気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉22

2021年06月27日 | 母への手紙

≪花一輪≫

母さん、もう6月も終わりに近づいてきました。

前の手紙で今年は梅雨入りが早そうだと言っていましたけれど、あの後少し足踏みをしていて、

なんと、平年より1週間ほど遅い梅雨入りになりました。

今、降ったり晴れたりのはっきりしない日々が続いています。

この間行った植物園で黄色いバラを見て、欲しくなってネットで二種類、買いました。

届いた苗木には蕾がついていてそれが咲きました。

ふたつは似ていますが、葉も花びらも少し違います。

に母の日プレゼントで貰った山桜桃(ゆすら梅)はこんな感じになりました。

育てるものが増えました。上手く育てられるでしょうか?

でね…母さん、が一年以上続くリモート生活で部屋ごもりに少し飽きてきたのでしょうか?

庭などは余り関心の無かったのに、ここにきて何を思ったかバラのアーチを作ると言い出して、狭い庭をいろいろといじり始めました。

アーチは既にネットで購入、父の日のプレゼントを自分からリクエストしてにつるバラ送って貰いました。

母に次ぎ父までが苗木を欲しがるとは…今年は何ぞやと…不思議に思っているかもしれません。

そんな風に長いコロナ自粛生活にも疲れが見えてきた中、少し動きがでてきました。

ワクチン接種です。私も23日に一回目の接種に行ってきました。

注射💉は嫌いなので、いやいや行ったのですが、

思ったより痛くなく副作用も打った腕が筋肉痛のようになったくらいで、それも翌一日くらいでなくなりました。

来月の14日に2回目を接種して、その2週間後にコロナの抗体ができる予定…できるかな?

そうなれば母さんのお墓参りにも行けるのではないかなぁ~などと思っているのですが、

オリンピックで感染者が増えたりすると、また自粛強化になるという事も無きにしも非ずなのでまだ分かりません。

いくら歳を取っても、分からないことや予期せぬことがいろいろと起こります。

多分生きているうちはずっと、ずっ~とそうなんでしょうね。

年取った私は、先を案ずるばかりでいけません。

ので、これから先に夢のあるちゃんの話です。

この間国語の授業で作った俳句を、私が勉強しているのを知っているので持って来ました。

【朝顔に水滴かかる夏の雨】

咄嗟に「季語ふたつ!」しかも朝顔は(秋の季語)そして夏の雨は(夏の季語)と思ったけれど、

ドヤ顔のを見て思わず「上手じゃん!」と言ってしまいました。

確かに5・7・5になっているし、流れはすごくいいと思いました。

まあ先生がちゃんと指導して下さるだろうし…と老婆心は置いておくことにしました。

何事も取り掛かりは楽しく...が大事なのかもしれません。

そこでこの句を、ちょっと自分なりに推敲してみました。

【朝顔に滴(しずく)かかりし通り雨】

最初(にわか雨)としようしたのですが、そうすると夕立を思わせるので朝顔には不向きかなと(通り雨)にしてみました。

添削して貰わないとまだまだ自信の持てない私なのです。

どうでしょうか…母さん?

コメント

はじめての俳句🖊15~花南天

2021年06月22日 | 喜代の俳句

自宅庭の南天

実を知らず夫(つま)切らんとす花南天

季語:花南天(夏)

