ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
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甲子園をめざして

2008年07月15日 | 昭和懐古


夏本番!
あの 暑~い~ 暑~い~ 「夏の甲子園」  出場をめざして
只今、高校球児 たちは各地区予選を闘っている真っ最中!でしょうね。





今年の 「全国高校野球選手権大会」 は、90回目の記念大会です。今回は、
出場校数の多い都道府県(北海道・東京、新たに千葉・埼玉・神奈川・愛知・
大阪・兵庫)を分割して、計55代表で真紅の優勝旗を争うようです。激戦区
だった私の出身地でもある兵庫県と現在の地元大阪府も分割されるため、
少し甲子園への確率が高くなったのでしょうか ・・・ 。

実は大昔、私も甲子園を目指していた高校球児の一人でした。
( 結局、1年生の途中でケツを割って私は退部しましたが ・・・ )


中3の夏、最後の大会(たぶん、2回戦敗退だった)も終わり、野球部引退。
“高校で野球続けるんやったら、○○高校か、○○高校がいいみたいやで。

どうしても 「甲子園」 に行きたかったら、やっぱ、○○高校やけど・・・ ”
“お前、どこ(の高校に)行くん?” “お前こそ ・・・?” といった会話を後輩の
練習を見ながらグランドの片隅で同級生と話していたことを想い出します。

その中学校の一つ上の先輩数人は、高校で硬式野球部に入部していました。
しかし、その1年の夏を折り返した時点で野球を続けていたのは、小学校も
私と同じだった二人の先輩だけでした。一人は某有名私学(大学付属高校)の
野球部、もう一人は公立の普通校だったのですが、共に時々、中学校に顔を
出して高校での生活や野球部の練習(厳しさやしんどさ)を話してくれました。

私の中では、この二つの高校のうちどちらに進学しようと考えていました。
「甲子園」 を目指すのであれば、間違いなく私学の方です。しかし、私が選択
したのは ・・・ 公立でした。理由は簡単です。私学は男子校で、公立が男女共学
です。迷わず “男女共学” をチョイスです。甲子園は目指しますが、確率で物事
を選択するようなヤツは嫌いです! ・・・ が、昔からの信念 ??? そうではなく、
ただ最初から校内交際率 “0” の確率の男子校にはどうしても進学したいとは
思いませんでした。( 自分勝手理論炸裂!です )

実は、(もっともらしい)本当の理由は、
“優遇・待遇制度(今で云う 「特待生制度」)有り” といった類の餌を吊り下げて、
セレクションを行ない、有望な生徒(選手)は根こそぎ獲っておこうとするような
学校には行きたくなかった。少し語弊があるかもしれませんが、自校を強くする
という目的より、他校が強くなるのを防ぐためのセレクション?とも取れるような
私学の感覚に私はアレルギーを感じていました。元々、レギュラー候補生は
ピックアップ済みで、授業料や寮費免除の事前提案は当たり前だったと思います。
逆に、獲得したあと、伸び悩む選手への優遇・待遇を減らしたり、自主退部の場合
は退学まで迫るケースさえもあったと聞きました。
( もう30年も前のことなので 「時効」 ということで少し裏側を告白しました )
要は、使える者だけ残し使えない者は ・・・ まるで、今のビジネスの世界です。

一方、私が入学した公立高校の野球部は、“の~んびり” と思いきや、思った
以上に真剣に甲子園を目指していました。これも “時効告白” ですが ・・・
入学試験を受け、合格発表が2日後くらいに迫ったある日、先輩から連絡が
ありました。“合格してるから、明日から練習に来いや!” と ・・・ 。 どうやら、
春の大会が近いので、早めに動かしていたようです。( 公立でこれはええのん? )
「おな中の野球部」 で一緒に受験していた “ピッチャーのS本” も合格していた
ので、次の日から練習に一緒に参加しました。

