気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

俳句🖊5~年新た(今日で一月も終わり)夏目友人帳・茜さす・Aimer

2022年01月31日 | 喜代の俳句

妹とふたたび旅を年新た

季語:年新た(新年の子季語)

※俳句歳時記:新しい年。一年の初め。見るものがすべてめでたく改まって感じられる。

子季語は他に・新玉の年・年始(ねんし)・年始(としはじめ)年立つ・年立ち返る・年明く・年改める・年来る・年迎ふ などがある。

      

そんな新年の一月も終わりです。

でもコロナ、コロナ…オミクロン、オミクロンの言葉が飛び交い、少しも改まってはいません。

今年こそはと思っていたのに、何故か閉塞感や倦怠感が漂っています。

見出しの句は昨日に続き、妹と行った旅、アニメ【あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない】の聖地【旧秩父橋】の写真で詠んでみたものです。

二人の次なる目的地はアニメ【夏目友人帳】の聖地、熊本県人吉市なのですが、果たして実現できるのでしょうか?

今日も出かける予定のない、コロナ難民?の私は、朝からhuluで鬼滅の刃の見逃し配信と、ユーチューブを見ていました。(駄目主婦です。

そんななかユーチューブでこの様なサイトを見つけお借りしました。

少し長いので(5分程度)お時間がありましたらで…。

茜さす (フルバージョン) - アニメ『夏目友人帳』エンディングソング - アニメ名場面付き

歌っているのは、Aimer(エメ)さん。

今放送中の鬼滅の刃・遊郭編のOP【残響散歌】を歌っています。(Aimer Official YouTubeで配信されています。)

これは【茜さす】とはちょっと違い、毎日PCの前でジッとしている私も、走りだしたくなるような曲です。

(でも走り出さない。出せない。)

 

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俳句🖊4~冬の虹(旅の空から)

2022年01月30日 | 喜代の俳句

妹が指さす窓や冬の虹

季語:冬の虹(冬)

※俳句歳時記:単に虹といえば夏の季語であるが、まれに見る冬の虹もまた美しい。→虹(夏)

去年の暮、妹との旅先で見た冬の虹を詠んでみました。

🔗その時の記事

OGPイメージ

あの花・心叫・空青~秩父アニメ聖地巡礼 ※三日目※① - 気がつけば思い出Ⅱ

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あの花・心叫・空青~秩父アニメ聖地巡礼 ※三日目※① - 気がつけば思い出Ⅱ

 

前夜に降り始めた雨は翌朝に止んだばかりで、そういった気象の場合は虹が出るかもしれないと…、妹は食堂へ行く前から言っていました。

そんなわけで空の様子を窺っていたことは確かですが、偶然と言えば偶然です。

他の食堂にいた人達も気づいてなかった様子でした。

冬の虹が珍しいのは冬には雨が少なく、太陽の光も弱まるので見かけることが難しくなるためだそうです。

そして生まれても淡くぼんやりとして消えるのも早いようです。

それなのにはっきりと見ることができたので、これは(希望の光)なのではないかと思いました。

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母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉29

2022年01月26日 | 母への手紙

菜の花と福寿草/こども植物園にて/iPhone写真(1月26日)

母さん、いつもいつも言っていますが、時の流れが速いです。年が明けて…もう1月も下旬です。

仕事をしていないので、日々にあまり変化がないからでしょうか?

ほんとうは退職後、あそこにも行きたい、あの人にも会いたい、あれを遣ってみたいと頭の中がごちゃ混ぜになるくらい遣りたいことでいっぱいでした。

でも、時同じくしてコロナ禍となり、それも既に2年にも渡っていて、行きたいところへ行けず、会いたかった人にも会えずにいます。

この頃ふっと、このまま何もしない方が楽でいいのかな?・・・何て思ったりしてきて、

このままコロナ禍が何年も続き歳をとっていくと、いろんな意欲がなくなってしまいそうです。

けれど、そんなことはお構いなしみたいに、今も変異したコロナ(オミクロン株)の第6波が猛威を振るっています。

この間から「また自粛生活になってしまいました。また暫く無理だねもう少し頑張ろう。」というメッセージが来ました。

もう少し、もう少し、っていつまで続くのでしょうか?

      

元日に、じじの会社の社長さんが亡くなりました。

社長さんが入院したことで、じじがリモートでなく出社となったいきさつは以前の手紙に書きましたね。

🔗リンク

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母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉25 - 気がつけば思い出Ⅱ

母さん、明日で8月も終わりです。今年はお盆の頃に雨が降り続き、気温もぐっと下がって「もしやこのまま秋?」なんて思いましたが、やっぱり暑さはぶ...