南天はメギ科の常緑低木で、5~6月に白色の目立たない小花を多数つける。

暖地には野生もあり、多くは庭木として植えられる。→南天の実(秋)※俳句歳時記

作品の背景:南天の花は細かい白で地味なため、冬に赤く綺麗な実がなるのを知らない夫は切ろうとした。

提出した句:【花南天切ると夫は実を知らず】

先生の添削:「花南天」が夏の季語ですね。旦那様が花を切ろうとするご様子を句の材料とされているところがほほえましいです。

十七音にすると盛り込める内容にも限りがありますので、ある程度省略も必要かと思います。添削句を二句あげてみます。

一句目【実を知らず夫(つま)切らんとす花南天】

夫を(つま)と読む。【▽夫/妻】の解説

≪「端(つま)」の意 ≫ 夫婦や恋人が、互いに相手を呼ぶ称。※goo国語辞書

俳句では(つま)と読むことが多いようだ。この読みは浮かんでこなかった。

でも(おっと)は3文字で(つま)に変えると2文字となるので、十七音のスムーズな流れができる。

二句目【南天の花や夫は実を知らず】

これは切字(や)を使って簡潔になっている。まだまだ切字が使えない。

ただ、私は「切ろうとする」夫を詠みたかったので…この句では庭の南天を何気にしか見てない「実を知らない」だけの夫になってしまう。

それで「切る」の入った一句目を写真に載せることにした。

私はやっぱり欲が深いのかもしれない。

      

省くといえば、私と真逆に、夫は切ったり、捨てたりをすぐする。

注意していなと、何でも片っ端から片付け(捨て)てしまう。

今年、紫陽花が3花しか咲かなかったのは、夫が(芽のつくところもお構いなしに切って)剪定したからだと思うのだが・・・。

それは義母にそっくりで、義母も同じようだった。(性格の遺伝か?そんな母をみて育ったせいか?)

お義母さんに片づけられ無くなったマーガレットを思い出す。

その悔しかったことを今でも覚えている。(欲深いうえ、執念深い私

私はその白い花がいっぱい、風に揺れている・・・のを想像して植えた。

こんな風になるのを頭の中に描いて!

※tomocafeさん/写真AC

それが、雑草のごとく(実際に雑草だと思ったらしい)片付けられてしまったのだ。

でも片付け上手はいいこともある。義母の遺品の整理は、正直とても(楽)だった。

余計なものはあまり無かった。すっきりと片付いていたのだ。

庭はもとより、手紙類、写真類、衣類、全てみんな近々のものしかなかった。

68歳で亡くなったので、(断捨離)をしていたわけでもなかっただろうに!だ。

今回の添削で、「ある程度省略も必要かと思います。」という先生の言葉は俳句だけでないのでは…と思った。

私はもう必要ないだろう…いろいろなものを後生大事と持っている。(手紙、はがき類などは20歳前後のものからある。)

持っているものを少しスッキリとしたら、俳句の方にもキレ(切れ)ができてくるのかもしれない。

コメント

【推し、燃ゆ】を読んでみた📚~♪GENERATIONS / 少年

2021年06月19日 | GENERATIONS

※amazon.co.jp/kindle版表紙

【推し、燃ゆ】宇佐見りん

2020年7月に発売された『文藝』秋季号にて発表され、2020年9月に河出書房新社から出版された。
第164回(2020年度下半期)芥川龍之介賞を受賞。21歳での芥川賞受賞は綿矢りさ、金原ひとみに次ぐ歴代三番目の若さである。
「2021年本屋大賞」では9位を獲得した。2021年5月時点で累計発行部数は50万部を突破している。※ウキペディア

