっちりお金の管理は誰に頼らなくても出来ていました。
月々の給料の歳入と歳出を計算し、貯金もしていました。
ところがこれは病気とは因果関係があるのかは分かりませんが、20代中盤で発病し、
もう40を超えた今でも年金受給月の手前にはお金が全然無いというお金にルーズさです。
自分でも情けないと思うのですが、歳出が歳入を上り火の車です。
これは上限金額が仮に上がったとしても同じ事が起こるでしょう。
勿論、住まわせて貰っている身分のため一定の金額は家に入れています。
皆さんもそうだと思いますが、これって大事なことですよね。
収入と歳出が幾らか分かっているのに管理できない、これはまずいと思って知恵は絞れるのですが、
中々計画通りにならない。きっと自分だけの時間が有りすぎることが一因にあると思います。
私だけかもしれませんが一人だけの時間って結構ストレスなのですよね。
ストレスの発散名目でお金を使っていたら、いくらお金があっても足りないと思うのです。
当たり前のことですが。
これではマズイと思い、小遣い帳を付けようと専用のノートを買ってみたものの、長くは続かず。
せめて何を買ったか記録するためにレシートを取っておくよう努力したものの、一過性に終わってしまいました。
自分に甘いだけ、と言われればそれまでなのですが、そう切り捨てられるだけの問題じゃ無いような気がします。
前述した病気と因果関係があるかもしれないと書きましたが、
どうやらこの症状は精神疾患を持っている人に多いと聞いたことがあります。特に双極性障害に多いと聞きます。
躁状態の気分がハイになったときに浪費を繰り返してしまうと当時者から直接伺ったことがあります。
自分は双極性障害では無いので該当しませんが、精神に多いことは確かなようです。
とは言え自分を律していかないとこのままではいけないとは考えています。何かいい知恵はないものか日々模索する日々です。
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謹賀新年

2020-01-06 14:17:39 | 月と太陽

これを読んでくださるすべての皆様、新年あけましておめでとうございます。
お正月と言えば家族の集まる機会があります。そこで今回は家族と障がい者との付き合い方を考えたいと思います。
家族は障がい者にとって一番身近な存在であり、頼もしく時に頼ったりもしますよね。
その反面、わだかまりも起きやすく鬱陶しい存在でもあると思っている方もいらっしゃると思います
。それだけ家族に頼っている証拠だとも言えます。
精神障がい者には(ほかの障がい者は存じませんが)家族会というのが存在します。
そこでは障がい者の親御さんたちが集って、意見を出し合う会合なのですが、
具体的には親亡き後のわが子の行く末や引きこもっている子をどうやって社会と繋げるかなど、
問題は深刻かつ山積しています。勿論我々障がい者も座して死を待つわけではない、
とは言い過ぎかもしれませんがそういう問題には敏感で、実際当事者会など日本全国に存在します。
親の会、当事者の会でも共通しているのはどうやって自立を助ける或いはするかなのです。
自立と一言にいっても色々な形があると思います。何でも自分でできることが自立と考えている方が多いと思いますが、
それは違うと思います。頼るべきは頼って、助けが欲しい時には素直に助けを求める、出来る範囲のことをする、
或いは努力をする、それも自立への道筋だと思います。一番の問題はやはり金銭の管理で、
これは非常に難しい問題だと思います。実際、私にも金銭で問題を起こしたことがあり、非常に悩んだことがあります。
そう、これも病気の症状の一つで気持ちが高ぶったときに、気が大きくなり買い物を立て続けにしてしまうという病例の一つなのです。
健常者だった過去には考えられなかったことです。私にも年老いた母がいます。母子家庭です。
母亡き後どうやって生計を立てて病気と向き合っていくか、非常に悩ましい問題です。
私のような障がい者は皆恐れていることでしょう。でも避けては通れない問題です。
これからは自分で問題を対処し解決し「生活」していかなければならないのですから。
だから今が大切だと思う訳です。出来ること出来ないことを明確に分け現実としっかり向き合うことが肝要だと思います。
とはいえ、どこまで自分が実践できるかは未知数です。
今のうちに家族としっかりと話し合い、向き合うことが何よりだと思うこの頃です。
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月明かり 其の五