母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉25 - 気がつけば思い出Ⅱ

 

その後(11月)、社長さんは通院でよいということになり退院したので、またリモートに戻れるのではないと思っていました。

それがその通院先の病院で転び頭を打ち、年明けにまさか…まさかの事態になってしまいました。

血が止まらない病気(白血病)だったため手術が出来なかったらしいです。

じじと同い年でした。まだまだ遣りたいことがいっぱいあったと思います。悲しくて切ないです。

会社は取り敢えず30代の息子さんが継いだみたいですが、社員一丸となって支えなくてはなりません。

      

そんなわけで、は引き続き老骨に鞭打って…現在1日1万人以上のコロナ感染者の出ている東京に通勤しています。

感染者数はここ神奈川も東京に追従していますけど・・・。

の小学校で、2クラス学級閉鎖になったそうです。何だか身近に迫っている様な感じがします。

の中学校は明後日から取り敢えず2週間、3時間授業になるとのこと、子供たちも落ち着かずに大変です。

医療従事者のママはもう3回目のワクチンを接種しました。

私たちにはまだ接種券の通知は来ていません。

テレビ報道では2月にピークを迎えると言っていましたが、どうでしょうか?

ほんとうに早くコロナの心配から遠ざかりたいです。

      

見出しの福寿草と菜の花は今日、買い物ついでに行ったこども植物園で写してきました。

花の無い季節ですが、ちょっと春を感じます。

そしてダイソーで春らしい花を買って飾ってみました!

が、学校帰りの道端に咲いていたと、また摘んできました。カタバミ?

水仙。散歩時の公園に咲いていました。

ベランダのシンピジュームが咲きました。

10本ほどある中で、花を付けたのは今のところこれだけです!

      

今度のコロナ・オミクロン株はいつ誰が感染してもおかしくないほどの感染力だそうです。

「家に入って来たら家族全員感染すると考え、覚悟しなければいけません。」とママは言っています。

季節も一番寒い最中、本当に嫌な状況です。

みんなが、無事にこの波を乗り切れればいいなと思っています。

そして春になったら、母さんにもそろそろコロナでない違う話題が届けたいです。

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独楽をお題にした母の句~昭和の遊び

2022年01月20日 | 伊代の俳句

※ミドPさん/写真AC

独楽の紐きりきり巻いて伸び盛り

季語:独楽(こま):新年(生活)

※俳句歳時記:正月の男児の玩具。独楽の古名は「こまつぶり」(「つぶり」は回転するものの意)といい、奈良時代以前に高麗(こま)から伝わったといわれる。

独楽は種類も遊び方も多彩。日本で最も古い独楽の胴は竹で、回りながら音を出すように作られ、後にごんごん独楽と呼ばれた。

小さな木の実に竹ひごなどの心棒をつけた独楽や穴あき銭に心棒をつけた銭独楽もあった。

江戸時代に鉄棒を芯にして木の胴に鉄輪をはめた鉄胴独楽が現れ全国に広まった。

      

正月遊び(羽根つきと独楽)

※maroe/イラストAC

私の子供時代は、まだこの様な遊びをしていました。

子供はあまり和装はしていませんが、大人は和装にする人が多かったような気がします。

特に女性はお正月くらいは着物姿という人もいた時代でした。

今はお正月でも滅多に和装のひとを見かけません。

母の句にはやはり時代を感じます。多分、孫のことを詠んだ句だろうと思います。

      

昔なら独楽遊びの時期だろう、今小3の孫、

一時期学校から帰ってくると「ばあばゲームやろう」とボードゲームを持ってきてやむなく付き合わされていましたがこの頃あまり来なくなりました。

去年のブログ🔗

 

四番目の孫 - 気がつけば思い出Ⅱ

ボードゲーム【カタン】※amazoncojp🎏もうじき端午の節句です。我が家も孫の兜を飾り、鯉のぼりをあげました。「今日は帰って来たら、ばぁばとカタンをするから…って...

goo blog

 

「イメージ「「何故?」と聞くと「友達とボイチャするから~」と言います。

「ううん??…ボイチャ」。

「ボイチャ」とは「ボイスチャット」とのことで、パソコンに設置したマイクを使うことで、音声を使ってリアルタイムにやり取りができる仕組み、

つまり、会話をしながら二、三人でゲームができるらしい。

コロナ禍で、外で遊べない子供たちのブームになったのでしょうか?