「推し」とは”一推しのメンバー”の略語で”推しメン”をさらに短縮させた言葉。

語源は「推薦」で他に薦めるという意味の「推す」、他者に薦めたいほど好きである、と言う意味だ。

つまり推しは他者にも薦めたいというところが、通常の恋愛感情とは違う。

ざっとしたあらすじー私なりのまとめなので、これから読もうとしている方はのところは読み飛ばして下さいー

主人公は高校2年生のあかり、アイドルグループまざま座のメンバー上野真幸(まさき)を推している。

あかりの「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」という語りから始まる。

あかりは家にも学校にもあまり馴染めない、推し(まさき)を推すことに生きがいを感じて生活をしている。

失敗ばかりしているが、推しのライブへ行くため、色んなグッズを買うために飲食店でアルバイトをしている。

そして推しのことをブログに綴っている。

アイドルの推し方もいろいろとあるということをあかりは知っている。

が、自分は「作品も人もまるごと解釈し続けること」だった。

そんな推しがファンを殴るという事件を起こし、SNSで炎上、一度は復帰するが、いろいろあってグループの解散、推しの引退。

自身も精神面の病で、学校も退学し、家からも出て、亡くなった祖母の家で独り暮らしをしている。

そして唯一生きる糧のようだった「推し」も失う・・・・・・・。

あかりは、ネットの情報から推しの住むらしいマンションに、電車とバスに乗ってふらふらとたどり着くが、

そこでベランダに洗濯ものを干そうとしているひとりの女性を垣間見る。

その女性は、推しの彼女でも、そうでなくても誰でも良かったが、抱えていた洗濯物に傷つく。

「あたしの部屋にある、大量のファイルや、写真や、CDや、必死になって集めてきた大量のものより、

たった一枚のシャツが、一足の靴下が一人の人間の現在を感じさせる。

引退した推しの現在をこれからも近くで見続ける人が居るという現実があった。

もう追えない。アイドルでなくなった彼をいつまでも見て、解釈し続けることはできない、推しは人になった。」

・・・と気づくのだ。

そして這いつくばりながら、これが私の生きる姿勢だと・・・推しを失っても這いつくばって生きようとする…。

あかりは推しを推すだけでなく、深入りし過ぎたようだ。

最初から、現実と現実でないことの線引きは必要だったのだ。

でもネットが発達した今、この物語のあかりのような人(男女問わず)は少なからずいるように思う。

作者の宇佐見りんさんは若い、若いからこのような現象に着目し、書くことができたのではないだろうか。

この【推し、燃ゆ】は現代の言葉で、今を書いた作品なのだと思った。

      

芥川賞作品は過去に幾つか読んだことはあるけれど(固い、難しい)小説というイメージがあって、進んでは読もうとしなかった。

でも、題名の「推し」と言う言葉に「えっ!何」と思いkindle本を購入した。

実は私には「推し」が居る。 GENERATIONSのボーカル片寄涼太だ。

この本に興味を持ったのには、それもあった。

そもそもGENERATIONSを知ったのはHuluで観た片寄涼太出演のドラマと映画だった。

GENEファンになったわけを書いたブログ(2020/04/14)

OGPイメージ

家籠りなのでGENEファンになった理由(わけ)を考えみた (^_^?) - 気がつけば思い出Ⅱ

ボールで遊びたいのに”待て”をしているナラナラが居なくなってペットロスになった私は寂しさを紛らわせるためiPadを持...

家籠りなのでGENEファンになった理由(わけ)を考えみた (^_^?) - 気がつけば思い出Ⅱ

 

推しのいる私には、推しを執拗に推し続けるという内容自体は理解できた。

例えばYouTubeなどにファンから「○○君を産んでくれてありがとう」というコメントがあっても理解できる。

それは「お母さん、涼太君産んでくれてありがとう」と正直思ったほど、毎日ネットサーフィンして探し、

落ち込んだときなどは(そうだ京都へ行こうでなくてーそうだ涼太くんを見よう!)だった。

パソコン越しの、その笑顔を見ては癒されていた。

ファンコメントはよく目を通す。アンチなコメントにはやはり腹がたった。(といっても流石にお返しコメントなどはしないけれど

BaBaなのに、何だかね~と言う感じだけれど、推しの存在はまた別なのだ。

「ビブリア古書堂の事件手帖」は、文庫本9冊あったのにあっという間に読んでしまった。

でもこの本は2月に購入し、読み終わるのに3ヶ月ほどかかった…。

一つの事象を明細に描写している文章が多く、反芻して読まなければならないところがあり、一気に読めなかった。

やはり私の読解力が乏しいのか?・・・。

そういう意味で芥川賞なのかもしれない。

推しのいるグループ!

