この頃、歳のせいか、生命(いのち)について考えることがあります。生まれてできた命、そしてそれが尽きる時を・・・。
「長男の嫁だから仕方ないよ…」と言われますが、私は夫の家族三人の死に一番先に遭遇しました。
義母の長姉、義母(ブログ5/10記)そして義父です。
義母の長姉の亡くなった日、その日のことも忘れられない一日なので書いておこうと思いました。
義母は上に姉が二人、下に妹が二人の5人姉妹の3番目で、長姉は独身で近くにあった義母の生家に一人でに住んでいました。
関東大震災のあった大正12年(西暦1923年)に生まれたのですが、
義母は「お姉さんは逆子だったのでお産婆さんが出産のときに無理に足を引っ張ったため、足に障害を持った」と言っていました。
この地域もかなりの震災被害に遭っていたようようで、
そのどさくさで医者にも見せられなかったためそのままになってしまった…と両親は申し訳けなさそうに言っていたそうです。
私は結婚当初、一度挨拶に行き、その後電車内で会ったことがありました。
やはりその時も片足を引きずって歩いていました。
平成8年(西暦1996年)の1月12日、義伯母72歳。
その日私はお正月の忙しさも落ち着いて美容院にでも行こうかなぁと洗髪していました。
朝9時ころだったと思います。
その時、おばのヘルパーさんから「亡くなっています。すぐ来て下さい。」と電話がありました。
そのころおばは入院している病院から勝手に自宅に戻ってしまい、自宅療養をしていました。
病名は肺気腫でした。
時折様子を見に行っていた義母もリュウマチになり行けなくなったので、ペルパーさんにお願いをしてありました。
そのヘルパーさんは訪問日でないけれど、前日におばがだいぶ咳をしていたので心配して様子を見に寄ったそうです。
そこで亡くなっているおばを発見し連絡先の義母へ電話してきたのでした。
義母はリュウマチで動けず、義父は前立腺肥大でカテーテルを付けていて行けません。
もう私が行くしかありません。
「髪を乾かしてから行きます。」と言うと
「そんな事していないで、来てください。警察はもう呼びました」
「そんな事って…」と思いましたが、でもその緊迫した声「それはそうだ目の前に死体があるのだから・・・私の方がおかしいと…」思い、
とりあえず夫に電話して、濡れ髪のままタクシーに乗りました。
一度しか行ったことのない家、でも運転士さんに住所を告げ10分ほどで着きました。
着くと数名のおまわりさんが…警察の現場検証が始まっていました。
独りで亡くなった場合はまず殺人を疑うらしいのです。
おばさんは布団に横たわっていて白い布が被せてありました。
部屋には酸素を供給する機械が置いてあり、そこへ行こうとしていて、でもたどり着かずその前で亡くなっていたようです。
テレビの刑事ものなどでは見たことがあるけれど、生まれて初めての本物の現場検証に遭遇。
警官は黙々と仕事をしていました。「この部屋は何ですか?」と質問してきたので、
「ミシンがあるし、おばはミシン刺繍の仕事をしていたと聞いていたので、多分仕事部屋ではないでしょうか?」と適当に答えたり、
今度は「お財布があり所持金はこれだけのようです。受け取ってハンコをここに」と・・・。
言ってませんが→(ハンコって…そんなもの持ってくるはずはない、洗い髪ですよッ)とイラッとしたり、
「持っていないなら、これで母音を」と墨インクを…。
エッ赤でない…、このような指印の時は朱肉でなく黒なのだと初めて知りました。
隆線がつぶれず指紋がはっきりするためらしいです。私は犯人ではありませんけど!とまたイラッと!
何せ季節は1月、頭は寒いし、指は黒くなるし、何だかいろいろと質問されるし、
泣き出したくなったころやっとひとりめの義叔父さん(妹の御主人)が到着しました。
義叔父の到着と同時くらいにおばの遺体は、殺人で無いことを立証するために、やはり解剖されるらしく病院へ運ばれていきました。
そこまでは変なアドレナリンがでまくりだった私は、この時初めて、おばさんに対して可哀そうだなという思いを、
そして仕事があるというので帰り、もうそこにはいませんでしたが、早く発見してくれたヘルパーさんに感謝の気持ちを抱きました。
でもやはり私は他人なのでしょうか?…悲しいという感情ではありませんでした。
その後、警察も帰り、夫をはじめ相次いで、家族達が集まってきて、
おばの遺体も主治医から肺気腫の診断書の提出があったので解剖を免れ帰ってきました。
外は暗くなってきていました。
そして家族で葬儀その他の打ち合わせなどをしてその日は終わったのです。
おばは震災の年に障害を持って生まれ、その後戦争を経験し、その後も一人で生き抜き…さぞ大変だったでしょう。
それでも、ひと一人の生命、終わりはあっという間なのだな…と思いました。
この時、案の定、風邪をひいてしまった私は、今、義伯母の逝った年齢に近づいてきました。
私は、どんな最期を迎えるのでしょうか?