2階からそのボイチャする声が聞こえてきます。楽しそうです。

まあ~ばあばと遊んでいるよりは友達と遊ぶほうがいいけれど、

遊ぶ道具って変わったなと思うのでした。(やっぱりばあばになったんだと・・・)

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年賀状~友の近況..."(-""-)"

2022年01月18日 | 日記

退職して2度目の正月を迎えました。

送った年賀状の折り返しが友人本人ではなく弟さんからのものがありました。

添え書きに「姉は去年の2月より施設に入っていますが、今後も良いご関係をお願いします。」との言葉と弟さんの携帯番号が書かれてあり、

それは、電話をして下さいという意味なのかと思い、電話をしてみました。

彼女は私と同い年ですが、未婚だったので両親が亡くなったあとは実家で独り暮らしになりました。(イエローラブのブルちゃんと

そこへ奥さんを失くし子供も無く、やはり独り暮らしだった弟さんが戻って、姉弟の二人で暮らしていました。

弟さんの話を要約すると、

『おととし(2020年)の12月に転び、ソファーで頭を打ち、かなり出血をしたので入院となりました。

転んだ原因は脳梗塞で、退院しても体が思うように動かせず自力での生活は困難になり、やむなく昨年(2021年2月)施設に入りました。

その後の一年間でめっきり弱り、今は介護4で、もうほとんど寝たきりです。』ということでした。

「すぐにでも会いに行きたい。」と言うと、

「コロナ禍なので今は弟の自分も面会できない状態なので、無理です。しかも行って下さっても分かるかどうか?」ということでした。

そんなになっているなんて…なら、なおさら行きたいけれど…コロナ禍だから駄目って・・・なんと切ない・・・。

おととしの年賀状には「まだお仕事しているのですか?」の添え書きがあり、私に早く仕事辞めて欲しいコール?また一緒にどこかへ行きたいコール?だと思っていました。

私も「今年仕事辞めるから、そしたらまたどこかへ行こう!」ぐらいの乗りでした。

でも、すぐその直後、コロナ禍となり、千葉と神奈川に住いがある私たちは会う機会が持てませんでした。

そしてそのせいもあるのか、それまではメールや電話が頻繁にあったのに彼女からはなんの連絡も無くなりました。

けれど、近くに友人ができたのかなと思い、あまり人付き合いの上手でない彼女にはそれはそれで良いことだと思いながら…私も連絡を取っていませんでした。

コロナ禍の2年はアッという間に過ぎていたように思えても、彼女にとっては大きな変化があったということです。

最初の一年、唯一の行き場だったカーブスにも行けなくなり、弟さんはいるけれど独り暮らしの様なもの、話す人も無く、だんだんと病が進行していったのかなと思います。

入院するほどの怪我は無くても打撲程度の「転び」は幾度もしていたそうです。

「思えばその時も軽い脳梗塞があったのかもしれないです。病院へ行こうといったのですが、姉が嫌だと言っていうことを聞かなかった。」と弟さんは言っていました。

私も、今さら反省しても仕方ないけれど、遠慮なく電話なりメールなりすれば良かったと思います。

    

その友は、私の派遣社員時代にできた友人で、私がその派遣会社に登録したのは、40歳くらいなので、もう30年近い付き合いになります。

当時はまだパソコン扱いで登録している人は、凡そ私たちより若い世代でした。

彼女は同い年だったので必然的に同じようなところへ派遣され、何度か一緒に仕事をしました。

会社の営業スタッフは、私と彼女のセットで派遣しようと考えていたようなきらいがありました。

彼女は若い人とのコミュニケーションが下手だったのです。

懐かしくなり写真を探したけれど二人とも写真は苦手なので、あまりありませんでした。

ふたりの派遣先は主に都内だったのでスカイツリーができてしばらくしたころ、思い出として登ってみようと

【はとバス都内観光ツアー】でスカイツリーに行ったことがありました。

2015年7月4日スカイツリーから。その日は小雨で、しかも窓越しからなのでぼやけています。(写真・iPad)

建物でぎっしりの地上!その時「夜景は綺麗だろうね!」って言っていました。

待ち合わせの東京駅(丸の内南口改札口)から出たところ。

九段の靖国神社前(雨も上がっています。)

この他【皇居前広場】【上野】【歌舞伎座】【国会議事堂】【大手町のビル街】などがありました。

みな通り過ぎるだけで窓越しだったので、写真はありません。

でも二人とも都内あちこちで働いていたので、それぞれ懐かしい思い出があり楽しい一日でした。

「はとバスもいいものだなぁ」と思った覚えがあります。(今のコロナ禍で、はとバスも苦境らしいですが・・・)

他に彼女とは秩父一泊旅行をしています。

この間の秩父旅で書いている職場の友とは彼女のことでした。

5月の連休だったのでツツジがいっぱい咲いていてあの旅も楽しい思い出です。

宝登山の山頂で食べた、まだ存命だった彼女のお母さんが作ってくれたおにぎりの美味しかったこと。

この様な時に思い出す思い出って何だか切ないです。

私たちは年女です。「五黄の寅ってめちゃくちゃ強いらしいよ。」って言っていたのだから頑張って欲しい。

ブルちゃんも弟さんとおりこうさんにしている様です。

春になって彼女の病も良くなっていて、コロナも落ち着き、逢いに行ければいいなと思っています。

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