GENERATIONS from EXILE TRIBE / 少年

いろいろ見たり聴いたりしているうちに、他のメンバーもみんな好青年だということが分かってきた。

でも私の場合、この青年たちの未来をどの辺まで見られるのかが問題

まあ、推せるとこまで推すということにしよう。推薦という推し方で…。

 

コメント (2)

はじめての俳句🖊14~麦の秋

2021年06月15日 | 喜代の俳句

※夕日の麦畑/gutyanさん/写真AC

夕暮れにふるさと想う麦の秋

季語:麦の秋:夏

麦が黄金色に熟して取りいれ時になる初夏のころをいう。「秋」は実りのときの意。→ 麦刈り※俳句歳時記

提出した句:【麦の秋ふるさと想う夕茜】

作品の背景:故郷は二毛作なので、田植えの前に麦を刈る。
この季節はとても忙しく、父母は夕焼けがみえなくなるまで田んぼ仕事をしていた。

先生の添削:「麦の秋」は夏の季語ですね。こちらの句は「麦の秋」と「夕茜」の印象が強く、
どちらかというと「麦の秋」を主として詠まれたほうがよろしいかと思いました。

「夕茜」のところを「夕暮れ」とし、少々語順を整えてみましょう。

【夕暮れにふるさと想う麦の秋】

綺麗な言葉なので(夕茜)を用いてみようと思って作った句で、それを省くことになったのは正直残念だった。

(夕茜)は季語でないので(麦の秋)との季重なりにはならないので良いのかなと思ったのだけれど・・・。

でも…確かにふたつの言葉が主張しあって、季重なりのような句になってしまっていた。

文字数の限られた中にてんこ盛りしようという、私の欲深い根性の表れか?…反省点…。

※俳句では「茜草」と表記して「あかね」と読む、初秋の季語。
ちなにに秋茜(あきあかね)はトンボのこと。

「あかね」は、植物のことで、秋に黄白色の花が咲き、根から赤い塗料が取れる。

その塗料の色を茜色、そしてそのような色をした空を茜空という。

 夕茜ありきで使用しようと思いDLしてあった写真

※夕暮れ/lofiさん/写真AC

この茜色の空、とても綺麗なので、そのうちこの写真に載せられる句を詠んでみたいと思う。

      

【ふるさとは遠きにありて思うもの】

これは俳句ではなく、詩歌の(室生犀星-承景異情)冒頭です。

コロナ禍でかれこれ、もう、一年半ほど故郷に行っていないので、

意味合いはすこし違うかもしれませんが、「遠く」が距離的なものでなく、

「行くに行かれない」ゆえ「思う」というのは何故か似ているような気がします。

このごろ思いつく句が、故郷のことが多く、しかもそれは思い出の中のふるさとなのです。

コメント

はじめての俳句🖊13~夏木立

2021年06月12日 | 喜代の俳句

夏木立仰ぐ異国の戦士霊

季語:夏木立:夏

夏になり、青々と葉が茂った木が並んでいる風景。一本の場合には夏木という。※俳句歳時記

提出した句:【夏木立仰ぐ異国の戦士霊】

作品の背景:英連邦戦死者墓地を見に行った。
運動場のように広い墓地の上には青空が広がりその周りには、葉をいっぱいつけた木が立ち並んでいた。

先生の添削:一読して、墓地の風景とともに時間の流れを感じました。
「夏木立」の季語も「仰ぐ」という言葉も、とてもいいと思いました。
そこで佇んで詠まれた情景がさまざまな歴史を含んでいることが想像されます。

こちらの句は、直さずこのままとさせていただきます。

年明けから始めてもうじき半年、初めて直しが入らなかった。

やったー!

      

これはちょうど1カ月前ころ英連邦戦死者墓地を見に行った時のこと(➡ブログ5月11日記)を詠んだ句で、

思うことがなかかなか5・7・5の文字に収まらなくて、とはいえまだ(字あまり)とか、(句またがり)とかは難しく、

でもその情景は詠んでみたくて、いろいろな言葉を考えて推敲もかなりしたので、とても嬉しかった。

でもまだまだなのであまり気負わず、楽しみながら…やっていこうと思う…。

コメント