合格発表の日、ボードに貼り出された合格番号を見て歓声を上げている他の
受験生を遠目で追いながら、私たち野球部受験生(約15名)は、既にグランド
で汗を流していました。4月、正式に高校生、そして野球部員となった途端、春の
四国遠征が待ってました。四国4県を練習試合での行脚です。ほぼ、まだ中学生
の私たちにはハードなスケジュールでした。入学式の日も試合に同行するため、
途中退席して部室に向かいました。1年生歓迎のオリエンテーションや臨海学校、
キャンプなどの学校行事には軒並み不参加あるいは途中離脱が当たり前でした。
( 甲子園を目指すがあまり ・・・ 今なら、それなりに問題になるかも!? )

朝一、グランド整備(1年生)とトレーニング。昼休みもグランド整備(1年生)。
授業終了後、夜9時まで過酷な練習の毎日。日曜日はほぼ毎週、練習試合。
ダブルヘッダーは当たり前で、トリプルヘッダーの日もあった ・・・ 。基本的に
野球部の休暇(休日)はありませんでした。元旦のみグランドや体育館での
練習は行なわず、監督(OBで元プロ野球選手)の家へ挨拶 ・・・ ある意味、
練習より質(たち)が悪い。たぶん、当時、全国で10本の指に入るほど練習を
していた学校だったと思います。とにかく今の時代からすれば異常でした。

私たちが入部した年の3年生は4名(うちレギュラー3名)でした。2年生主体の
チーム編成ですが、“優勝候補を脅かし、ひょっとすれば ・・・” という論評付きの
高い評価の学校でした。しかし、その夏の大会は3回戦?敗退でした。3年生が
引退し、夏が終わりました。( 私は何とか耐えて厳しい夏を超えました ・・・ )
新チームになりました。前年の6人のレギュラーを中心にそのまま成長すれば、
一層、甲子園出場を期待されるチームとなるはずです。

レベルは確実に上がっていました。ただ、2年生は相対的に個々の個性や
主張が強すぎて、まとまりがありませんでした。3年生の前キャプテンは人望
もあり、ちゃんとチームをまとめていましたが、新チームではそこらがうまく
いきませんでした。監督の目の届かないところでの練習に差が出ていました。
監督が見ていなければサボろうとする先輩もちらほら ・・・ 。1年生はそれに
合わせて動くしかできません。これでは今までやってきたことが無駄に ・・・

“楽” という観念が登場します。確かに苦しいので少しは ・・・ とも思います。
しかし、甲子園を目指しているチームの姿ではない、という思いも ・・・ 。
あれこれ考えるうちに、見られている時だけ頑張って、見られていなければ
サボる ・・・ 何か冷めてしまいました。品行方正、真面目に正論を唱えて是非を
問う気はありません。ましてや、私は1年生の中で一番いい加減なヤツでしたから。
ただ、誤魔化したり、嘘をつくために、わざわざこの学校に入ったわけではあり
ません。このままでは野球そのものが嫌いになる気がして ・・・ 退部しました。

( 今思えば、他人依存、他人批判でしかなかったかもしれませんが ・・・ )
半年余りの高校野球生活は、刺激的で、想い出と共にたくさんの教訓を私に
与えてくれました。野球の厳しさや苦しさの中から感じる、“本当の楽しさ” は
その場で体感しなければ、決して得られない貴重なものです。そしてそれは、
青春時代にしか味わえないものでもあることも付け加えておきたいと思います。

ちなみに、私が野球を続けていれば、3年生の夏は59回大会でした。
そして、その夏の59回大会を見事制して優勝した学校は ・・・・・
( まあ、人生そんなもんで、不安やけど先がわからないからおもしろい! )




             ↑ 地元の友人からこんな写真が ↑

先週末(土曜日)、母校の試合(3回戦)があったのですが、あの人気お笑い
芸人の出身校にサヨナラ負けしてしまったようです。1回戦をコールド勝ちして
2回戦では延長を制し、今年はそこそこ期待していたのですが ・・・

選手の皆さん、監督・コーチ、父兄ならびにOB関係者の方々、
大変、お疲れさまでした!残念でしたが、また、新チームを応援してやりましょう!


■ 昭和懐古 ■

世の中、
何年か経ってわかることもある
いや、
何年か経ってわかることのほうが多い
あの時にこうしておけば ・・・
は、もちろんタブー
後悔しない人生のために
を真剣に!

第五大成丸



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