2019-12-11 14:41:51 | 月と太陽
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時代が移り行く現代社会ですが、変わらないものもあります。それは恋だったり愛情だったりします。
どんな人間にでも恋をする権利はあります。
それが成就するかは別として、生き物すべてに与えられた権利といっても過言ではありません。
私には恋愛経験が皆無なので、どこまでこの話を掘り下げることができるかは分かりません。
でも、生きていく過程でこの上なくロマンティックで人生を素晴らしくする、
神さまからのプレゼントのような物ではないでしょうか。

老若男女、性や恋に対する姿勢や考えは様々ですが、共通しているのは誰しも素敵な恋をしてみたい、
或いは素晴らしい人と結婚して温かい家庭を築きたいという願望を抱いているという点です。
人間は一人では生きていけません。かと言って、誰もがパートナーを得られるわけでもありません。
こればっかりは縁なのでしょうが、障がい者にとってハードルは更に上がります。
一定の収入がある人、もしくは障がいの程度が軽い人にパートナーとして選んでくれる人は限られます。
いや、限られると言ってしまえば、それまでなので、誰にでも可能性はあると言っておきましょう。
私には縁も一定の収入も無いし資産家でも無かったため、望みは絶たれましたが、
これを読んでくださっている方には、是非思いっきり恋や愛を育んでいってほしいと思うわけです。
そして、出来ればパートナーを得て、長い人生を、力を合わせて全うしてもらいたいと願うわけです。
今回は恋愛について書かせて頂いていますが、前述した通り私には恋愛経験が皆無なため、
これ以上掘り下げることはできません。
しかし、現在42歳の私にも分かっていることもあります。人生や自分自身を肯定してくれるのは、
家族だったり恋人だったり、或いは親しい友人だったりします。問題を自分一人で抱え込むと、
ネガティブにしかなり得ません。こればっかりは断言できます。
実際のところ私一人悩みを抱え誰にも相談できない事例がありました。そして自殺まで考えたのです。
結果として解決できたのですが、その助けになったのは、やはり周りにいらっしゃる「人」でした。
周りにいる人間がいるだけ私は幸運だったと思います。私は、と言うか、人は孤立が一番怖いです。
ことに精神障がいを患っていると、一番恐れるのが孤独です。
周りに話し相手だけでも居るだけで幾倍もの助けになります。周りに孤独な人がいたら、
是非助けてあげてください。話しかける、それだけで天と地の差があります。
私からのお願いとして今回は恋愛の話から、随分脱線してしまいましたが、お話を締めようと思います。
ありがとうございました。
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月明かりのブログ

2019-11-15 14:25:29 | 月と太陽


障がいは人それぞれです。重度、軽度、精神、身障、知的障がい、
どの障がいでも、例えば身体障がい一つとっても、腕や脚を事故で無くした人
、脊髄損傷でまったく動けない人、難病を患っている人、
こうして身体障がい一つとってもこれだけ出てくるのです。
キリがありません。そうした中で自分が如何にして輝けるのか。
難しいテーマです。でも、だからこそ「夢」を持つことは大切なのです。
何しかできないではなく、自分はこれも出来る、あれも出来る、と可能性を信じるのです。
難しく考える必要は全くありません。「自分を信じる」この一言に尽きるのではないでしょうか。

具体的には、なりたい職業があるとします。その職業を目指そうにも、
障がいを持っているが所以に難しいかもしれません。ですが、そこで自分の「可能性」を信じ、
その職業になれなくても、同じ業界で補佐的役割はできると思うのです。
どこまでが現実味を帯びるか私には分かりません。ですが、
放棄してしまえば可能性はゼロになってしまいます。
障がい者だから、どうせ私は…、的な考えは自分で自分を否定する、自らを差別しているのと同じです。
私事で申し訳ないのですが、私も色々な沢山の苦汁を舐めてきました。
でも、希望だけは捨てなかったおかげで、今があると思います。障がいを持ったきっかけで、
視野も広がりましたし、いろんな障害を持った方とも交流することができました。
綺麗ごとかもしれませんが、人生を豊かにしてくれたのは、障がいを持ったことがキッカケでした。

