ここ数日間を使って宮城にガレキ撤去のボランティアへ行ってきた。
宮城県の今泉、南三陸町、気仙沼、小泉町というルートで廻りました。
行く前は年配の方が多いと思ったボランティアでしたが、大学生や若手の人の方が
比較的多く女子大生が2割ぐらいしめていて意外に平均年齢が低いなとビックリした。
さて、今回ボランティアということで団体のバスで行きました。まず、天皇陛下も立ち寄
ったという今泉のパーキングエリアに行き早朝の清々しい風を体いっぱいに受ける。
自衛隊に感謝!
そして三陸町へ、宮城県南三陸町はニュースでも度々取り上げられた有名な場所。現在、津波の影響で、
住居はほとんどが高台に移転。住民の訴えもあり去年から政府の方針で決定したらしい。高台と違い平地は、
5月下旬の時点でガレキを撤去したこと以外はそのままで野ざらしになっていた。1年経って土地は奇麗になり、
何事もなかった様な光景であるが、未だに南三陸町では死者が600人近く見つかっておらず震災の影響は残っている。
下の写真の通りである。土地を舗装しようにも今の所、無断では工事が出来ないらしい。1シーズン経っているので知事が
説得し住民に説明した上で使っていない土地を舗装した方がいいんじゃないかとボランティアの偉い人に訪ねたが、ガレキの
撤去一つとっても霞ヶ関の中央政府の方針を待たないといけないらしく、細かい法律が足かせとなる。また、この土地に土器が
発見され大学の学会員が土地を残せと訴えていると言う。住民と、御上、学会員という三枚看板に挟まれて、自治体も苦労してい
るということだそうです。
上の写真の左上の志津川病院、左から3枚目の防災対策庁会などは未だに1年前のまま。だが、この建物を見るたびに
東北大震災で死んでいった人間を思い出すと言う地元民の意見もあり近々取り壊すらしい。震災の爪痕を残こして今後
の教訓にするという市町村の偉いさんの意見もあるが、市民の大半が壊してくれという意見が多く、この結論に至った
らしい。このブログをみてる皆さんが、もし宮城に車で行くときは南三陸町の志津川病院と防災対策庁会の建物に行って慰霊を
行っていただくと死んだ霊も浮かばれると思います。見物や、観光も行くと地域貢献になるのでお時間のある方は是非。
それと、先ほど、この建物の撤去で困る様なことを語ったが、近い将来は公園か何かになるなるらしいとも聞いています。
個人的にはこれだけの土地、無駄に放置するなら自然エネルギーの風力、太陽光などに絶対利用できるなと思います。
補足:今回は震災の被害の多かった場所だけ回り写真を映していないが海沿いの港方面では今、漁を行っている筈である。
さて南三陸町を堪能し、一行は気仙沼へ行く。途中、歌津という場所に立ち寄り、震災後の姿を見物。写真左上の一年前の
状態と比べると随分復旧整理されたと思われた。復旧後の写真は撮り忘れてしまったが奇麗になっていた。だが何もない感じで少
し寂しかったな。歌津駅も確か放置されたままだった寂しいな。海は奇麗で、途中食べたずんだアイス(写真右上)は甘かったが、
もう少し賑やかになるといいですね。周辺の人もわかめを取っていたり、店をやっていたり頑張ってられたので未来は明るいと思いますが。
そして、楽しい、楽しい、ガレキ撤去のボランティア(笑)。正直、太陽は照り、ガレキは重いのでちょっとキツかった。
まあボランティアということで気楽に仕事をする。中には普段肉体労働をしていないので明らかに体力的な無茶で手を抜いてる
人がいたが怒られることはなかった。(笑)ガレキ撤去は、ほとんど手作業で行ったのですが、捻くれ者の私はボランティアの
リーダーにブルドーザーを使えないかとどうしようもないことを話す。正直、バカな質問だったと思う。それでも怒らず、ガレキ
撤去中、人の骨が掘り起こされた事実があり、土地によっては中々機械を使いづらい所も多いと返答を頂いた。ちょっと質問内容
がまぬけだった。何か自分の嫌な部分をものすごく感じたな。こんな捻くれた人間だが反省してとにかく作業を頑張りました。
生意気なこと言ってすいません!
ガレキ撤去も一段落し、次に向かうのは気仙沼。
津波の被害で一年前は左上の写真の様に見るも無惨な有様だったが、一年経ってだいぶ奇麗になっていた。
写真を見て解る通り、随分整理されたと思う。自治体、ボランティア、自衛隊を始めみんなの努力の賜物だろう。
人間の力ってすげーなと鋼の錬金術の主人公みたいな傍観っぷりを発揮しつつ、辺りをみていると中型級の船を発見。
一年前は、こんな船がゴロゴロ陸地にあったと思うと信じられんねーよ3.11の津波。この船も、南三陸町と
同じく、3.11の教訓を忘れない為に市のど真ん中に船を設置していました。しかし、三陸町と同じく、
船をみると震災を思い出すと言う住民の反対があり船は後日、撤去か、取り壊しになるらしい。
見物も終わり一日の疲れをいやす為に我々ボランティア一行は気仙沼プラザホテル(解りづらいが写真左上)という場所へ。
このホテルは高台に建てられていたからか、震災の影響は少ない。ここでは温泉に入ったのですが、海水の水を
使った一風変わった温泉。その湯を体いっぱいに浴びて堪能しました。汗をかいた状態で塩水につかると明日何か影響が
あるのではないかという心配もあったが別に何の影響もなかった。むしろ、気持ちよく一日の疲れを取りました。中々貴重な
体験だったね。温泉のあとは気仙沼横町という屋台村(写真右上)で海鮮丼を食べながらビール。上手かった、やはり、気仙沼
と言えば海の幸だ!何だかんだと温泉にメシと体とお腹を癒されつつ就寝する為宿に向かう。