ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

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母校と過去の間違い

2008年09月29日 | 昭和懐古


先週末、
30年ぶりに母校(高校)の門をくぐりました。





卒業してから
母校の前を通ることは頻繁にあったのですが、何も用事がないのに
勝手に入るわけにはいきません。そして、仕事で大阪へ ・・・
気づけば30年もの歳月が経過していたということです。

今回、
資格取得に際し、最終学歴の卒業証明(卒業証書があれば良い)が必要だと
いうことで、大阪の大学を受験し、浪人も経験して神戸の予備校にも通い、
何を間違えたか、大阪のビジネスの専門学校にも通い ・・・ あちこちに在籍した
痕跡はあるものの、結果的に最終卒業は地元の高校だったのです ・・・ という
ことで、実家へ連絡しておふくろに “高校の卒業証書ある?” と聞いたのですが、
“ほかした(捨てた)んちゃうか、いつまでも置いててもなあ ・・・ ”
まあ、うちのおふくろらしい返しでした!

ということで、
卒業証明書を発行してもらうために母校の事務室詣でとなりました。もちろん、
証明書は郵送でも対応してもらえるのですが、私の場合、少し事情が複雑で ・・・

高校の頃と
今の生年月日が違っているのです。( この話、役所の方は読まない方が ・・・ )
要は、地元に籍があった時代(正確には26歳まで)の住民票に表記されていた
生年月日(4月生まれ)と戸籍上の生年月日(11月生まれ)が違っていたのです。
そのため、これまで数々の支障がありました。

大学受験の時、
初めて戸籍謄本を取り寄せて自分の本当?の生年月日を知ったのです。
それまで、幼稚園→小学校→中学校→高校 と、何の疑いもなく4月生まれで
通してましたし、学校でもその扱いでした。もちろん、全て住民票がベースです。

ただ大学受験は、
違和感を覚えながらも戸籍上の名前と生年月日で受験した記憶があります。
そして22歳の時、「一級小型船舶操縦士」 を取得したのですが、この時も戸籍が
必要となり、戸籍上の生年月日で受験しました。しかし、まだこの頃の私は、その
生年月日に抵抗があり、同じ時期に取得した 「潜水士」 の資格では4月生まれと
申告して受験しました。( まあ、これもあとで仕事上、ややこしい問題に ・・・ )

究極は
クルマの免許です。今は知りませんが、昔は住民票で受験できましたので、
私は4月生まれ(苗字も同様)で、高校3年生の夏休み前に 「普通自動車免許」
を取得したのです。それから8年ほど過ぎたある日、クルマの助手席に置いて
いたバッグが盗まれ、財布と一緒に入っていた免許証も跡形はなく ・・・

盗難届を
出して再発行の申請をしました。ここで最大のピンチに出くわしたわけです。
戸籍謄本を添えて再申請しなければならなかったのです。私は何のためらい
もなく、警察(忘れもしません、大阪○○池)に行ったのですが、その書類を
見て担当者が私に放った言葉は、“君、本当に免許とったの?” でした。私は
その意味がわからず、“はあ、どういうことですか?” と返しました。

戸籍上の
名前と生年月日をいくら探しても該当する取得者が出てこないと言うのです。
当たり前です。私は住民票で取得した原付免許からの継続申請で取得した
のですから ・・・ 。私は事情をさかのぼって丁寧に説明をして、住民票の名前と
生年月日で検索してもらいました。当然、それはありました。しかし、担当の方
にはその経緯が理解できないようで、なかなか話が進みません。よく考えれば
わかることなのですが、戸籍上の生年月日で再発行すれば、普通免許を17歳
で取得したことになります。かといって、前の生年月日で再発行するわけにも
いかなかったのです。

話が
“もう一度、免許を取り直したら” というニュアンスの流れになっていきましたので、
私はキレそうになりながらも粘り強く話をしました。最終的には、戸籍上の字体と
生年月日で新たに免許証を作り直すこと(取得日をその日)で収まりましたが、
何となく私としては悔しい気持ちが残ったのは事実です。確かに、両親が気づいて
チェックし訂正できていれば良かったのかもしれませんが、今の時代なら未だしも
役所に何かを言うということがそんに簡単な時代でもなかったような気がします。

さて、
高校の卒業記録ですが、やはり4月○○日生まれになっていました。苗字2文字の
うちの1文字も、当たり前ですが、住民票と同じ普通に読める字体で卒業記録として
残っていました。しかし、戸籍の状態に修正して証明書をあげてもらわないと役所で
また最初から説明しなければなりません。母校(事務室)を訪れて、直接お願いする
ことにしたのはこういった事情があったからなのです。

事務室の方々は、
私の話(事情)を最初から最後までちゃんと聞いてくださり、あとで戸籍謄本を
事務室に郵送する約束をした上で、名前と生年月日を修正した証明書を出して
いただきました。それこそ、事務的な対応が増えている世の中で、事務室の方が
内容をよく鑑み、“事務的でない本来の対応” をしておられる姿には、自分のこと
ではありますが、“良い対応だった” と妙に感動を覚えてしまいました。

今は
全てが戸籍上のものに変更されていますが、何故、こういうことになったかは
わかりませんが、未だに両親は私の誕生日が4月(住民票が正しい)だと言って
おります。まあ、生まれて50年近く経過していますし、今更、戸籍が間違っている
と言うのも面倒ですので、具体的な行動を起こすことは考えておりませんが、
どこかの時点で、どこかの役所が、間違えた(あるいは確認ミスがあった)ことは
事実だと思います。毎回 “スミマセン” という言葉を使って、私サイドばかりが
事情説明して修正(訂正)してもらわなければならない現実には少々ウンザリです。

皆さんは、
こんな事情や経験はありませんよね ・・・





これは
野球部とサッカー部のグランドです。1年生の時は野球部で甲子園を目指して
ました。見事に挫折して退部したあと、友達に誘われて弱小サッカー部(今は
サッカー部の方が有名です)へ ・・・ 私はこのグランドで両方とも経験しました。
下までは降りませんでしたが、当時と変わらない景色です。夏の暑さの中で
汗を流していたあの頃がが蘇ります。


■ 昭和懐古 ■

強いものが正しい
という風潮は今の時代を映す

正しいものを正しい
と思えたあの時代が懐かしい

今、どちらが正しいのか ・・・

“お前はどちらで生きたいのか”
という問い掛けに立ち止まったままだ

第五大成丸



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