私は精神障がいを持っています。何故に他の障がい者、
カテゴリーの違う障がい者の気持ちがわかるのかと問われると、それは分からないです。
当然ですよね。でも、だからこそ私にしかできないアドバイスも、微力ながら送ることはできると思います。
私に言えることはこれくらいですが、どんな境遇であっても、
「希望」と「感謝」と「祈り」この三つは忘れないで欲しいと思うのです。
私は無神論者です。そんな私が何故に「祈る」ことを選んだか、
祈るというのは何も神さまと向き合うためだけの行為ではありません。
勿論神さまとの会話は神を信じる方にとって、最も重要で崇高な行為でしょう。
「祈り」というのは誰かのために祈る、幸福や幸運または、助けを乞うのも「祈り」です。
祈りは「愛」です。人間にしか持っていない感情です。
おそらく、祈ったことがない人はいらっしゃらないのではないでしょうか。
神と対話することと、誰かのために祈ることはイコールだと考えています。
何故なら前述したとおり、同じどちらも「愛」だからです。
次に「感謝」これも「祈り」と同じくらい重要な意味を持ちます。
日々の些細なことにでも料理を食べられる幸せ、争いごとがなかった日には安堵、
よく眠れた日には安らぎ、日常には感謝すべき事に溢れています。
人は一人では生きていけないとよく言われますが、全くその通りで、人に支え、支えられ私たちは生きています。
それも感謝という表現以上に当てはまる言葉は無いのではないでしょうか。
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障がい者同士の差別・偏見について

2019-10-16 13:21:16 | 月と太陽



 前回、健常者と障がい者の線引きについて書き、今回はもう少し掘り下げて考えてみようと思います。
差別や偏見は、実は障がい者同士でもあるのです。今回、このことについて書きだそうと思います。
例えば、同じ精神疾患を持っている人間同士でも差別はあります。実に愚かしいことなのですが、
「あいつは人格障がい者だから関わらないほうがいい」とか、「あいつは統合失調症だから、
あんな性格してるんだ」とか自分のことは棚に上げ、それも病気の症状といえばそれまでなのですが、
余りに情けない事案が叩けば出てきます。

 同じ障がいを持った人間同士での差別や偏見があるくらいですので、違う障がいを持った差別や偏見は重症です。
これは事例ですので、すべての障がい者をそう言っている訳ではなく、ほんの一事例として語っているので、
そこは勘違いしないで頂きたいです。一例として挙げられるのが知的障がい者に対する偏見です。
「あぁ、アイツは知的で馬鹿だから」と皆して知的障がい者を笑いものにしたりとか、
実際に目の当たりにした事案です。いずれも障がい者が障がい者をコケにしていた例です。
本来なら、人が人を助け合っていくことが前提なのですが、そういう事例を聞くたびに、傷つき、
そして深い悲しみを覚えます。

 もしかしたら、健常者が障がい者を差別する事柄より質が悪いかもしれません。
障がい者と健常者の垣根や線引きを作っているのは、案外、障がい者側なのかもしれませんね。
私的な意見ですが、障がい者同士の偏見如何にかかわらず、我々が暮らす社会全体で差別や偏見はあります。
いじめ問題、ハラスメント問題、社会にはいろいろな差別が蔓延しています。
そういった事案がなぜ生まれるのかを考えたとき、例えば大人のいじめを考えた場合、
加害者に共通しているのは、思いやりが欠如していることや稚拙性、
多数派にいたいという心理も働いていると思います。では、そういう偏見、差別、いじめ、
ハラスメントを防ぐことはできないのか。こういった行為は、ある意味この人間社会の縮図ではないでしょうか。
人間とはこのような愚かしい生き物であると同時に、素晴らしい生き物でもあります。
物事には負の部分と善が入り混じった複雑かつ単純な側面もあるのも事実です。
ここでこのブログを締めてしまうと、何の希望も見いだせないので、次回、もう少し明るい論調で書きだそうと思います。
ここまで読んでくださった方たちに感謝し、お礼を述べたいと思います。ありがとうございました。



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